【不朽不滅】
そこは八年前までは最大の帝国だったが、今は見る影もない。
ニャルゾウィグジイィの転生と共に既存の政権は完全に解体された。僅か一桁の年齢の子供が国家を独裁するという異常事態。絶対のCスキルである【異界王権】の前では、どのような圧制を前にしても反逆を試みることすらできないのだ。
国民の誰もが疲弊し、世界を侵す疫病に苦しみ、ニャルゾウィグジイィの奴隷であった。
「ゲーム作らせようよ、ゲーム。世界が滅びるまでにさあ。あれだ、あっちの世界のインベーダーみたいなの。テレビゲームができるかどうか賭けよう」
「ウン」
「これだけ人間がいるんだもんなあ。皆が必死で働けば、もしかしたらそれっぽいもの作ってくれるかもなあ。絶対つまんないだろうけど! ははははは!」
「でも、それまで暇だね」
会話を交わす相手は、ヨグォノメースクュアである。彼女は気怠げにベッドに寝転がり、本を読んでいた。
「ああ、じゃあちょっと早いけど、いいや。あの転生者達、一人殺しちゃおう。ははははは! こういうのが一番絶望するよなあ! 2vs2だと思ってたら、いきなり2vs1になるんだから!」
「まだ独り立ちする前でしょ。もっと上手くいきそうなとこで、がっかりさせたい」
「あー、じゃあどれくらい進んでるか見よう」
「ウン。【異界鑑賞】」
「【異界鑑賞】」
【異界鑑賞】。異世界に居ながらにして、観戦者用に編集される前の超世界ディスプレイの情報を直接得ることができる。これも極めて異常なCスキルである。
二人がこれをシークレットにしている理由は無論戦略のためではなく、娯楽のためだ。彼らは、自分が見られていると知らぬ相手の狼狽と絶望を楽しむために異世界転生をしている。
「あ! ほらほらほら、もう合流してる! すごい! 早いなあ! 努力したんだろうなあ! すぐやろう、ヨグォノメースクュア! ここは隕石……いや雷だ! 屋敷ごと燃やそう!」
ニャルゾウィグジイィは興奮して叫んだ。彼が目撃したのは、まさに八歳のシトとレイが合流したその瞬間であった。
「ウン。でも男の子のほう、死なないCスキルがあったと思う。多分女の子しか死なないけど」
「何言ってるんだ! だからいいんじゃないか! やっと出会えた相手が、目の前で死ぬんだ! 不死身ならではの絶望だよ! やろうやろう! 雷だぞ雷!」
「ウン。面白そう。【異界災厄】」
二人が見るドライブリンカーの画面が白い稲光に染まった。ヨグォノメースクュアの意思一つで、無制限に消耗なく、天災を落とすことができる。
彼らは一切の戦術を持たない……意図してそのようなコンボを組んでいるわけではなかったが、【異界鑑賞】と【異界災厄】の組み合わせは、超世界ディスプレイが転生者を追う限り回避不可能の、射程無限の直接攻撃を実現する。
「はははははは! これで一人――あれっ」
ニャルゾウィグジイィの哄笑が止まる。その異常は【異界鑑賞】を用いるまでもなく、通常のステータス画面でも分かった。
「死んでないぞ」
「私、ちゃんと当てたけど」
「でも、ほら。転生者リストに名前があるぞ。黒木田レイ」
「……」
【異界鑑賞】で焼け跡を確認する。不死身の純岡シトが、黒木田レイに覆いかぶさって攻撃から庇っていた。確かにシトは【不朽不滅】のCスキルで不死身ではあるが――それがまったくあり得ない事態であることは分かる。
「……雷だぞ? 防御スキルらしい防御スキルもない感じだし、人間一人が盾になったくらいで、防げるはずがない」
「別にいいよ。もう一回やる」
ヨグォノメースクュアはその言葉と同時、隕石を二人の位置へ落とした。
炎上する屋敷の瓦礫はクレーターに巻き込まれた沈み、そしてレイも……
「ほら外れてるって! やっぱり狙いが悪いんだ!」
「そんなことない。大体、直撃しなくても死ぬはずだよ」
「あー、あーあーあー」
満身創痍で焼け跡から這い出す二人を見て、ニャルゾウィグジイィは不愉快そうに呟く。無敵の力で転生者を一方的に弄んできた蹂躙者が、初めて見せた怒りであったかもしれない。
「あれだ。不死身のCスキルがあったじゃん。あれがシークレットなんだ。あーあ! 女の子の方もつけてたんだよー! 冷めちゃうよな!」
「え……じゃあこの二人、何やっても死なないんじゃないの」
【不朽不滅】は、どれほど致死的な攻撃や状況下にあっても、自分だけが都合良く生存できるCスキルだ。とはいえそれ単体では、他にIPやスキル上の有利があるわけでもない。そもそも十分に成長した転生者は現地の手段に対しては元より不死身に等しいのだ。
異世界での序盤生存に不安を残す初心者用――あるいは直接攻撃戦術に対するピンポイント対策用のCメモリであるとされる。
「いいよいいよ。じゃあもう、放っとこう。あんな転生者に必死になるの、バカみたいだし。音楽でも聴こうっと」
「そうだね。別に、あいつらが世界救っても救わなくても、どっちでもいいし」
