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【英雄育成】

「……この時を狙っていたんだね、シト」


 黒木田(くろきだ)レイは教会の様子の一部始終を、遠隔視のスキルで把握している。

 積み上げられた計画を横から突き崩す展開を前にしても、彼女には些かの狼狽えもなく、むしろ嬉しげな微笑みを浮かべてすらいた。


「きみには直接攻撃型の札しか残っていない――ぼくの計画に割り込むとしたら、そうするよね」


 C(チート)スキル【正体秘匿(アンノウン)】は、現在の身分を好きなように偽装し、それを周囲に信じさせることができる。ファルア教の高位聖職者達の危機をラダム教の騎士が救えば、それが両教団和解の大きな契機になり得るとシトは考えたはずだ。


「だけどきみは、ぼくの名前を出すしかない。ラダム教は救援の指示など出していないから。ぼくからラダム教への救援要請があったように既成事実を作って……ぼくが自分自身の手で、二つの教団の間を取り持たざるを得ないように仕向けているのか。ふふふふふふふふ……」


 無意味な試みだ。

 ――既に盤石無比の勢力を築いているレイが、この駆け引きに乗る理由などない。


 【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】によって序盤のアドバンテージを失ったとはいえ、婚約破棄イベントの後であればオープンスロットにある【超絶成長(ハイパーグロウス)】と【全種適性(オールマイティ)】の組み合わせによる成長は続いていたはずだ。シトは弛まぬ鍛錬で、『呪われし者』を一掃できる程度の戦闘力をこの終盤で得たのだろう。それだけだ。


「エリス。通話法術でアリシアを呼んで。あの黒騎士を始末させよう」


 その戦闘の領分ですら、純岡(すみおか)シトに勝ち目は残っていない。

 レイには、シトに成長機会を与えなかった転生(ドライブ)序盤から【英雄育成(トップブリーダー)】で育て上げた護衛がいる。C(チート)スキルによる成長は指数関数的な曲線を描く。成長ボーナスの獲得期間の差が、この終盤では歴然とした大差となって現れるのだ。

 さらに【不朽不滅(エバーグリーン)】を持つレイ自身には護衛の備えすら必要なく、陣営が有する最強の戦力を自在に動かすことができた。


「そ、それがッ……返事がありません!」

「……なんだって?」

「その、アリシアが……私はさっきから通話法術を使っているのですが……黙ったままで……!」

「――アリシアが!?」


 レイは、あり得る可能性について思考した。

 全てを無力化されたシトにも、一本だけC(チート)メモリが残されている。

 シークレットのC(チート)メモリ。


(【超絶交渉(ハイパーコミュ)】での調略。……違う。アリシアが不審な動きをしていたら気付けたはずだし、ぼくだって裏切り封じの【超絶交渉(ハイパーコミュ)】を持ってる。【後付設定(サプライズ)】。万が一それでアリシアを倒せたとしても、その後がない。【無敵軍団(ネームドフォース)】や【英雄育成(トップブリーダー)】……これなら【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】の影響下でも戦力を育てられる。でも、どうやって隠した? 【正体秘匿(アンノウン)】の効果は自分自身にしか及ばない! アリシアに匹敵する戦力をこの世界で育てていたのなら、ぼくに隠し通したままではいられなかったはず……!)


 転生者(ドライバー)が異世界で成長し力を奮うためには、IPを稼がなければならない。それは異世界転生(エグゾドライブ)の大原則だ。裏を返せば十分な成長を遂げている以上、名声を挙げずには(・・・・・・・・)いられない(・・・・・)はずなのだ。


 レイは、この世界のほぼ全ての情報と戦力を掌握している。状況を覆せるものはC(チート)スキルだけだ。

 ならば純岡(すみおか)シトは何をしているのか? どのようにして黒木田(くろきだ)レイの仕掛けた封殺から逃れたのか?


