【基本設定】
「実際に体験して、一つ分かったことがある」
敗北を喫したシトは、帰還の直後に率直な所見を述べた。
先に転生レーンを降り、背後のルドウへと向き直る。
「それはデパートの連中のCメモリとは違う」
その指摘には、大葉ルドウも複雑な表情とともに首肯した。
「――だろうな。【不正改竄】【絶対探知】【不朽不滅】【針小棒大】……俺の目論見の通りに機能したコンボだが、想定ほどに無敵でもねェ。ルート解析とバグ実行のための試行時間のロスが、【針小棒大】一本頼りのIPじゃあ普通にきつい」
「俺は【達人転生】で代用したが、仮に外江が【弱小技能】で同じ戦術を使ったならば、さらに厳しいだろう。剣のような純粋速攻型との相性も悪い。強みに関して言えば、相手の妨害札の殆どを無意味化できて、長期戦狙いのデッキに対しては奇襲的に勝てることだな」
「ケッ」
ルドウは頭をガシガシと掻いて、転生レーンから降りる。
【不正改竄】は強力なCメモリだ。シークレットで運用すれば、今回以上の脅威となり得ることも確かだっただろう。
しかしIP計算上のリスクや要求技術を鑑みれば、それは釣り合う範囲のリターンではある。シークレットを含めた全てのスロットでコンボを組む必要上、構成もほぼ固定となる。ならばシトにそれが可能だったように、高レベルの転生者にあっては正規のCメモリでも拮抗し得るものであるかもしれない。
「そもそもCメモリはドライブリンカー側が正常に読み込んだ時点で、コストとリスクが判断されて自動調整される代物なのかもしれねェな。考えられねえくらいのリアルタイム演算で転生者の行動と組み合わせパターンを予測する必要があるんだろうが……そこは超技術のドライブリンカー様だ。あり得ねえ話でもねえ」
「その【不正改竄】はWRAがまだ開発に至っていないCメモリ――さしずめ、Pメモリとでも言うべきか。バランス調整が働いていないデパートの連中のメモリは、根本的に違う原理で動いていたと考える他なさそうだ」
「ケッ。無敵のメモリを目指して出来た代物がこれじゃあ、まだまだ全然割に合わねえ。また別のやつでも作るか……」
「作る……か」
シトは黙考した。適切な技術と知識さえあれば、この世界でも新たなCメモリを作ることができる。試合前にルドウが言ったように、WRA以外のどこかの組織……それこそ個人であっても。
未だこの世にないCメモリを開発し、運用する組織。それがアンチクトンであるのだとしたら、何を得るためにそこまでの計画を立てているのか?
何よりも……異世界を滅ぼす転生スタイルは、異世界転生の存在意義に根本から反している。
異世界転生の意義は滅びゆく異世界の救済であり……
(……いや。それならやはり、異世界転生という競技に意味などないのか?)
「でもさ、ルドウ! それってやっぱり凄いCメモリだよ」
研究室を横切って、星原サキが駆け寄った。
「そのCメモリがあれば、いくらでも異世界を救えちゃうんじゃない? もしかしたらルドウって、一番皆のためになるメモリを作ったんじゃないかな」
「アホか。異世界転生はボランティアじゃねーんだよ。俺は勝つためにやってんだ」
「うおお、転生のログもあるぞ!」
ちょうどその時、PCで試合記録を覗いていた剣タツヤが感嘆の声を上げた。
「すげえなルドウ、救いまくりじゃねーか! 半年で200回以上も単独救済――」
「だ! ま! れッ!!」
タツヤの小柄な体は全力疾走のドロップキックで吹き飛ばされ、片隅に放置されたままのペットボトルゴミの袋に頭から沈んだ。
「動作くらい検証するに決まってんだろ! 不正規メモリなんだからよ!」
「……フ。なるほど。単独救済で検証していたせいで、対戦時のIP挙動までは事前に分からなかったわけか」
「ああ? 笑えよ純岡。お陰でこんなバカに負けちまった!」
「バカとはなんだこの野郎ーッ! いきなり蹴り飛ばしやがって!」
「うるせェーぞバカ! レンチでブン殴ってやろうか!」
奥で掴みあいの喧嘩を始めるルドウとタツヤを眺めつつ、シトはふと呟いた。
「……世界救済か」
