【経済革命】
世界救済を目前にして、シトとレイはその地に辿りついた。転生開始から数えて二十三年の月日が経過している。
全国クラスの転生者二人の協力救済である。レイが開発したワクチン技術をさらに推し進め、飲料水レベルの希釈度で効果を発揮する薬効物質を発見し、各地で疫病を治療し、かつ予防を推し進めた。大まかな準備は十四年目の時点でほぼ完了しており、後はじっくりと時間をかけながら、疫病への耐性を獲得した世界から疫病が根絶されるのを待てばよかった。
そして純岡シトが今向かっている先は、敵の転生者二人の居場所だ。
簒奪すべき王権もなく、暴力すらも無為と思い知らされ、無力なまま――彼らが他の転生者にしてきた仕打ちと同じように、彷徨い続けていた敵。
「金が使えない」
シトの顔を見るなり、ニャルゾウィグジイィは呆然と言った。既存の政治体制の解体に伴い、貨幣経済もとうに廃止されている。
彼らの拠点は、人里離れたごく平凡な民家だった。
「【異界財力】の話は聞いていた。当然、対策もしている」
レイがシークレットスロットを開く。それは、敵が予測していたような【不朽不滅】ではない。……【経済革命】。
「――特殊なCメモリを使おうとも、貴様らは決して絶対者ではない。貴様らがやってきた程度のことは、俺にもできる。敵のあらゆる行動を封じ、屈辱を与える程度ならばな」
【政治革命】【産業革命】【経済革命】――同系統三種のCメモリの組み合わせは、通称3Rコンボと呼ばれる。Cスキルの相互作用によって、異世界の社会構造を如何様にも変革し得る、異世界転生においては古典的とも言えるコンボであった。
その効果は転生本来の目的である薬品の開発にも大いに役立っているが、主な目的は、敵の取り得た妨害と干渉の手段を封じるためであった。
「ど、どっちにしろ……僕達のCメモリのことを知ってたからできたんだろ! それで封じただって!? 笑わせるな! 卑怯だぞ!」
「ああ、そうだ。貴様らを封殺する程度は当然のことだったな。だが、俺達は世界を救済することもできる。既に勝負はついているが、存分にIPを獲得しなければな」
「……な、なんなんだよぉ……! お前ら! クソッ、気持ち悪いよ、この世界!」
「なんで……皆、死なないの……ど、どこを焼いても、人間が生き残ってくる! 【異界災厄】は無敵なのに!」
異常なCメモリの中でも、もっとも警戒すべき妨害手段は【異界災厄】であった。
敵の気まぐれで、シトらが救った人々が容易に殺されるであろうということ。
「……残念ながら、たとえ全能の神の力を受けようと、天災が町を焼き払おうと、何人だろうと。誰一人脱落しないようにしている。全員に治療手段が行き渡るまで、貴様のCスキルに何人が殺されるか分からなかったからな。そうさせてもらった」
「そ、そうだ……女の子のシークレットが死なないCメモリじゃないなら……そもそもどうやって【異界災厄】を生き残った……! な、何を……何をした! 純岡シト!」
「結婚だ」
「は……?」
純岡シトは、自身のシークレットスロットを開放した。
傍らの黒木田レイは、はにかむように笑った。
「そ。ぼくはシトと結婚したんだ」
「「はああああああああああ!?」」
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純岡シト IP1,585,124,001 冒険者ランクS
オープンスロット:【超絶交渉】【政治革命】【不朽不滅】
シークレットスロット:【酒池肉林】
保有スキル:〈政治交渉SS+〉〈大衆演説S+〉〈書類手続SSS〉〈超早馬SS〉〈危険回避A+〉〈万人好感S+〉〈包容力S〉〈指導者SSS+〉〈不死B〉〈医神の手B〉〈魔導:赤A〉〈魔導:緑A〉〈魔導:青B〉〈カリスマA〉〈完全言語SS-〉〈完全鑑定S〉〈服飾の王SS〉他31種
黒木田レイ IP934,671,200 冒険者ランクS
オープンスロット:【超絶知識】【産業革命】【運命拒絶】
シークレットスロット:【経済革命】
保有スキル:〈薬学SSS+〉〈機械工学SSS+〉〈経済学SSS+〉〈教育学SS+〉〈医神の手S〉〈万能解読S〉〈礼儀作法A〉〈魔導:青A〉〈魔導:緑A〉〈政治特権A〉〈完全言語S〉〈完全鑑定S〉〈麗しの偶像A+〉他25種