「……ああ」


 レイは椅子の上で背を丸めて、両腕の間に顔を伏せた。


「レイ様……」

「ああ……ああ。それでこそシトだ……! そうでなければ……強いきみじゃなければ、勝つ意味なんてない! シト……! ぼくはやっと、きみと戦っている。きみが、本当のぼくだけを見ている……!」


 遠隔視のスキルが、シトの戦いを伝えてくる。黒騎士が通り抜けるたびに『呪われし者』は粉々に飛び散り、黒雲の軍勢がたった一条の稲妻に引き裂かれるかのようだ。獅子奮迅の活躍が見える。


「レイ様……黒騎士がたった一人で『呪われし者』を全滅させて……! こ、このままだと、教会から貧民街を抜けて、この屋敷に来るのでは……!」

「……みんな、先に逃げて。彼とは、ぼくが一人で話をする」

「レイ様!」

「大丈夫。ぼくは死んだりしないさ。きみたちが傷ついてしまうより、そっちの方がずっといい」


 形の良い唇の両端を上げて、レイは微笑んだ。今の彼女は、かつてとは違う。


 絶対の自信と余裕がある。

 心の赴くままに振る舞って、そして勝利できる天才であるように。


――――――――――――――――――――――――――――――


「よく来たね」


 この世界でかつて会った日の再現のように、黒騎士とレイは一対一で対峙した。

 【不朽不滅(エバーグリーン)】で攻撃から守られているとはいえ、この騎士の実力ならば、レイを傷つけずに拉致拘束することもできるだろう――しかしこの世界で絶対の地位を築き上げたレイに対して、それはIP的な自殺行為だ。内政型による社会貢献の強みはそこにある。第一回戦でのあかがねルキがそうだったように、もはや【不朽不滅(エバーグリーン)】なしでも純岡すみおかシトが黒木田(くろきだ)レイを直接攻撃(ダイレクトアタック)することはできない。


「黒騎士くん。シトを連れてこなくてよかったの?」

「その必要はない。俺が純岡(すみおか)シトだ」

「……ふふふ。それは嘘だよ」


 シト本人では、あれだけの戦闘能力は発揮できないはずだ。婚約破棄時点からの【超絶成長(ハイパーグロウス)】では、IPと経験点を稼ぐだけの時間が絶対的に足りない。婚約破棄以前から他の誰かを成長させることのできる、【英雄育成(トップブリーダー)】以外にあり得ないのだ。


 故に、この黒騎士はシトではないとレイは判断している。

 今も別行動を取っていて、これとは別のアプローチでレイの作戦に干渉してくる。

 既に彼の作戦は始まっていて、この黒騎士すらも時間稼ぎの陽動なのであろうか。


「たった一人で、五分もかからず、あの軍勢を全滅させるなんて……【英雄育成(トップブリーダー)】で育てたぼくの護衛にだってできることじゃない。どんな裏技を使ったんだい?」

「……【英雄育成(トップブリーダー)】だ」

「やっぱり。それがシトのシークレットだったんだね」


 シトのデッキ構成は、【超絶成長(ハイパーグロウス)】【正体秘匿(アンノウン)】【全種適性(オールマイティ)】【英雄育成(トップブリーダー)】。内政でレイに対抗することなく、直接戦闘に全てを傾けた。

 【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】に対して絶対不利の札で、彼女に勝負を挑んできたのだと。


「違う」


 黒い甲冑の奥底から、謎めいた暗闇がレイを見つめている。

 正体の判然としない声色であった。


「俺が使ったのは貴様の(・・・)英雄育成(トップブリーダー)】だ」


 黒騎士が兜を脱ぐと、美しい青髪が中から溢れた。

 ……この世界の黒木田(くろきだ)レイにとっては、見知った髪の色だった。


「……アリシア……!」


――――――――――――――――――――――――――――――


「なんで……」


 星原(ほしはら)サキは、異常な事態を分析しようとした。

 何が起こっているのか。どのようなC(チート)メモリがそれを可能とするのか。


「まさか【正体秘匿(アンノウン)】でアリシアの姿に……いや、【正体秘匿(アンノウン)】は元々いる誰かの姿には化けられないはず……!? 何が起こってるの!?」

「いいところに気付きやがったな星原(ほしはら)。そうだ……つまりあれが【正体秘匿(アンノウン)】を使ってねえ、純岡(すみおか)の真の姿ッてことになる! 画面に黒木田(くろきだ)のイベントしか映らねえのも当然だ……! 純岡(すみおか)は、最初から黒木田(くろきだ)と一緒に行動してたんだからな!」

「それなら……黒木田(くろきだ)さんの【英雄育成(トップブリーダー)】の対象って、最初から――」


 【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】の効果は、試合序盤でのIP取得機会を奪った。その機会喪失を補うほどの驚異的な倍率で、シトの戦闘能力が成長し続けていたのだとすれば。


