エピローグ
「異世界に転生してる間ってさ」
ネオ国立異世界競技場に隣接する大公園には、穏やかな、白昼の日差しが降り注いでいた。
公園に据え付けられた休憩用テーブルを囲む、若き転生者達がいる。
「その世界の魔法の仕組みや、こっちの世界でまだ発明されてない科学技術まで、なんでも分かるような気がするのに……そういう知識って、転生が終わった後はどこに行くんだろう。元の世界に戻ったぼくはやっぱりぼくのままだし、異世界でどれだけ賢くたって……そんなことも、まるでゲームとか、夢の中の出来事みたいだ」
黒木田レイは空を仰いでいる。雲一つない青い空。
平和な日常そのものである。ほんの一日前、この空から世界を滅ぼす災厄が迫っていたことなど、誰が信じられるだろう。
「知らねーよ……結局そういう反則で得た知識の類は、現実の俺達のオツムの程度に合わせてカットされるってことなんだろ」
不機嫌そうに片手で頬杖を突いたまま、大葉ルドウが答える。
彼は【超絶知識】によってこの現実の法則解明の片鱗を成し遂げすらしたが、あの戦いに参戦した転生者の全ては、一時間の経過に伴うIP揮発に従って、その力で転生者が成長を果たした知識やスキル、あるいは異形の姿も、Cスキルと共に失われていた。
一時は超人としてこの世界を救った彼らは、ただの中学生転生者のままだ。
それは、彼らが彼らのままでいられる救いでもあるのかもしれない。
「それって逆に、Cスキルの知識は借り物でも、異世界転生で経験したことは本物ってことじゃない? そっちの記憶は、この世界に戻ってもしっかりあるんだから」
口を開いたのは星原サキである。
一日前、異世界からの転生者がもたらした脅威は、エルの【運命拒絶】によって全て巻き戻された。【運命拒絶】は、上位世界の転生者に相当する者の記憶以外の世界事象を巻き戻すCスキルである。活性状態のドライブリンカーであの決戦へと挑んだ者が全てを覚えていたとしても、転生者ではない星原サキに世界脅威の記憶はない。
彼女は少し笑って、苺のチョコレートを口に含んだ。
「おかげで、アタシ達がこうやって平和に暮らせてるってことだよねー」
「ケッ。フワフワした話でいいこと言った気になってんじゃねェーぞボケ」
「だってアタシは全然覚えてませんしー。それより黒木田さんが戻ってきてくれたことの方が重大ニュースじゃん! ね、黒木田さん。これからどうするの?」
「どうするって」
美少女中学生転生者は、やや困ったように首を傾げた。
「……どうしようか。全然、これからのことなんて考えてないや。異世界転生は……やっぱり、また始めてみようかな。星原さんはどうしてほしい?」
「純岡クンの家にお世話になるとか?」
「え」
余裕と言葉を失って硬直するレイ。
一方、ルドウはまたしても舌打ちをする。
昨日には世界すら救ったというのに、彼は午前からずっと不機嫌なままでいた。
「つーか純岡だよ。クソ情けねえなあの野郎。あっさり負けやがって」
「あのさルドウ……一日目にあれだけ物凄い転生して、しかもこっちで異世界からの転生者まで倒したんだから、本調子が出なくて当然でしょ」
「いいや。あいつは全力だったね」
ルドウは断言した。彼だけではない。
純岡シトと戦ったことのある転生者ならば、誰もが確信できるだろう。
「あいつはどんな時でも、筋金入りの異世界転生バカだよ」
WRA異世界全日本大会、準優勝。
緻密な戦術で破竹の連勝を重ねた期待の新星の戦いは、その結末に終わった。
「おーい!」
遠くから駆け寄る小柄な少年がいる。剣タツヤだ。
「シト、もうちょっとで来るってよ!」
彼らは異世界において、世界を救世する英雄である。
それとまったく同じように、ごく普通の人生を謳歌する中学生であった。
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「……改めて、ありがとうございます。シトくん」
大会後の手続きを終えた後、純岡シトは再びこの控室を訪れた。
WRA会長エル・ディレクスは、微笑んで彼を迎える。
「君がいなければ、この世界は本当に滅んでいたかもしれません。もちろん、友人としてあなたに協力してくれた転生者や……ドクター日下部も含めて。皆がいてくれたから、私達は平和な今日を迎えることができました」
「……会長は、元の世界には戻らないのか?」
「ええ。私は、まだこの世界でやることがありますから」
「会長の世界救済はまだ終わっていないということだな」
複製元であるエル・ディレクスのドライブリンカーは、この世界の転生者と同様の仕様であるはずだ。つまり、この世界の真の脅威はまだ残っている。どれほど留まりたいと願っていても、世界救済が成し遂げられてしまった世界に、転生者が留まり続けることはできないのだから。
エルは、気まずそうに微笑む。シトはこの並行世界群の真実を知ってしまっていて、最初に会った時のような誤魔化しはもう通用しない。