「どうしたの?」
「いや……星原の言う通りだと思った。大葉の【不正改竄】は、奴にしか扱えないCメモリだ。俺には推測するしかないが、手順を間違えれば身の危険も伴うのだろう。それでも、異世界転生の大義名分は世界救済だ。仮に、誰もが即座に世界を救えるようなCメモリがこの先開発されるとしたら……この競技が存在する意味もなくなるのかもしれないと思っただけだ」
「ふーん……」
世界を破壊する異世界転生。シトがその目で見てきたアンチクトンやニャルゾウィグジイィらの蛮行は、許してはならないものだと感じる。
だが、世界救済の大義名分を理由に彼らを許さないとすれば……競技なしに世界を救済する手立てが生まれ、転生者が異世界に必要とされなくなってしまったその時には、純岡シトはどうすればいいのだろうか。
シトには異世界転生以外のものが何もない。もしもその世界が……例えばアンチクトンが進める計画によって根本から覆されることがあるのだとしたら、彼のその後の人生はどうなるのだろうか? それは、今までに想像したこともない種類の不安だった。
「なんとかなるんじゃない?」
星原サキは特段悩む様子もなく、無責任に答えた。
「ええっと、うまく言えないけどさ。タツヤだって怪我で野球部やめるしかなくなっちゃったじゃん? ああやってルドウと喧嘩したりもするけど、ルドウもタツヤの右脚だけは蹴ったりしないんだよね」
シトが初めてタツヤと出会ったとき、その右膝には包帯が巻かれていた。
右靭帯損傷。再建手術をしない限りは、元のようには走れないのだという。
ニャルゾウィグジイィは、異世界転生は現実に満たされない者の逃避の手段だと主張していた――かつてのシトが、タツヤをそう見て取ったように。
少なくともあの日の剣タツヤは、再び全力で走ることのできる異世界を求めていたに違いない。だが。
「でもタツヤは異世界転生を始めたって、やっぱり全力だった。好きだった野球ができなくなっちゃってもさ……こうして異世界転生に一生懸命になってくれて、なんか、アタシが思う筋合いじゃないかもだけど。凄く嬉しいよ」
「……」
「だから、なんだろうな……! 野球も異世界転生も同じっていうかさ……いつまでも異世界転生が流行る保障なんてないし、もしかしたら怪我や病気で異世界転生を続けられなくなっちゃうかも。……それでもあたしは、その時の人生を一生懸命生きてる人に、次がないなんて思わないよ。異世界転生だって人生じゃない?」
「そう……なのかも、しれないな。俺には異世界転生しかないと思っていたが……案外、なんとかなるのかもしれない」
大葉ルドウを見る。思えば今日のシトは、互いに力を尽くした末の敗北を受け入れることができた。父が異世界へと消え、転生による救済と勝利だけが存在意義であった頃の彼は、そうではなかったはずだ。
外江ハヅキに再び挑むため全日本大会予選トーナメントへの出場を決め、自らと同じ動機で立ち向かってきた黒木田レイを下した。剣タツヤに勝つために、彼の心を読もうとした。ハヅキ以上に強大なる壁、鬼束テンマ。アンチクトン。レイと過ごした休日――
そして、今日。純岡シトには、今は友人すらいる。
異世界転生以外のものなど何もないはずだったが、純岡シトには、いつしか異世界転生以外のものが増えてきている。
「おいテメー! 書類引っくり返すんじゃねェよ!」
「ルドウが蹴った段ボール箱だろ!」
遠くの喧騒の余波で舞い散った古い書類の束を、何気なく拾う。
内容を一瞥する。中学生では到底理解の及ばない、異世界転生理論に関する論文だった。
「……これは」
「どしたの?」
シトは動きを止めた。その目は、論文の上段に釘付けになっている。
肩越しに覗き込んだサキにもその理由は分かった。
「――ちょっと! ちょっとルドウ来て! 喧嘩してる場合じゃないよ!」
「なんだ……あァ? テメーら書いてあること分からねーだろ」
「そうじゃなくて……ここ!」
サキが示した箇所は、著者欄であった。
日下部リョウマ。大葉コウキ。……そして純岡シンイチ。
「……俺の……父さんの名前だ……」