 ドライブリンカーは、同種のC(チート)メモリを重ねて読み込むことはない。【超絶成長(ハイパーグロウス)】に【超絶成長(ハイパーグロウス)】の倍率を乗算するような事態は通常は起こり得ない。

 だが、起こり得ない事態ではないのだ――自分自身が【超絶成長(ハイパーグロウス)】を使用した上で、他の誰かの(・・・・・)英雄育成(トップブリーダー)】の対象となっていた場合。

 (つるぎ)タツヤが叫ぶ。


「ああ。シトが最初からそうしてたなら……あの強さだって、むしろ当たり前だ……! 【超絶成長(ハイパーグロウス)】一本でも世界最強になれるってのに、あいつは二本分のC(チート)メモリでそうしていたんだッ! IP獲得計算が十七年目からだったとしても、余裕で間に合う成長速度だったはずだぜ!」

「わ、分からないよ……! いつから!? 黒木田(くろきだ)さんは気付かないままアリシアを育ててたの!? そもそも、こんなに姿が変わっちゃう転生(ドライブ)なんて……」

「……いいや。あるんだよ、星原(ほしはら)


 大葉(おおば)ルドウが答える。【正体秘匿(アンノウン)】が発動している中でも、観客の視点からはIP変動や発生イベントを見ることができる。

 転生(ドライブ)中の黒木田(くろきだ)レイの視点からは分からないのも無理はない。彼女も観客としてならば、表示の不自然さでシトのシークレットに気付くことができていただろう。


「そいつは……たとえば黒木田(くろきだ)が使っても、そういうことにはならねェ。外江(とのえ)や、星原(ほしはら)……テメーが使っても、見た目まで変える効果はねえ。それでも、星原(ほしはら)。スキルの効果としてある以上、記述されていることは絶対に起こる! 絶対にな! そいつがC(チート)メモリのルールだ!」

「待って、どういうこと……!? 使う人によって効果が違うなんて、そんなC(チート)メモリがあるわけ!?」

「俺が今言った奴らの共通点が分かるか」


 異世界における転生体(アバター)は原則として転生者(ドライバー)と酷似した容姿と名前を持ち、異世界転生(エグゾドライブ)を見る者はそれを当然の前提として受容している。

 だが……たとえば、【人外転生クリーチャー・エボルブ】がそうであったように、その原則を破るメモリは存在する。D(ダーク)メモリですらない、一般に流通するC(チート)メモリにおいても。


「――『女』ってことだ!! 純岡(すみおか)は、正体の《《二重偽装》》を仕掛けやがった!!」


――――――――――――――――――――――――――――――


「そ、そんな……嘘……最初からアリシアの振りをして……!? 違う……そんな、そんなはずはない……」


 黒木田(くろきだ)レイも、刹那の思考を総動員して、あり得ない事態を飲み込もうとした。


「だって、アリシアはちゃんと身元も分かってる……ぼくは、だから、婚約破棄の前からの使用人に【英雄育成(トップブリーダー)】を……エクスレン家の、ぼく付きの使用人に……」


 レイの脳裏に浮かんだのは、かつての自分自身の言葉。

 ――エクスレン家に仕える家柄である以上は、帰るべき、相応しい身分の家があるはずだ。

 優れた家柄に生まれついた、子女。


「シト……!」


 だからこそ、シトはあのタイミングで奇襲を仕掛け、そして失敗したのだ。

 レイ自身にシトの正体を看破させることで、身元の定かではない者がシトの【正体秘匿(アンノウン)】であると、先入観を固定するために。直接攻撃(ダイレクトアタック)以外の切札が残っていない、手詰まりの状態だと誤認させるために、あえて攻撃を。


 アリシアがレイに差し出した腕には、ドライブリンカーがある。

 紛れもない、この世界における転生者(ドライバー)の証が。


「……あの直接攻撃(ダイレクトアタック)の時点で俺が危惧していた可能性は二つ。貴様のシークレットに【絶対探知(フラグサーチ)】があり、別の手段で暗殺を阻止してくる可能性。あの時点で明らかに強すぎる(・・・・)戦力の程を露呈してしまう可能性。それでも俺がアリシアであると看破されない保証が、あの時点で欲しかった」

「ぼ、ぼくは……アリシア。一番戦闘スキルの適性がある一人を、【英雄育成(トップブリーダー)】の対象に……」

「【正体秘匿(アンノウン)】ならば、直接視認した際のステータス表示を欺くことができる」

「……【全種適性(オールマイティ)】を、そのために使ったのか……。ぼくがどんな方向でスキルを育成したとしても、【全種適性(オールマイティ)】なら……全部のスキルツリーを伸ばせるから……」


