【異界災厄】
純岡シトをはじめとした三人がエスカレーターで五階に到着した頃には、その試合の趨勢は決していた。
超世界ディスプレイは、無数のクレーターに抉られた無残な世界を映し出している。
とうに直接攻撃で殺害されてしまったと思しき高校生が、帰還した筐体の前で、異世界における無力な友人を呆然と眺めている。
そこにはただ一人取り残された転生者が、IPを得るべき人間も殆ど残っておらず救済の可能性もない、滅亡寸前の世界を彷徨っていた。
「あれか」
ゲームコーナーに辿り着いたシトは、短く問う。傍らの子供が頷く。
「……なに、これ……。これ……異世界転生をやってない……」
黒木田レイは、痛々しいものを見るように顔を背けた。
今、高校生らが対戦している転生者のIPは、マイナスに振り切れている――
だがその転生スタイルは、予選トーナメントで対峙した鬼束テンマとすら、明らかに違う。
高校生の二人組と対戦していたのは、やはり二人組。
全生物が乾き飢えつつある世界にあって彼らは何不自由なく清潔な室内で生活を送り、異世界の状況に目もくれず、日々の浪費と遊興に耽っているように見えた。
転生中の三者のステータス表示を睨みつつ、シトは今一度、少年に問い質した。
「隕石や雷を自由に降らせる。戦いを挑んでも、無敵の攻撃力で一撃死する。異世界の人間は誰も逆らえない。それは確かだな」
「うん……ずっと、好き勝手してて……何をしても、ずっとあいつらが王様のままだから、みんな、何もできなくて……」
「解せんな」
それは表示IPに見合わぬ絶大な権能の行使に対する疑問ではない。
それ以前に、ごくシンプルな異常があった。スキル表示である。
「〈格闘N/A〉。〈俊足N/A〉。〈商才N/A〉……」
どれも転生終盤には使い物にならない、最初期にスキル変化していて然るべき基本スキルばかりだ。IPと経験点による成長をしていない。だが……スキルレベルの表示そのものがエラーを起こしているとすれば、果たしてどのようなCスキルの存在を疑うべきだろうか。
「Cスキルも見たことないものばかりだ。不正規メモリでもこんな表示はおかしい。……シト。これって、ドライブリンカー側の不正改造なんじゃないのか」
「ドライブリンカーに反則はない」
「ぼくも、分かってるけど……でも」
WRAが流通させているドライブリンカーのシステム中枢は、解析も改造も完全に不可能であると考えられている。
国内外問わず多くの企業が類似商品の開発に着手し、より強力な反則を求める地下転生者がドライブリンカー自体の改造を試みながら、そうした挑戦が実を結んだ例は一つとして聞いたことがない。定価2980円――どこでも入手可能なホビーでありながら、現代に存在する紛れもないオーパーツでもあるのだ。
そして不正なドライブリンカー着用者の末路は一つ。
転生トラックの運動エネルギーを正常に転生変換できず、死ぬ。
「……あくまで、異常なのはCメモリだ。そう考えるしかない」
彼らが観戦する間、超世界ディスプレイの中の状況はまったく変わることがなかった。
やがて、高校生の転生者の心も折れる。荒廃した大地に両膝を突き、ドライブリンカーの降参ボタンを押した。
敵の二人はステータス画面上で対戦相手の消失を確認して、互いにひそひそとせせら笑いを交わし、そして同時に降参した。
この結果が意味するところは一つだ――転生者の全滅。救済失敗。
この異世界は、もはや別の転生者による救世を待つ他ないのだろう。
だが、このような有様に成り果ててしまった世界の救世難易度は、『資源枯渇SS』か……あるいは『人口減少SS+』か。
「ああ、楽しかったね！ 今回は特に素晴らしかった！」
ワイシャツに黒ネクタイ姿の、大学生らしい金髪の男と、華美なゴシックロリータファッションの、小学生ほどの銀髪の少女。
転生から戻るなり、金髪の男は一方的に銀髪の少女へとまくしたてた。
「特に、あれだ。少ない生き残りを集めて僕らのところに攻め込んできたのを、女子供で迎撃させたのが面白かった。やっぱり異世界はこうじゃなくっちゃなあ！ 魔王やら戦争程度で世界の危機だなんて、ぬるいよ、ぬるい。ぬる過ぎだろう？」
「ウン」
「何より、そうそう、あれだ！ 今日は二回もタッグ戦ができてよかった！ ここの連中のくだらない遊びをブッ潰して回るのはとても楽しいからなあ！ ――っと」
