1-10 王都のアウラウネ
赤い空。
滅びた都は昔の面影を残しながら、森に飲み込まれていた。宝石と讃えられた街並みも、貴族の屋敷も、城も。
人の気配はなく、あちこちに朽ちた槍や矢、壊れた鎧が転がっている。昔の戦いの痕跡が、そのまま打ち捨てられていた。
戦争を繰り返し、滅びた王国。
あまりにも時間が流れすぎたからだろうか。
記憶に鮮明な景色はすっかりと色を失っていて、同じものでも別物だった。
(思ったよりも落ち着いていられるかも)
荒れ果てた道をゴーレムに乗って進む。昔は賑やかな大通りだったが、いまは木の根によって歩くことすら困難だ。
王都と森の家との往復にはよくゴーレムを使っていたが、王都の中にまでこのまま入ることになるなんて。
「ノア様、あちらです」
何度も足を踏み入れたことがあるのだろう。ニールの指示には迷いがない。ノアも彼の嗅覚は知っているので安心して道案内を任せられる。
(魔素が濃いなぁ)
ノアは辟易した。濃厚なそれに酔いそうだ。
魔素は魔術を使うときに必要になる、世界を動かすための存在。錬金術でも導力と共に使うこともある。
通常は大気に、大地に、一定の濃度で含まれている。それがなければ術は発動しない。しかし有りすぎてもまったく意味はない。
城郭都市アリオスではここまでではなかった。
王都になんらかの原因があると思うが、いまは調査する余裕はない。
都の中心にある城を見上げる。
誰もいなくなった国の、廃れた城。
込み上げてくる感傷を呑み下す。
その時、大通りの先で石が崩れ落ちるような音が響いた。
即座に反応したニールが、ゴーレムの肩から飛び降りて音のほうへと走り出す。
「旦那様!」
声の向けられた先から、抜き身の剣を携えた人影――ヴィクトルが、背後を警戒しながら走ってくる。
「ニールか」
崩落の音は何度も繰り返され、しかもこちらに近づいてくる。
何かが、来る。
大きな存在が。
「ゴーレムくん、命令変更。回避優先で私を守って」
ヴィクトルはゴーレムの肩の上に乗るノアを見て、こんな状況だというのに苦笑する。
「あなたには本当に驚かされる」
「お互いさま」
ヴィクトルの身体に大きな怪我はない。小さい傷や、服の破れなどはあったが、緊急治療を要するものはない。
言いたいことは山ほどあったが、いまは迫りくるものに警戒する。
「何に追われているの」
「さて、何と言ったらいいのか」
建物の陰から、太くしなる縄のようなものが伸びてくる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
砂埃を立て、周囲を壊しながら巨体を動かす。
姿を現したそれは、ノアたちを見て、おもしろそうな遊び道具を見つけた子どものように、笑った。
奇妙な存在だった。
上半身は人型。真っ白な布で作った人形のような、少女のような。腰から下は大きな花弁に埋まっている。
下半身は、人型を支える台座のように開く花と、植物のツルや木の根のようなものが大量に生えていて、それをクネクネと動かして移動している。
まるで伝説の怪物アウラウネだ。
これもおそらくキメラだろう。複数の植物とホムンクルスのキメラ。そうとしか考えられない。
まったく、誰がどうしてこんなものつくったのか。
とにかく、これが危険種とやらで間違えないだろう。
「上の部分はホムンクルス――人型の植物だから、気にしなくて大丈夫」
攻撃をためらわせる擬態だ。
正確には植物ではないが、ホムンクルスの性質は植物のようなものだ。人工の人間なんて知ったら、戦いにくくなるだろうから伏せておく。
「植物……そうだろうな、植物か……」
「ヴィクトル?」
「私にはベルに見える……」
剣先をさまよわせ、苦しそうに呟く。ベルとは妹ベルナデッタのことだろう。
「――幻覚よ! ニールさん! ヴィクトルの頭をぶん殴って!」
「できません!」
悲鳴じみた声で叫ぶ。
衝撃で幻覚から覚めるかとも思ったが、できないなら仕方ない。
ふわり、と。
甘い花の香りが漂い、頭の奥がくらくら揺れた。
アウラウネの上半身がくすくすと笑っているように見えた。
このままではノアも幻覚の中に引きずり込まれるかもしれない。
(まずい)
ヴィクトルにはあの人型部分が妹の姿に見えている。おそらくよく知る――執着のある姿に見えるのかもしれない。そうやって敵に襲われないように身を守っているのだろう。
(幻覚で何が見えるのかなんて、想像もしたくない!)
対応は迅速かつ冷静に。
ノアはゴーレムの肩から飛び降りて、地面に立つ。
「危ないから離れてて」
「策があるのか」
「そんなものない! ゴーレムくん、アウラウネに突進!」
まっすぐに植物キメラを指差す。
ゴーレムは主の思考通りに行動する。巨体を揺らし、脚部に力を込め、地面を強く蹴り出す。
アウラウネの触手がゴーレムに纏わりつこうとする。そんな勢いではゴーレムは止まらない。
アウラウネの巨体と、ゴーレムの巨体が衝突する。激しい衝撃が耳と地面を揺らす。
ノアはそのタイミングでゴーレムの構成を解除した。ただの石人形になり、その身体が崩れる。
(石壁!)
崩れる石を、広く薄く構成しなおし、何枚もの石の壁で、衝撃を受けて動きが鈍っているアウラウネを取り囲む。
(着火!)
腰のポーチから固形燃料を取り出し、導火線に火を発生させ石壁の内側に投げ込む。
燃え上がった火がアウラウネの根に落ちる。ノアは意識を集中させ、一本の根から水分を急速に奪う。
一本だけ急速に燃え上がるが、本体にはたいした問題ではないのだろう。ぼとり、と燃え上がる根が本体から切り離される。
(仕上げて)
石壁の隙間を、天井を、土で埋め、ドームを仕上げる。アウラウネの姿が完全に覆い尽くされた。
しかしこれは、ただの土。
一部を一本の根が、脆い部分をあっさりと内側から貫いた。
その瞬間。
ドームの中で爆発的に炎が燃え上がり、苛烈な熱風が吹き抜ける。
甲高い悲鳴が上がり、アウラウネを捕えていたドームが崩壊していく。
中にいたアウラウネは炎に全身を焼かれ、黒く炭化しながら苦しそうに身をよじっていた。
(成功した……けど)
威力に引く。
密閉空間で火を燃やすと消えてしまうが、そこに穴を開けると激しく燃焼するという現象を聞いて、以前ごく小規模で実験したことはある。
ここまでのものとは。
アウラウネの上半身が焼け焦げて落ちる。
あの花の香りも消えていた。器官が損傷して、香りを発生できなくなったのだろう。これでいい。
アウラウネの全身に水分を浴びせ、鎮火させる。燃えたまま暴れられると危険だ。
あとに残ったのは弱々しく蠢くツルと根の集合体。
風が吹く。
ヴィクトルが風のごとく疾く剣を走らせる。
ニールのメイスが襲い掛かってくるツルを弾き返し、ヴィクトルを守る。
一本ずつ確実にツルと根を削いでいき。
アウラウネを作っていたものすべてがほどけ、悪趣味なキメラはついに動かなくなった。