 大胆で、先入観を覆し、そして敵の裏をかく、異世界転生(エグゾドライブ)の申し子。


 アリシアは……純岡(すみおか)シトは今、シークレットを明らかにする。

 レイが何よりも見慣れたC(チート)メモリを。

 上流階級の令嬢に転生する。元の性別がどちらであっても、それが起こる。


「――【令嬢転生(マイ・フェアレディ)】」


――――――――――――――――――――――――――――――


純岡(すみおか)シト IP228,234,578 冒険者ランクA


オープンスロット:【超絶成長(ハイパーグロウス)】【正体秘匿(アンノウン)】【全種適性(オールマイティ)

シークレットスロット:【令嬢転生(マイ・フェアレディ)

保有スキル:〈旋死短剣SSSS+〉〈無影の理SSS+〉〈戦術糸SSS〉〈ファルア法術SS〉〈不死なる種子SSS〉〈殺滅六重SS〉〈自動迎撃SSS〉〈分身SS〉〈瞬間退場SSS〉〈完全追跡SS〉〈影同化SS〉〈礼儀作法A〉〈完全言語B〉〈完全鑑定C〉〈掃除B〉〈調理A〉〈庭師B〉〈絶止の盾SSS〉〈姫の介添SSS〉他46種



黒木田(くろきだ)レイ IP636,198,629 冒険者ランクS


オープンスロット:【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】【超絶交渉(ハイパーコミュ)】【英雄育成(トップブリーダー)

シークレットスロット:【不朽不滅(エバーグリーン)

保有スキル:〈政治交渉SS+〉〈籠絡SS+〉〈礼儀作法SS〉〈宗教指導A〉〈大扇動SS〉〈軍勢指揮A〉〈美貌の所作SS〉〈完全言語S〉〈完全鑑定A〉〈カリスマA+〉〈農業A+〉〈公共事業S〉〈ファルア法術A〉他29種


――――――――――――――――――――――――――――――


「【令嬢転生(マイ・フェアレディ)】の効果で令嬢に生まれ変わった……だから女の子に……で、でも、そんな……! そんなめちゃくちゃな戦術、読めるはずがない! だっていくら家柄があっても、敵対する教団の家に生まれたかもしれない! 違う国の貴族かもしれない! 都合よく黒木田(くろきだ)さんの使用人になれたはずがないもの……!」

「そうだな……実際、アリシアの生まれは黒木田(くろきだ)の国の大陸のほぼ反対側だったはずだぜ……! シトは……そういうギャンブルに勝ったってことかよ……!」


 星原(ほしはら)サキとつるぎタツヤの会話を、ルドウは苦々しい表情で聞き流している。

 当初からこのような戦いを予定していたわけではなかったはずだ。シトのオープンスロットは、三種全てが直接戦闘型。【正体秘匿(アンノウン)】でプレッシャーを掛け、内政型を用いるであろうレイのシークレットを【不朽不滅(エバーグリーン)】に導くことで不確定要素を潰し、堅実に戦えるデッキ構成であっただろう。


 故にあの黒木田(くろきだ)レイすら、このような無謀を読み切ることはできなかった。


(――できたんだよ。純岡(すみおか)には)


 この試合が始まる直前に、純岡(すみおか)シトはそのC(チート)メモリの存在を認識している。無論、大葉(おおば)ルドウはそれを知っている。

 彼はその知識を、すぐさまこの転生(ドライブ)に応用してみせた。


(俺達には【基本設定(ベーシック)】がある。【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】にイベントを封じられて、1ポイントたりともIPを獲得できなかったとしても……努力ができるんだ(・・・・・・・・)。それだけで何にだってなれるし、同時に自分のままでいられる、最強のC(チート)スキル――)


 この広い異世界の全土から、レイの転生体(アバター)である令嬢を特定し、あらゆる能力をつぎ込んで……人生の全てを投げ打ってでも、彼女の従者として。


(何のサポートもない状態から十七年の年月を使って……それをやったんだ……!)