「……この世界には、魔法がありません。可能性を消費する技術が世界に定着していないということは、それだけ世界の潜在的なポテンシャルが高いということです。私達の世界は、本来ならば多くの未来を選択できる――『高い』位置にあります」
「あの転生者達が、滅びに瀕した世界からの転生者だとしたら……」
「ええ。シトくんの推測通り。『低い』世界から『高い』世界を観測する、何らかの条件や技術が、この広い平行世界のどこかにあるということです。そうして観測されてしまっている世界が……レギュレーション『転生侵略』。より高いポテンシャルを有するが故に、転生者の手で滅亡させることで絶大なエネルギーを回収できる、最も救済難易度の高い世界――」
銀髪の少年は真っ直ぐに彼女の目を見たまま、揺らがなかった。
たった今エルが語った仮説についても既に辿り着いていたのであろう。
彼は純岡シンイチの息子だ。
「私やドクター日下部のしたことが、決して正義とは呼べないことは分かっています。けれどあらゆる試行の結果として……この世界を異世界の転生者から守るためには、他に選べる手段がないのが現実です。昔も、今も」
「……」
「……ごめんなさい」
エルは深く頭を下げた。両手を膝の上で握る。
「君達の世界を、めちゃくちゃにしてしまって……世界を変える重さを、君達に背負わせてしまって。私……私は、変えられると思っていた。世界を変える責任に……あなた達よりも、ずっと無自覚だったんです。その上、隠したかった真実も、守りきることができなかった。ごめんなさい」
「……いいや。むしろ希望が持てた」
エルは、息を呑んだ。
全く想像だにしない答えだった。
彼女は顔を上げて、シトの瞳を見た。真剣勝負の転生に挑む時と同じような……真剣な思考を湛えた、深くまで光を通す湖のような瞳。
「低い世界から高い世界を観測する技術。俺達のドライブリンカーと同じように、数ある異世界にはそのように世界の障壁を超える技術があるということだろう。それは文明かもしれない。魔法かもしれない。さらに言えば、もしかしたら……他の世界を犠牲にしなければ存続できない、並行世界のシステムを打破するきっかけであるかもしれない」
「君は……」
「俺は……アンチクトンのやり方にも、WRAのやり方にも賛同しない。だからこそ、新しい可能性を探す努力を果たす義務があると思う。そして、俺にできることがあるとすれば……それは異世界転生だ」
彼はドライブリンカーを握りしめた。生まれてから多くの時間を、彼はそれに費やしてきた。そして全日本で二位の実力を、この日に証明してみせたのだ。
「エネルギーの回収のためではない。俺は……この世界にはない、新しい可能性を探るために、異世界転生をしたい」
「ああ」
エルは口元を抑えた。この世界に訪れてからの記憶を、思い出すことができる。
……ドクター日下部。大葉コウキ。
彼女にも多くの出会いがあり、仲間がいた。長い旅に出た仲間がいた。
「い、いつか……同じことを言った人を、私は……知っています」
「……きっと、俺も知っている人間だろうな」
シトは立ち上がった。友人が待っているのだろう。
遠い昔にはエル・ディレクスにもいた、自分自身の世界の友が。
「異世界転生を、これからも続けるんですね」
「世界救済は、決して手放しで認められるような正義ではないのだろう。けれど俺は……何もしないことを選びたくはない。別の可能性を作るために……俺は、俺に出来る一つを選ばなければならない」
彼らは人間だからだ。善を選ぶことも、悪を選ぶこともできる。
自らのイニシアチブで、たった一つだけの可能性を選び取っている。
この世にいくつもの並行世界が生まれていくのは、人間だけが……無数の選択肢の中で、そのようにして一つだけの世界を選んでいくから。
「――シトくん!」
その背中に向かって、エルは呼びかけた。
「……私も、自分の選んだ道を止めはしません! 大会成績だけに囚われない強豪を全国から募って、全日本大会以上の規模の公式大会を開催するつもりでいます! 第一回WRA次世代異世界チャンピオンシップ! まだ異世界転生に挑むつもりでいるなら……君にも、参加してもらいたいんです!」
「ああ、会長。俺自身の実力で、参加の席を勝ち取ってやる……!」
白い廊下を、純岡シトは進んでいく。
一人の転生者として、これからも戦い続ける。
多くの真実を知る前の彼と、それは同じ選択であるのかもしれない。
それでも、今の彼は知っているのだ。
――シト。異世界転生は好きか?
あの時と何も変わらない。異世界転生が好きだ。
だからこそ異世界転生で、誰も傷ついてほしくないと願う。
……世界も。人間も。そしてそれを行う者自身も。
自分が何故戦うのかを、今の純岡シトは知っている。
「異世界転生で人を傷つける奴らを、俺は許さない」
――超世界転生エグゾドライブ!
それは異世界の勝負に文字通りの『人生』を賭ける、熱き少年たちの戦いである!