ニャルゾウィグジイィ IP-24,313,351
オープンスロット:【異界肉体】【異界王権】【異界軍勢】
シークレットスロット:【異界鑑賞】
保有スキル:〈格闘N/A〉〈話術N/A〉〈魔導:赤N/A〉〈交易言語N/A〉
ヨグォノメースクュア IP-601,557,737
オープンスロット:【異界肉体】【異界災厄】【異界財力】
シークレットスロット:【異界鑑賞】
保有スキル:〈格闘N/A〉〈俊足N/A〉〈商才N/A〉〈魔導:黄N/A〉〈交易言語N/A〉
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そのCメモリが、【不朽不滅】を持たぬ黒木田レイの命を救った。
全日本大会予選トーナメント準決勝。聖神ルマの攻撃すら耐え切ったCメモリである。
「――【酒池肉林】」
これこそが協力救済でのみ可能な、相互の不死身を保証する裏技。
そのCスキルを以てすれば……ヒロインは増える一方で、決して脱落しない。関係を破壊する不和を起こさない。バッドエンドには至らず、その状態を望む限りに現状維持することができる。
それらは無論、ハーレム維持の副次的な効果にすぎない。【酒池肉林】は不死身を主としたCスキルではない。それでもスキルの効果としてある以上、その記述は絶対なのだ。
それは【無敵軍団】とは異なり、大量のヒロインを保有し続けることだけに特化している。故に対象の人数制限や、生存能力の限界もない。
そして、シトがオープンスロットに有する【超絶交渉】による国家レベルの話術と、IP効率を度外視した黒木田レイの【運命拒絶】。さらには敵が無為に消費した数年の時があるのなら、そのように途方もない芸当すらも。
「つまり、お前……そんな……攻撃される国の全員を攻略して回っていたのか!? そんな無駄なこと、た、たかが、異世界の連中を守るために……!」
「【政治革命】で家族制度を効率化した。書面上でも、既に他の誰かと結婚済みでも、同性でも、年が七十歳離れていても、俺と家族関係を結ぶことができる。見知らぬ土地の連中も含めれば、何人が『ヒロイン』になっているか俺自身にも把握できん。幸い……ごく稀に取りこぼした犠牲も、黒木田の【運命拒絶】で巻き戻せたからな」
我らが父。小屋の老人はそのように言っていた。それが、まさかそのままの意味だったと、誰が想像できただろう。
ニャルゾウィグジイィらが独裁を敷いていた帝国すらも、あの時点で既にそうだったのだ。純岡シトの――政府すら持たぬ『家族』の手が伸び、民を国家から引き抜き、さらには国に残った大半の者も、既に【酒池肉林】の影響下にあった!
「そして、勘違いするな。俺は剣とは違う。貴様らと同じように、異世界の連中に思い入れもない。連中を助けた理由は……」
初めから、このように勝つと決めていた。
「単に、貴様らが気に食わなかったからだ」
市内中央デパート5Fゲームコーナー、2vs2タッグバトル。
世界脅威レギュレーション『疫病蔓延B-』。
攻略タイムは、23年2ヶ月1日13時間14分2秒。
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「……僕らを責める資格が君にあるか?」
現実に帰還した後で、金髪の男は憎々しげに吐き捨てた。
「君のやってることは、僕らと同じだろう。世界をめちゃくちゃにしたのは同じだ」
「その通りだ。転生者の介入は、世界の脅威を排除するための荒療治に過ぎん」
正しい形での世界救済など、誰にも、ドライブリンカーにも判断などできない。
彼ら転生者も、ただ勝負のためにひたすら高速に世界を救い続けているのみであり、決して正義や理念で異世界の民を救っているわけではない。
その速度を競う娯楽にしなければ救済が追いつかないほどに、到底救いきれぬ数の世界が、今この瞬間ですら滅びつつあるのだから。
「それでも……治療もできぬ荒療治は、単なる暴力と成り果てる。それが俺達転生者の共有する、最低限のルールだ」
「独善だね……! 反吐の出る正当化だ。僕らはお前らと違って正義ぶったりしない。どのみち世界をブチ壊すのが異世界転生なら、自覚している僕らのほうがまだ上等だ……」
「……貴様らは」