 黒木田(くろきだ)レイの【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】がなければ、あり得なかった戦術のはずだ。

 他の転生(ドライブ)で同じことを仕掛けたとしても、対戦相手の従者として潜り込む努力を行う間、敵はIPを稼ぎ続けることができる。自分自身の戦術を実行するほうが、余程効率的だ。故に、あり得ない。


 ――両者ともにIP獲得が凍結している、このような状況下でもなければ。


「問題は……問題は、純岡(すみおか)が何をしたかじゃねえ」


 ルドウは低く呟く。だからこそ、不可解なのだ。

 幾重もの研鑽と綱渡りの末、シトはここまで辿り着いた。不利ではあっても堅実な戦い方を捨てて、通常あり得ない戦術に舵を切った。


「……勝てるはずがねえんだ。そんなことをしても」


 何故、そうしたのか。


――――――――――――――――――――――――――――――


「わ、わからないよ……」


 異世界のレイも、同じ困惑とともに呟いた。


「アリシアが……アリシアの正体がきみだったからって、何になるっていうんだ!? きみはぼくの従者じゃないか!? きみがどれだけIPを獲得したって、いくらでも、ぼくの功績にしてしまえる! こ……ここからの逆転は、不可能だ!」

「……そうだな。俺は勝てない」


 シトは正直に告白した。

 かつてのシトであったなら、それを認めることは容易くはなかっただろう。

 【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】は圧倒的なD(ダーク)メモリだった。この奇策を以てしても覆しきれなかったほどに。


「だが、それでも……貴様は人を殺していない」

「え……」

「いざという時には、俺がこの手で止めなければならないと……直接戦闘では勝てないと宣言された時に、最初に考えたことはそれだ。その迷いが……この【令嬢転生(マイ・フェアレディ)】を手に取らせた。直接攻撃(ダイレクトアタック)を隠れ蓑にした二重偽装だけではない。少しでも貴様に近い立場に転生(ドライブ)するために……」

「違う……ぼく、ぼくは……アンチクトンの人造転生者(ドライバー)だ……!」

「アンチクトンとして、虐殺を仕掛けるタイミングはこれまで何度もあった! だが貴様は……この決着の盤面までそうすることはなかった! 何故だ!?」


 アリシアの手が、レイの指先を強く引いた。

 華奢な令嬢は従者の力に逆らうことができず、腰掛けていた椅子から立たされた。


「それ、それは……きみのせいじゃないか……! きみにはもう、何も打つ手がないって思ったから……だから、殺さなくても……手を汚さなくても、勝てるかもしれないって……ああ……」


 ――それが、シトの直接攻撃(ダイレクトアタック)のもう一つの意味であったとしたら。

 見えている全てのC(チート)メモリが無力であることを知らせて、滅ぼすまでもなく(・・・・・・・・)勝てるのだ(・・・・・)と思わせたかったのなら。


「貴様は……誰も殺してはいない。貴様に暗殺を指示された要人は、死体を偽装して俺が保護した。ファルア教の者にもラダム教の者にも、貴様が助けを寄越したと伝えている。俺は……俺は、君に人を傷つける異世界転生(エグゾドライブ)をしてほしくはなかった」

「……っ……!」


 静かだ。涙に滲むレイの視界には、アリシアの姿をしたシトだけがいる。


 屋敷の外には、雨音が響いている。そして人々の声が。

 彼らは生き残ったのだ。シトが助けたから。本来ならば、滅びを前にしたファルア教の要人の前に姿を現し、罪を糾弾して……そうして、【悪役令嬢(ネガ・フェアレディ)】であるレイが、IPを手に入れるはずだった。


「きみに……!」


 優しい異世界転生(エグゾドライブ)など、するつもりはなかった。

 情を捨てて、今こそ純岡(すみおか)シトに勝てるはずだった。そうだというのに。


「……きみに、ぼくの何が分かるんだ、シト! 本当のぼくの、何が分かる! きみがめちゃくちゃにしてしまったのに! ぼくも……ぼく自身にだって、ぼくが分からないのに!!」

「ああ、わからない!」


 腕を掴んで、シトはレイを強く抱き寄せた。彼は……彼女は、間近で言った。

 澄んだ氷のような瞳。虹彩の奥底には、純岡(すみおか)シトの面影がある。


 ――何故、今になるまでそれに気づけなかったのだろう。


「俺は、優しさを持つ黒木田(くろきだ)レイが好きだ! だが、それは俺から見た君だ……! ……君が悪でありたいと願うのなら、その願いも含めて君であるかもしれない! 黒木田(くろきだ)……! それは、俺が決めつけられるものではない! 君以外の、誰にも! だから、この異世界転生(エグゾドライブ)は……!」