饒舌な男は、台詞のその時点でシト達の存在に気付いたようであった。
爽やかに笑って、片手を振ってみせる。
「やあやあ。君達も転生者？ カップルかな？ ははは。レーン譲ろうか？」
「譲ってもらう必要はない。……俺達が三組目になろう」
「勝負？ ああ、なあんだ。後ろにいるの、さっき僕らがブッ潰したやつだ。なら、勝てない相手だって分からないのかなあ。生意気だよね、ヨグォノメースクュア？」
「……他に居場所がないんでしょ。哀れだよ」
男は怯える少年を昆虫でも見るかのような眼差しで見下し、一方で少女は誰にも興味がないかのように、天井の一角をじっと見つめている。
ただゲームコーナーの異世界転生で遊んでいるだけの兄妹、あるいは友人同士にしては、明らかに様子が異様である。
（……なんだこいつらは。アンチクトンなのか？ 本当に大学生と小学生か？）
あの鬼束テンマにすら、異世界における暴虐の根底には転生者としての熱があった。
だが、彼らからはそれが感じられない。……それどころかこの露骨ともいえる悪意は、普通の人間ともどこか違う。
「――で？ なんだっけ？ 君？ 君らが？ 僕らの相手になるって？ 本っ当に、ははははは！ よく飽きずにやるよなあ、世界救済なんて！」
「バカにするだけなら、転生を辞めればいいだろう。俺達は人生を賭けている」
「そりゃ、もちろんそうだろうさ！ ええ？ なんたって、くだらない一生だ――せめて異世界でくらいは最強になりたいよなあ？ 現実の人生から逃避して、転生した人生のほうが本物だと思いたいわけだ！ 人生を賭けている！ まさしく！」
「ニャルゾウィグジイィ。それ以上はかわいそうだよ。図星を突いちゃう」
「……？」
シトは気難しい表情で、その悪罵の意味するところを考えている。
彼らの先ほどの口ぶりからすれば、シトとレイは貴重なタッグ戦のカモということになる――こうして挑発をすることで挑戦者の怒りを焚き付けておいて、後に引けない形にしているだけなのかもしれない。
だがその論調は、どこか人と感性の異なる、ピントのずれたもののように思えた。
「今日、俺はアクション映画を見たが」
内容を思い返す。退役軍人の主人公が、政府の陰謀で妹を殺された復讐のため、国家権力を相手に立ち向かうというものだった。
アクションシーンは派手な爆発と銃弾に彩られ、主人公は獅子奮迅の大立ち回りを見せたが、最後は腹に銃弾を受けて、相棒の運転する車の中で死ぬ。
「……現実にああいった人生を送りたいとは思わん。それとも貴様らは、小説やオペラや、漫画や新聞も、貴様らの言うところの……逃避のために鑑賞しているのか？ 否定はしないが、難儀な行動原理だな……」
「ははははは。強がりだなあ。それは人間の強がりだ。僕らは分かってるよ。本当のことをさ！」
「私達、君達より存在が上だからね」
「俺も理解した。――要は、遠慮せずに倒していい相手だ」
それだけを言うと、躊躇なくドライブリンカーを筐体に読み込ませる。
正常認識の青ランプが点灯し、転生レーンへのゲートが開いた。
「黒木田。タッグ戦だ。俺達が組むのは初めてだが、やれるだろう」
「だけど……あんなCメモリに対策なんてできるの？ ぼくらが挑発に乗ったら、また無駄に異世界が滅びるかもしれない……！」
「俺を信じろ。異世界転生の勝負を分けるのは、デッキ構築と戦略だ。……君の力が、必要だ」
「……分かった」
二人は同じ一つの転生レーンに立ち並び、中央筐体を挟んで、隣のレーンの敵と向かい合っている。酷薄にも見える仏頂面のままで、シトは呟く。
「純岡シト」
「シト？ はははは。なんだって？」
「名乗っただけだ。貴様らの名も聞いた気がするが、ハンドルネームか何かか？ どの道よく分からん名だ。名乗る必要はない」
「えー？ そう言われると名乗りたくなっちゃうなあ！ 嫌がらせたいなあ！ そういうもんだろ？ 僕はニャルゾウィグジイィ。覚えにくいならNでもニャルゾでも、好きな風に呼べばいいさ。別に構わないもんなあ？ ヨグォノメースクュア」
「ウン。私、Yで登録してる」
「……貴様らはアンチクトンとやらではないな？ そのCメモリはどこから手に入れた？ WRA以外に……そういうものを流通させている連中がいるのか？」