金属じみたメモリケース。尋常の転生者とは異なる価値観。
シトは再び、その質問を投げた。
「貴様らはそもそも何者だ? そのCメモリは、どこで手に入れた」
「誰が教えるかよ。行こう、ヨグォノメースクュア。こんなくだらない連中と、関わりたくない」
「……つまんなかった」
謎めいた二人は結局、何一つを明かすことなく去った。
(……奴らに正体があるとすれば、仮定はできる。だが本当に、そのようなことがこの世に起こり得るのか? あるいはアンチクトンと繋がりがある……と、考えたくはないが)
純岡シトがその答えを知ることになるのは、今はまだ先の話である。
「お疲れ様。かっこよかったよ、シト」
「……奴らへのイニシアチブを取るために、適当なことをほざいただけだ。異世界転生自体はただの技術で、立派なものでも卑下すべきものでもない。結局は、何もかも転生者次第だ」
「ふふ。じゃあ、その適当なことはどこから出てきたんだろう。もしかして、剣くんの熱血が伝染したかな?」
「…………それは……。果てしなく嫌だな」
シトは苦々しく呟いた。
レイは楽しそうに笑った。
時計の針は夕刻に差しかかっていて、二人で特訓をする時間は残されていない。
それを見て、レイは肩をすくめた。
「まあ、来週また来ればいいさ」
「すまない。俺が意地を張らなければ、服を買いにいけたな」
エスカレーターに向かう途中で、シトは口を開く。
「俺達の知らないCメモリが出回りつつある」
「そうだね。あれはDメモリとも、全然違ってた。ああいうやつらは、あの二人だけなのかな」
「分からないが……俺達は異世界転生について、もっと知る必要があるのだろうな」
ドライブリンカーとは、果たしてどのような技術であるのか。彼らの用いた不正規メモリの正体は何か。それを知る者と会わなければならないと考えている。
「いずれ、大葉研究所に向かおうと思う」
「……大葉くんのお父さんの研究所だね」
「ああ」
転生者として数限りない世界救済の実績があろうが、純岡シトは中学生である。彼が現実的に接触を果たせる異世界転生技術の関係者など、大葉ルドウの他にはいない。
「見て。あのオブジェ、夕方になるとイルミネーションが光るんだ」
「……知らなかった」
二人は、一階の服売り場の横を通りぬけていく。
空色のスカートやボーダー柄のチュニックを見るたびに、レイはもしかしたらこれを着て見せてくれるつもりだっただろうか、という考えがシトの頭に過ぎった。
この日の内に、様々なことが起こった。そのような想像よりも、優先して考えるべき事柄があるはずなのだ。
けれどレイは、どう思っているのだろう。
「――ね、シト」
帰路のショッピングモールで、レイはふと尋ねる。
アーチから差し込む夕暮れの光が、彼女の輪郭を赤く映した。
「力を持ってるなら、目指す敵がいるなら、それと戦わなきゃ駄目だと思う? あいつらみたいに……何もせずに他の転生者を見ているだけじゃ、本物の転生者とはいえないかな」
「俺は戦い、奴らは戦わない。それぞれの連中が転生スタイルを持つのは当たり前だ。異世界で気ままに暮らしてもいいし、スローライフを送ってもいい。競技の世界以外では、そういう楽しみをする転生者だっていくらでもいる。……俺が気に食わなかったのは、奴らが他の連中の転生スタイルを愚弄して、台無しにしたことだ」
「そっか……。それなら、よかった」
薄闇の中で風が吹いて、細く結んだ黒髪を揺らした。
横を歩きながら、レイが言う。
「ぼくはもう、大会出場は引退するよ」
「……それは……」
シトは言葉に詰まった。
軽い世間話のような調子だったが、黒木田レイがそれを口にすることの重みは分かっていた。
「……理由を……聞いても、いいだろうか」
「まあね。せっかく予選トーナメントでシトに当たれたのに、負けちゃったし。本当はぼく、中学最強とかはどうでもいいんだ。ぼく天才だからさ。気楽にやって、なんとなく勝てれば楽しいかなーって思ってた」
レイはシトの二歩先を歩いた。表情を隠したがっているようにも見えた。
腰の後ろに手を組んだまま、言葉を続けている。
「だからここまで異世界転生に本気になったのは、きみに勝つためなんだ。……負けたくないって、初めて思えた」
「それは……じゃあ、尚更戦えばいい。俺は、そうしたい」