 人々の声が聞こえる。悪役であるレイを、彼らは糾弾しているのではない。


君に(・・)決めてもらうことにした!」


 シトの言葉の意味が、レイにも分かった。


 彼らは感謝している。

 黒木田(くろきだ)レイこそが全てを仕組んだ悪役であるのに……命を救われたことを、ラダム教との架け橋となってくれたことを、何も知らずに感謝している。


「俺の為した功績は、君自身の指示だったと告げることができる! 黒木田(くろきだ)……! 俺には確実な逆転の手段など、何もなかった! 血を流すことのない世界救済を望むのならば、君が今、勝つことができる! だが……だが、黒木田(くろきだ)! 君がもしも真に悪を望むのなら……それを貫き通して、敗北したっていい!」

「ぼく……ああ、違う……ぼくは……! シト……違うんだ……」


 世界を滅ぼしたくはなかった。シトに勝つために、悪にだって手を染めたかった。

 本当の自分になりたかったが、レイにとって、どちらが本当だったのだろう。何もかもがぐしゃぐしゃになって、涙となって溢れ出ていくようであった。


「レイ様!」

「これで、ようやく戦いが終わります……! ありがとうございます! レイ様!」

「叡智の聖女に祝福あれ!」

「すまなかった! 君は素晴らしい女性だった!」

「あなたこそが、本当の救世主でした! レイ様!」


 ――勝てる。

 黒木田(くろきだ)レイはようやく、望んだ執着を断ち切ることができる。


 彼らの前に出て、全ては自分の功績だと告げるだけで。

 純岡(すみおか)シトに、勝てるのだ。


「……あ、あああああ……!」


 シトに体を預けて、すがりつくように、レイは泣いていた。

 彼は静かに令嬢の背を撫でて、アリシアとしての言葉を告げた。


「……。ずっと……貴女のことを見守ってまいりました。レイ様」


 異世界には、時折このような言動をする者がいる。転生者(ドライバー)の本来の人生を知る由もないのに、【基本設定ベーシック】で制御されているに過ぎない転生体(アバター)の人格を見て、彼女らを理解したつもりでいる。

