一話―自習室はアツクルシイー(1―1 始まりの時)
私立梅川学院高等学校――近年難関大学への合格率を急激に伸ばしている進学校である。その中でも、本校生徒が一度は使うことを夢見る学習スペースがある。その名もS自習室――800人弱の全校生徒の中で成績上位50名のみが使用することが許される。これは、ごくごく平凡な高校一年生、片山 律のS自習室使用権防衛記である。
時刻は午後14時58分、もうじき本日最後の授業が終わる。しかもその授業は体育であった。確実に何人かはそのまま部活に突入するだろう。授業後のHRは基本的にないからだ。うちの授業カリキュラムは生徒が最大限に学べるようにと作られた、かなり特殊なものである。授業は全日5限までしかない。授業後に、生徒が自学自習をしっかりと行えるようにするためである。更に、生徒が集中力を欠きやすいとされている昼食後の4時間目、5時間目に関しては、「創造性から学ぶ」という理念の元、音楽、美術、体育と言った俗に言う副教科のみで構成される。これにより、生徒が程よく勉学に対して切り替えが出来るといった仕組みである。副教科の担当教諭達は特に生徒のモチベーション管理能力に長けている。特に今日は、彼が自習室での監督者だ。きっと多くの者が、やる気に満ち溢れて、勉学に励むだろう。
「ありがとうございました!」
授業終了のチャイムと共に生徒たちの挨拶が所々から聞こえてくる。挨拶を終えて顔を上げると、件の先生と目が合った。
「片山、どうだ?今日の調子は?!」
そう言って先生は「はっはっはっ!!」と強く笑った。彼は、体育教師の息吹 強也先生だ。身長は186センチ、体重78キロというがっしり体型で、白布を頭巾の様にし、被っていて(工事現場で働かれている方々を連想させる)ジャージ以外の姿をめったに見ない。所謂ベタな見た目である。
「どうした?片山?そんなに先生の事見つめて。先生の来ているジャージならすぐそこのスーパーMABOROSHI☆で買えるぞ!!伸縮性もばっちりだし、生地のさわり心地も抜群なのに、上下セットで4500円だ!!」
「MABOROSHI☆」は最近うちの高校近くにできた大型スーパーらしい。僕はまだ一度も行ったことは無いが。
「い、いえ。先生のガッチリした体形が羨ましいなって思って」
先生の見た目が、漫画やドラマでよく出てくる典型的な体育教師の姿をしているのだと説明していたとは口が裂けても言えない。買ったお店や機能、そしてリーズナブルな価格までもアピールするほどだから、きっとかなりのお気に入りなのだろう。そのMABOROSHI☆ジャージは原色の赤で、腕と足の中央部分に白の線が入っている。そして、背中には白で大きく「人情」と書いてある。…どう見てもベタな体育教師そのものを彷彿とさせる。本人はいたって真面目に、オンリーワンだと思っているのだろう。加えて、その身なりと発言から(まだ数言しか発していないが)、何となく察しが付く。…彼は今の世においては、希少種の、熱血教師である。
「いやぁ~そんなことないぞぉ~先生、ジムに行くのが日課なくらいだ~」
むちゃくちゃ嬉しそうにデレデレしている先生を横目に、こないだの身体測定の結果を思い出した。身長173センチ、体重60キロ。まだまだもやし体型である。
「そう言えば、最近考え事が多くないか、片山は?大丈夫か?勉強のことか?先生いつでも相談のるぞ?」
先生はいつの間にかテンポよく話題を変えていた。
「勉強は今のところ大丈夫です。次の国語テストと、英語テストさえ上手くいけば、少なくとも夏休み期間中は、自習室を使い続けられると思います。考え事をするのは、昔からの癖ですので。」
「そうか~片山はこの学校が始まって以来の、S進学コースからの、あの自習室の使用権獲得者だからなあ~先生ほんとに鼻が高いぞっ」
「ありがとうございます。」
息吹先生は日頃から、僕の事をよく気にかけてくれるので、僕の担任の先生だとしばしば誤解される。しかしながら、僕のクラス、1年5組の担任の先生は美術担当の久次米 杏璃先生だ。とにかくフワフワした小動物の様な先生だ。…どうせなら、久次米先生に言われたかった。校内憧れの可愛い先生に存分に褒められる。まさに至福の時である。それはさておき、先生の口からS進学コースの名が出た。この高校には、全6コース設けられているのだが、なかなかややこしいので、今回は他のコース説明は割愛する。それらに関しては、否が応でも、自習室でコース生たちに会うことになるのだから、その時にでも順に話そう。
S進学コースは、大学進学を前提としながら、生徒のニーズに合わせて、多種多様に進路指導もしてくれるコースである。なので、他コースと比べて職業体験や、自分の特性、得意な事を知るといったHRや総合――この学校では「梅の花」と呼ばれている――の時間が多めに取られている。つまり、勉学に勤しむものの、そこまでがんじがらめにされる訳ではない。その為、目指すとは言っても、このコースのほとんどの生徒にとって、S自習室を使用することは、夢のまた夢である。従って、その様な状況のコースから、選ばれし50名のみが使用を許される超難関自習室を使用する学生が出たのだから、先生も生徒も驚きを隠せないのは当然である。また、S進学コースは300名で、校内でも一番生徒数の多いコースであり、有名大学への進学率も他コースと比べると、さほど自慢できる数ではない。その為、他コース生徒や先生から、「梅の花のなりそこない」、「川下コース」と揶揄されることもしばしばある。決して快いものではないが、そのコースの定評に反して、自分が前人未到の事を成し遂げたというのは、何とも感慨深いものである。
――所詮は自習室の一スペースを使えるようになったに過ぎない――選抜された当初はそのように思っていたが、自習室を使用し、その独自コミュニティに接していくうちに、その考えがいかに浅はかであったのかを思い知らされた。
「先生、そろそろ自習時間が始まるので、失礼します。」
校内1番の目立つ時計を確認すると、15時20分。後、10分で自習時間が始まる。
「おう、そうだな!今日も頑張るんだぞ!先生も後から行くからなっ」
激励を惜しみなく飛ばしてくれる先生に一例をして、更衣室へ急ぐ。本校では、これから始まる自習時間がとても重要である。特にS自習室を使用する者にとっては、これからの時間は特別だ。いかに長くその自習室を使い続けられるか、そしてその権限を繰り返される評価テストにおいて、十分に結果を出して勝ち抜き、その地位を守り抜くことが大切なのである。
さあ、今日も始まる――最もブッ飛んだ時間が。