「それは、教えない」
ゴシックロリータの少女は、既に中央筐体のレギュレーション設定選択に取り掛かっていた。彼らにとってのこれは、一方的に転生者を蹂躙する娯楽なのだろう。
レギュレーション設定すら、対戦相手の了承を得ないまま進めている。
「ニャルゾウィグジイィ。これがいい。『疫病蔓延B-』。安全な世界なんて都合がよすぎる。不衛生じゃないと、本物っぽくないし」
「ははははは！ いいよ！ じゃあ、異世界の疫病を終息させた方が勝ち！ 2vs2のタッグバトルだ！」
「……」
純岡シトは、その瞬間に計算を開始している。
敵のCスキル。世界脅威レギュレーション。そしてタッグバトル――
百種を超えるCメモリの中から、八種。最適な戦略とデッキ構築を。
シトが有する最大の能力はそれだ。彼が若い人生の大半を費やしてきた単独救済は、幾通りものデッキ戦略を、実際の転生を通して確かめることができる鍛錬方法だ。
「――黒木田。この四つだ。どれをシークレットにするかも、貴様の実力に任せる」
「あ」
Cメモリを受け取ったレイは小悪魔めいて、むしろ嬉しそうに笑った。
「また『貴様』に戻ってる。本当よくないなあシト。よくないよ」
「……悪かった。だが、その、美少女と思っている……それは、心から……」
「ふふふふ。いいよ。ありがとう」
レイは細い首を傾げて、敵対者の二人に向き直った。
そして、真っ先にオープンスロットを宣言する。
「やあ。挨拶が遅れたね――ぼくは黒木田レイ。天才美少女中学生転生者だ！ オープンスロットに宣言する三本は、【超絶知識】【産業革命】【運命拒絶】！」
彼女の宣言を受けて、金髪の男は嘲るように笑った。
「ははははは！ レイちゃんかあ。うん、かわいいね。……じゃ、いつものでブッ潰そうかな。【異界肉体】【異界王権】【異界軍勢】」
「こんなゲームで調子乗って、かわいそうだね。【異界肉体】【異界災厄】【異界財力】――」
ニャルゾウィグジイィとヨグォノメースクュアのメモリは、金属のケース外装を持つ、やはり正規メモリとは明らかに異質のものである。
（いずれにせよ尋常のCメモリでないことは分かっている。俺の求める真実は――異世界転生で聞いてやる！）
既に戦略は立てた。オープンスロットのCメモリは、相手の提示を見た後でも変更することはできない。絶対の確信と共に、シトは宣言した。
「【超絶交渉】【政治革命】【不朽不滅】。予告しよう。貴様らは俺達に、決して勝てない！」
両陣営共に、公開したオープンスロットのCメモリをドライブリンカーに装填。所定位置に立つ。『ドライブリンカーを外さないでください』の警告表示とともにカウントダウンが進む。
「さーて。レディ……だっけ？ はははは」
「……レディ」
「レディ」
「レディ！」
転生者がその運命を委ねるのは、2mの転生レーンに鎮座する轢殺ブロック。二人を同時に殺傷して余りある質量は、カウントの終了と同時――
「「「「エントリー！！」」」」
ブロックが強力電磁石で射出され、短距離轢殺！
これこそが多人数救済！ 日常を象徴する市内デパートの一角にて、知られざる異世界転生が幕を開ける……！
――――――――――――――――――――――――――――――
この世界において純岡シトと黒木田レイが再会したのは、八歳の時点である。
歴戦の転生者である二人であれば、僅か八年で必要な言語系スキルを伸ばし終え、独り立ちに必要な根回しを済ませることも困難ではない。
もっともこれらの点に関しては、親や領主をも問答無用で説得可能な【超絶交渉】を保有するシトの側が、やや早くはあった。再会時にも、シトの方からレイの村を訪れていた。
子供一人の、疫病が蔓延した世界での長旅――Cメモリ【不朽不滅】の与える不死性なくして不可能な強行軍であっただろう。
「首尾よく合流できたはいいけど――シト。どういう作戦なんだい？ 敵のCメモリの正体だって分かってないのに、どうやって戦う？」
「残念ながら、俺もあのCメモリの正体は分かっていない。けれど俺はあの子が戦った試合の流れを聞いて、先ほどの試合でも終わり際の世界を見た。Cスキルの推測も不可能ではない」
時刻は白昼。山沿いに立ち並ぶ空き屋敷の一つを拠点として、彼らは作戦を立てている。