「よこせ」
表情を真顔に戻して、ルドウはその文章を読み始めた。
「……何故……父さんの名がそこにある!? 貴様の研究所とはどういう関係だ!」
「あァ? 俺の方が聞きてえよ。こんな箱に突っ込まれて随分放置されてた、昔の論文だしな……だが、ざっと読んだ感じだと純岡シンイチは試作機のデータ計測者……さしずめドライブリンカーのテスト転生者ってとこか」
「父さんも……転生者だった。ドライブリンカー開発に関わっていたというのか」
「知らねえよ。だが、待った……このタイトルは、そうか」
説明を飛ばして、ルドウはキーボードを素早く打鍵し、迷路のように入り組んだフォルダを開いていく。そうして、一つのソフトウェアを起動した。
「『基準慣性系における並列可能性座標から基準可能性座標へのEXD効果抑制に関する所見』……」
画面内の情報と論文の図を見比べながら、もう一度表題を口に出して読む。
彼が表示したソフトウェアは、どこか別の施設の観測結果を折れ線グラフとして表示しているようであった。
「マジか」
「どうした」
「デパートの話は三週間前だったな、純岡」
「……この日だ。確かに」
平坦であったグラフが、ある一日だけ大きく振り切れ、波打っている様子だけが分かる。シトがデパートで戦った、あの一日だけが。
「こんな観測記録、めったに開かねえ。表題見るまで思いつかなかった可能性だったが、ビンゴだ。こいつは想像以上の厄ネタかもしれねえぞ」
「並列可能性座標から基準可能性座標……この並列可能性座標というのは、異世界のことでいいのか? つまり、この世界からの転生――」
「違うだろ純岡。国語の問題だぞ。基準可能性座標『への』だ。この論文が言ってるのは、俺達が転生するって話じゃあねェ」
グラフは、物理定数の局所的な揺らぎを表している。
それはまさしく、こちらの世界で発生したC現象の観測結果であった。
「異世界から(、、)こっちの世界に転生してきている奴がいる」
「…………」
「嘘……でしょ……?」
すぐ隣に立つサキの反応も、遠くから聞こえるように思えた。
(――デパートの二人)
あの二人について、そうした可能性を危惧してはいた。常識も、使う力すらも異質な存在。……それはシトの遭遇したことのない存在であったが、同時にひどく見慣れたものでもあったのだ。故に、そうだとは思いたくはなかった。
異世界の住人にとっての転生者こそが、まさにそうなのではないか。
「大葉。この件について、もっと深く調べることは可能か? 俺の父さんのことも、ドライブリンカーのことも、異世界のこともだ」
「……だから俺の論文じゃねェし、そもそも相当昔の話なんだよ。中学生の伝手じゃあ、この関係者に連絡がつくかどうかすら分かったもんじゃねえ」
「だがしかし、これは俺達だけで抱えているべき問題ではないはずだ」
「そ、そうだよ……! それに、異世界のこともそうだけど……純岡クンのお父さんの手がかりがあるかもしれないんでしょ!?」
「……チッ」
大葉ルドウは親指を噛み、しばらく逡巡していたようであった。
小さく、意味の掴みかねる一言を漏らす。
「【基本設定】の件を使うか……」
「何……?」
「いや。忘れろ。さっきはああ言ったが、中学生だからこそ接触できる奴もいなくはねえ。しかもそいつは、まさしくドライブリンカーの……本物の中核関係者だ。とはいっても、マジにできるかどうかはテメー次第の話だがな……」
「俺……? それは、つまり」
シトはルドウの言葉の意味をしばし考え、そして辿り着いた。
「……全日本大会か。そうか、WRA会長が開会式に来る……!」
「理解が早ェな。だが、やる度胸はあるか? 純岡」
日本最強の中学生転生者を決する、全日本大会。
そこに公然と乗り込み、関係者と接触し得る権利を持つ者も存在する。
予選トーナメント決勝へと進み、大会出場の資格を得た……純岡シト。
悪童は、鮫の如き笑みを浮かべた。
「せっかくの機会だ。そいつに全部吐いてもらおうじゃねェか。拉致ってでもな」
次回、第十五話【複製生産】。明日20時投稿予定です。