【異界鑑賞】も切断し、彼らは再び怠惰な生活に戻った。
――彼らは、異世界転生に何一つ真剣に取り組んではいない。
しかし同時に、最初から勝負をしていない者が負けることも決してない。
もしも純岡シトがこの試合に勝利したとしても、それすら彼らの敗北ではないのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
「ふ、ふふ……ああ、参ったな……。雷系統の魔法は何度も受けてきたけど、防御スキルなしだと……こんなに、堪えるんだね……」
「すまない、黒木田。君に負担をかける戦略になってしまった」
「いいよ、気にしないで。お陰でぼくも生き残れたんだから」
シトは、負傷したレイを背負って町への坂道を上っている。二度の災厄を、彼らは辛うじて生存していた。レイは、不安げに晴天の空を見上げた。それでCスキルの予兆が見えるわけもない。
「……もう、攻撃が来ないね」
「予想以上に諦めが早かったが、知れていたことだ。連中は、自分達を俺達転生者より上等な存在だと信じ込んでいるようだからな」
何故、今の時代にあって異世界転生をあれほど蔑視できるのかシトには理解できないが、そうした差別意識も見慣れてはいる。
彼らがいつも異世界で相手取っている、腐敗貴族や奴隷商と同じだ。ならばその類型に当てはめて、行動を予測すればいい。
「格下を相手に負けを認めたがらない。何度も攻撃を試みて、それが無駄であることを……自らが裏をかかれていることを思い知らされたくない。その上奴らは異世界において、転生に必死になっていない。尚更そのように運ぶはずだ」
「じゃあ、もうぼくらは安全ってこと?」
「ひとまずはな。だが、まずはこの町を攻略する必要がある。これからは忙しくなるぞ、黒木田。【運命拒絶】のサポートを頼む」
「分かってるよ。……シトは、全然休まないんだね」
背に負われながら、シトの小さな肩に頭を預ける。
ここが異世界であるとはいえ、レイに会うために幼い身で長旅を続け、雷や隕石を受けて、それでも弱音一つ吐かない。
それとも……弱音を吐けないのだろうか。鬼束テンマに敗北したあの時もそうだった。敗北に涙すら見せていなかった。
黒木田レイは純岡シトの過去を何も知らない。
彼がレイの過去を知らないように。
「……やっぱり、ずるいなあ。シトは強いよ」
「何がだ」
「ぼくは、また雷を落とされるんじゃないかって……安全だって分かっていて、そんなことも不安なのに。シトは、全然平気なんだね」
「……。そうかもしれないが、あくまでそれは、勝てるという確信があるからだ」
異世界では、二人ともが子供だ。背負われるレイも、背負うシトも小さい。幼いシトは、少女めいてすらいる。今はそうした姿が幸いだと、レイは思っている。あるいはこの会話を交わしているのが、元の現実でなくてよかったとも。
「自分の転生に自信があるなら……誰から何をされようが、怖くはない」
「ぼくは?」
生まれてから一度も負けを知らなかった異世界転生の天才は、この一年で二度も敗北した。
一度はゲームコーナーで偶然に出会った、一人の少年に。もう一度は、その少年との再戦を果たすべく出場した全日本大会予選トーナメントの第二回戦で。
「――ぼくが怖いのは、自分の転生に自信を持てないから?」
「……」
「なーんて……ふふふ。冗談さ」
「俺は……少なくとも。貴様を怖がらせた奴らを許しはしない。必ず制裁を加える……」
「あ」
「あっ」
今度はシト自身も、口に出した後になって気付いたようであった。
「君……君を、の間違いだ……」
――――――――――――――――――――――――――――――
「なーんかさぁ……」
民に作らせたボードゲームを弄りつつ、ニャルゾウィグジイィはふと呟いた。
彼らは経過時間を気にしてはいなかったものの、転生開始から既に十五年の歳月が経過している。時折、黒木田レイの【運命拒絶】が発動するため、ヨグォノメースクュアはしばしばその腹いせとして、どこか遠くの人里に隕石を落とした。
「……人、少なくなってない?」
「ウン。病気で結構死んでるのかな。もうこの国ダメかも」
「まあ労働力が足りないなら【異界軍勢】で作っちゃえばいいんだけど、それじゃあ面白くないからなあ。あいつら、喋んないし」
「次の国行こうよ」
「そうしよっかー。結局テレビゲームまで行かなかったなあ。転生者の連中、もっと本気で文明育成してくれりゃいいのに。何ダラダラしてんのかなあ」
実際の所、彼らが拠点とする帝国は【異界財力】の無限の富で辛うじて延命している状態に過ぎない。いかに元が世界最大の強国であっても、ニャルゾウィグジイィが常に最高権力に居座っている以上は、むしろ当然の末路といえた。
とはいえ、国民が減少の一途を辿っていることには、他にも理由が存在する――
「歩くの面倒だなあ」
「ウン」
「この国、どうする? 大雨でも降らせて洪水でやっちゃおうか」