幼いながらに小奇麗な身なりのレイに対し、シトの姿は長旅で汚れきっている。
「例えば？」
「奴らのメモリの内【異界肉体】について仮定するなら、最初から生命力に関する全てのデータをカンストさせるCメモリだと推測できる。どんな軍勢も一撃で撃破され、勿論、俺達で挑んでも敵わない。【不朽不滅】以上の無敵の肉体……自分達だけは疫病で死なないと確信を持っていたからこそのレギュレーション選択だ」
「そんなCメモリがあったら、異世界転生そのものが成り立たないじゃないか！ そんなもの、一体どこから出てきたんだ……！ Dメモリだけでも頭がいっぱいなのに……」
「ドライブリンカーが正常に読み込んでいる以上、あるものはあると考えるしかない。限られた条件で全力を尽くすのが転生者だ。……俺の推測の続きを話す。【異界王権】はIPや血縁を無視して、指定した国家の最高権力として民を従わせるCスキル。【異界財力】は文字通り、無限の財力といったところだろう」
「まるで子供の考えたCメモリだ……あいつら、変だよ」
「……異世界転生にIPが導入されている理由が、今さらながらによく分かった」
――確かに、そのようにも思えるのかもしれない。
真に無敵の反則があるのならば、わざわざ危険を冒したり道義を貫いたりするリスクを負わず、ハーレムも作らず成り上がりもせず、必死に転生する他の転生者を冷笑して、何一つ功績を挙げずに生きることを賢いと思うようになるのかもしれない。
「だが、俺達は転生者だ。常に自分の意志で戦ってきた。――絡んでくる先輩冒険者。悪逆を尽くす上級魔族。人を苦しめる社会制度。相手が神でも、疫病でも、貧困でもだ」
「ふふ。そうだね。それに勝てるとしたって、あんな勝ち方はごめんだ」
「そして今回は俺達が勝つ。……俺は不死身だが、疫病に感染している疑いもある。迷わず屋敷に入れたということは、もう完成しているということだな」
「もちろん」
【超絶知識】【産業革命】【運命拒絶】。奇しくもそれは、純岡シトが全日本大会予選トーナメント決勝で用いたものとまったく同様のオープンデッキである。
そして、相手がIPによる勝負を完全に捨てている今……これら三種のCメモリのコンボは、消費IPを度外視して、ただ一つの発明を最速で生み出すためだけに組まれている。
「……これが、疫病の治療薬の試作品。この街の人にはワクチンも行き渡ってる。後はプラントの建設と大量生産体制だけだ」
「分かった。俺の【超絶交渉】があれば――！？」
一際明るく太陽が輝いたと見えたのは、一瞬だった。
それは天の炎だった。
【運命拒絶】を使う間すら与えられない。
雲一つない晴天から落ちた稲妻が、再会したシトとレイを諸共に焼き払った。
異世界の任意の地点に、自由自在に災害を落とすことができる。
それがヨグォノメースクュアのCメモリ。【異界災厄】。
――――――――――――――――――――――――――――――
純岡シト IP69,321 冒険者ランクD
オープンスロット：【超絶交渉】【政治革命】【不朽不滅】
シークレットスロット：【？？？？】
保有スキル：〈政治交渉A+〉〈話術A+〉〈早馬A〉〈逃走術B〉〈野外調理B〉〈エスコートB+〉〈体力持続B〉〈痛覚無視D〉〈医術C〉〈魔導：赤C〉〈魔導：緑B〉〈完全言語B-〉〈鑑定A〉〈服飾の匠B〉他9種
黒木田レイ IP11,109 冒険者ランクB
オープンスロット：【超絶知識】【産業革命】【運命拒絶】
シークレットスロット：【？？？？】
保有スキル：〈薬学S〉〈機械工学B〉〈医神の手D〉〈万能解読A〉〈全力集中C〉〈礼儀作法A〉〈魔導：青C〉〈魔導：緑C〉〈政治特権A〉〈完全言語D〉〈完全鑑定B〉〈麗しの偶像B+〉〈カリスマD〉他8種
ニャルゾウィグジイィ IP-20,351
オープンスロット：【異界肉体】【異界王権】【異界軍勢】
シークレットスロット：【？？？？】
保有スキル：〈格闘N/A〉〈話術N/A〉〈魔導：赤N/A〉〈交易言語N/A〉
ヨグォノメースクュア IP-1,188
オープンスロット：【異界肉体】【異界災厄】【異界財力】
シークレットスロット：【？？？？】
保有スキル：〈格闘N/A〉〈俊足N/A〉〈商才N/A〉〈魔導：黄N/A〉〈交易言語N/A〉
次回、第九話【不朽不滅】。明日20時投稿予定です。