「ふふふふ。ありがとう。嬉しいな。でも、今日……一緒に戦って、あらためて思ったよ。あんなにスケールの大きい戦略、ぼくには絶対思いつけない。転生者としての実力も、情熱も……やっぱりシトにはかなわないなあって! ふふふふふ! さすが、天才美少女中学生転生者を、二回も負かした男だよ!」
「……」
シトは俯いた。レイは強い。こんな野試合で負けを認めてほしくないと思う。
けれどそのように望むのは……転生者としてのシトの、エゴの押し付けに過ぎないだろうか。
「でも……く、黒木田! また、特訓に付き合って欲しい! 来週でも……いや、何度でも! 俺は、お前の事をすごいと思っている! お前の強さを信じていなければ、今日の戦いだって勝てはしなかっただろう!」
「うん。もちろん。当たり前じゃないか。なんだってしてあげる」
黒木田レイは振り返って、小悪魔めいて笑ってみせた。
「ぼくはきみの妻なんだからね」
「それ……それは異世界の、話だ……」
「ふふ。忙しすぎて、夫婦らしいことは何もできなかったな」
口ごもるシトを見て、閉じた唇の両端を吊り上げるように微笑む。
いつもそうしているような、真意を悟らせない笑みだ。
秘めていた思いを吐き出して、いつも通りの、余裕のある黒木田レイであるように見えた。
「――じゃ、また来週。きっと遊ぼうね」
「ああ。約束する」
そうして少女は、夕陽の雑踏に消えた。
……その日が訪れることはなかった。
次の週も、その次の週も、黒木田レイが純岡シトに会いに来る事は、決して。
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「もしかして、ずっと後ろにいた?」
ショッピングモールを抜けて、人気のない裏路地へ。
蛍光灯の切れ掛かった電灯の下で足を止めて、レイは追跡者を待った。
「――まァ、先程から。ようやく、話をしてくれる気になりましたかねェ」
夕闇の中より現れる影があった――虚ろな目。喪服じみた学生服。
鬼束テンマの付添人であったこの少年は、名を銅ルキという。
「別に制裁だとか、粛清だとかいう物騒なお話ではありません。ご安心を」
「じゃあ何かな? きみたちが……今さら、ぼくに用があるとでも?」
「勧誘です。レイさん。アンチクトンに戻っていただきたい」
「……」
この十年でも稀な、中学異世界転生界の激動の年であった。
剣タツヤ。純岡シト。鬼束テンマ。今や関東有数の強豪としてその名を知られたダークホース達が、同じ年に頭角を現している。そして彼らの到来の先触れであるかのように現れた、最初の天才転生者がいた……それが黒木田レイ。
彼女について、それ以前の経歴を知る者はいない。
「もちろん、自由意志は尊重します。我々の活動に戻られるかどうかはあなた次第ですがァ……ドクターは心配してますよ? あなたのような優秀な転生者を失うのは惜しいでしょうからねェ」
「ふふ。ドクターなんてどうでもいいし、今更君達の理念に従えないことだって変わらない。……世界を滅ぼしてまで勝つなんて、ぼくはまっぴらごめんさ」
「テンマさんは純岡シトに勝ちました」
「……」
レイの表情が止まった。
ルキは、生気のない声で淡々と告げていく。
「レイさんが出場するための、全日本大会の枠も用意してあります。こう思ったことはありませんか? 『もしも自分にDメモリがあったなら――』」
「やめろ!」
「ならばやめます。けれど覚えておいていただきたいですねェ。アンチクトンは約束を違えません。何も奪わない。あなたに対して、ただ与えるのみです」
「ぼく……ぼくは、本当は、シトと……」
締め付けられる胸を押さえて、レイはその後に続けようとした言葉を呑んだ。
もしも裏切りであろうと。それが転生者としての矜持に反するものであっても。
本当は、そう思っていた。諦めたくなどなかった。
――戦いたい。
彼女が初めてその感情を抱いた、尊敬すべき転生者に……異世界転生で勝ちたい。
「よいお返事を期待しております」
「…………」
気怠げな一礼と共に、不吉な少年は姿を消す。
黒木田レイは、蛍光灯のちらつく光の下で、ただ一人俯いたままでいた。
やがてその光も消える。
次回、第十一話【不正改竄】。明日20時投稿予定です。