 ……けれど彼らは人間なのだ。


 一人ひとりに意思があって、彼らの人生を生きている。

 紛れもない、人間。


「そうじゃない。ぼくは、ぼくはそうじゃないのに……!」

「いいえ。救われる者にとって……この世界の全員にとって、貴女はそうなのです。貴女は……とてもお優しくて、聡明な。私達の主。お慕いしております。レイ様」


 黒木田(くろきだ)レイは、ドライブリンカーの降参(サレンダー)ボタンを押した。

 自分自身の善悪を自ら決めてしまうことに、耐えることができなかった。



 WRA異世界全日本大会第二回戦。

 世界脅威レギュレーション『宗教対立A』。


 攻略タイムは、25年1ヶ月15日1時間4分33秒。


――――――――――――――――――――――――――――――


「……ひどいよ」


 現実に戻るや否や胸に飛び込んだ華奢な体を、シトは何も言わずに受け止めた。レイは何度も彼を責めた。異世界でもそうだったように、彼の胸に表情を隠して。


「ひどいよ。ひどいよ。ひどいよ……ひどいよ、シト……」

「……すまない。俺には……君の苦しみを解くことができないのだろう」

「分かってるよ……そんなの……ああ……」


 千々に乱れてしまったレイの心は、決して元通りになることはないのだろう。

 こんな苦しみを味わうことのない自分でいたかった。心の鎖から解き放たれて、自由に、心の赴くままに異世界転生(エグゾドライブ)を戦っていられる自分でいたかった。


 ――純岡(すみおか)シトに恋することのない自分でいたかった。


黒木田(くろきだ)……お、俺は……こんな……こんなところで言うことでは、ないかもしれない……だが……」


 シトはその言葉を告げるために、極度の努力を要しているようであった。


「……善でも悪でも、どちらでもいい。君が好きだ。黒木田(くろきだ)レイ」

「ひどいよ……シト……本当に、ひどいよ……」


 嬉しいなどと思いたくないのに。

 天才で美少女で、転生者(ドライバー)でなければならないのに。

 シトを抱きしめたまま、彼の目を見た。観客の喧騒も、決着を告げる司会の声も、何も聞こえなかった。シトの鼓動だけが聞こえていた。

 彼がレイの全てを奪ってしまったから。


 だから、次の一つを奪わせた。


「…………っ……!!??」

「……ふ、ふふふ。悪いぼくでも、かまわないんだよね……?」


 重ねた唇を離しながら、レイは精一杯邪悪に微笑んでみせた。

 暖かな涙が頬を伝って落ちるのが分かった。


 少しでも長く。愛する一人とともに。

 ……だがその時間も、いずれ終わりを告げる。


「――やはり君は失敗作だったな! 黒木田(くろきだ)レイ!」


 純岡(すみおか)シトは、反射的にレイの体を引き寄せて庇った。


 絶大な身体能力で彼女の背後に飛び降りた影は、鬼束(おにづか)テンマ。

 そしてテンマの太い腕に抱えられた小柄な老人は、ドクター日下部(くさかべ)である。


「アンチクトン……! 彼女に手出しをするなら……俺も容赦はしない!」

「……ククククク! 早まるな……! 用があるのは君だ、黒木田(くろきだ)レイ!」


 ドクター日下部(くさかべ)は心底愉快そうに笑った。

 片眼鏡からの視線を受けて、レイは端正な顔を悲痛に歪めた。

 そうだ。彼女は、アンチクトンの任務を果たすことができなかった。


「ああ、ドクター……」

「……知っているだろう、黒木田(くろきだ)レイ。罪悪を感ずることのない人造転生者(ドライバー)異世界転生(エグゾドライブ)の脅威から世界を救うためだけの兵器が、君の本質だ! だが、まさか……! ク、クククククク!!」

「……ご、ごめんなさい、ドクター……」

「何を謝ることがある!! もう一度言うぞ! 君は失敗作なのだ!!」

「貴様……ドクター日下部(くさかべ)!」

「いいか黒木田(くろきだ)レイ! 単一のイデオロギーや正義で動くことなく、時に善を、時に悪を為し! 思考も行動も、状況に伴い相互に矛盾する! それはもはや兵器ではない!! そのような不確定要素で作動する存在を、我々は兵器として運用できない!!」


 シトの存在を意に介することもなく、ドクター日下部(くさかべ)は喜々として続けた。

 両手を広げ、まるで祝福を告げるかのように。


「君は立派な人間の成功作(・・・)だ! まさか兵器を作るべくして、人間を作り出すことになってしまうとはな!! 実験の結果とは、かくも予想できぬものよ! ククククク!! クハハハハハハハ!!!」

「ドクター……」

「ククハハハハハハハハハハ!!!」


 ひとしきり哄笑を響かせた後で、老人は踵を返した。


純岡(すみおか)シト。君には感謝するぞ。これからの彼女を、君が生かすのだ。情熱。対抗心。尊敬。嫉妬。劣等感。愛。黒木田(くろきだ)レイは……君が真に心を与えた人間だ」

「……ドクター日下部(くさかべ)。貴様は……」

「クククク! ……まさか、私の善悪でも問いたいのか? どちらであろうと、我が子の幸せを喜ばん親はおるまい!」


 去っていく白衣を見送りながら、シトは立ちすくんだままでいる。

 ――アンチクトン。黒木田(くろきだ)レイもまた、アンチクトンであった。シトと相容れぬ敵であり……しかし、滅ぼすべき邪悪であるのか。

 シトにとっての、その敵の象徴である男が今この場にいる。

 腕を組んだまま、鬼束(おにづか)テンマが口を開く。


「開会式での発言は撤回しよう。君は『捨てる』ことのできる転生者(ドライバー)だった。転生ドライブを貫く信念のために……自らの確実な勝利すらも捨てた。それは紛れもない強さだ」

「……鬼束(おにづか)テンマ」


 黒衣の敵が、一つの壁のように立ちはだかっている。


「だが、私は黒木田(くろきだ)レイとは違うぞ。純岡(すみおか)シト。世界を滅ぼすことに、私は一片の迷いもない。私は、アンチクトンの一つの兵器だ」

「次の対戦相手は」


 テンマは、既に第二回戦の勝利を収めている。

 共にトーナメントの道筋を進める先は、異世界全日本大会、準決勝。


「――貴様か」

次回、第二十三話【例外処理】。明日20時投稿予定です。

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[良い点] シト、レイ、ドクター、テンマ、 みんなアツいセリフを吐きやがる。 どいつもこいつもカッコいいぜ!
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