「洪水は時間かかるからイヤ。雷のほうが燃えて面白いし、そっちにする」
そんな何気ない会話で、帝国の終焉は決定した。
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災厄は、次なる地を求めて国土を発った。
小高い丘に辿り着くと、自分達を無益な労力で養い続けた国家を見下ろす。
ヨグォノメースクュアは、ドライブリンカーのCメモリを起動する。【異界災厄】。
「やっぱり雷が一番だよ」
「まあいいや。なんでもいいよ! 早くやろう。次行こう次」
空がけたたましく鳴った。
太陽以上に明るい数百の落雷が、城を、民家を、国家全てを焼き尽くしていく。
彼らの悪意に意味など存在しない。世界救世を目指す転生者を愚弄し、楽しむためだけにそうしているのだ。
「ははははははは! ばいばーい!」
「……」
「ははは……あれ」
二人は同時に違和感に気付いた。【異界肉体】の視力は、国土が焼け、人の逃げ惑う様を鮮明に捉えていたが――
「えっ、逃げ回ってる……人間、焼け残ってるけど!? なんでだよ!」
「なんなの……!」
ヨグォノメースクュアは端正な無表情を崩し、歯軋りした。
【異界災厄】が……彼女の必殺のCメモリが、この転生では何故か機能していない。
彼らが虐げてきた国民が……遥か格下の矮小な存在が、【異界災厄】の嵐の中で生き残っている。建物も土地も焼けた。そうだというのに、焼死体はどこにあるのか。
……まさか国民全員がこの天災を回避したとでもいうのか?
「なんで……! なんで、なんで殺せないの!」
ヨグォノメースクュアは、隕石を、落雷を、豪雨を続けざまに放った。
民は苦しみ、怯えた声を発するが、その全員が死なない。
「何が起こってるんだ……これ……」
「なんでなの……!」
――――――――――――――――――――――――――――――
「国。ああ、昔はこの辺りに国がありましたなあ」
「はあ? 嘘ついちゃ駄目だよ。グレテア公国っていえば、この世界で二番目に大きい国だって聞いてたんだけど。何のために長旅してきたと思ってるんだ」
「そう言われましても、つい一年前ですか。政府がそのように決めたもので、今は皆思い思いに暮らしてますなあ」
そう語る老人の家の庭では、魔法機関を使った農業機械が自動的に畑を耕している。陽光変換炉からの蓄熱で沸いた湯で、老人は茶を入れた。
それはまさしく黒木田レイの【産業革命】による、異常な進度での技術発展を示している。
「公共福祉というんでしたかな……そういう制度がなくても、皆暮らせるという世界になったもので。ほれ、わしのような老人でも何不自由なく自給自足できるんです。はっはっは。我らが父……シト様には、感謝してもしきれませんよ」
「シト……!」
ニャルゾウィグジイィは、その名を思い出した。試合前に聞かされた、対戦相手の名を。
純岡シト。彼がこの状況を仕組んだのだ。
「そういうことか! そういうことか! クソッ!」
「どうしたの、ニャルゾウィグジイィ」
「国がなくなったら権力者になれないんだよ! あれだ、あのCメモリ……なんだっけ、【政治革命(ポリティカルR)】! あれは政権を奪うためのCスキルじゃなかった……この世界から、政権そのものをなくすために使いやがった! 国なしで生きられるように、科学技術まで開発してやがる!」
「へえ。よくそんなに考えられるね。私、全然興味なかった」
「なんなんだ……!? 僕らへの嫌がらせなのか!? 転生者の分際で!」
怒り狂う男を不思議そうに眺めながらも、老人は暢気に欠伸をした。
「まあ落ち着きなさい。ここで暮らしたいんなら、無人工場で新しい機械をギエーッ!?」
言葉の途中で、ニャルゾウィグジイィの拳が殴り飛ばす。【異界肉体】の威力だ。
小柄な老人は小屋の木の壁を貫通し、庭の地面を二度跳ねて倒れた。そして怯えた。
「ひ……ひい、化物!」
「……!?」
「は、はああ……胸に入れてた娘のお守りが……ひい、これがなかったら……死んでたわい……! ひい、ひい」
老人は転がりながら駆け、小川を渡って逃げ去っている。
――不死身。その言葉がニャルゾウィグジイィの脳裏に過ぎる。
彼らが滅ぼした帝国の人間達と同じようなことが起こっている。【産業革命】で不死の技術でも実用化したというのか。そんな技術が生まれるとしても、そんな代物を世界の全員に配給することなど可能なのか。
「な、なんだよこの世界は……。あいつ……あいつら、何をしているんだ!?」
彼らが敗北することなどあり得ないはずだった。
純岡シトが世界を救おうが救うまいが安穏と暮らし、全てが終わった後で、彼らが異世界で費やした無益な労力と時間を嘲笑うことができた。
だが、不可解によって転生者を蹂躙してきた侵略者は、それを悟りつつある。
今や、彼ら自身が――一度として味わったことのない、不可解の脅威に呑まれていることを。
次回、第十話【経済革命】。明日20時投稿予定です。