看板娘とパンケーキ
「ねぇ、いつになったら出ていくの?図々しいと思わないの?アベル様に迷惑かけるのやめてくれる?」
「朝食焦がしちゃったんですか?」
「黙れよ。」
無意識に半開きにしてしまっていた口をぴったりと閉じ、黙っていますという態度を示すために口の前で×を作る。宿を出るときから今日は不機嫌だなーと思っていたが、原因は朝食か。
二つに分けて結われた栗色の髪はいつも通り三つ編みにはされておらず、所謂おさげになっている。私が宿泊している宿の看板娘は大きな目を不快そうに歪めながら私を睨みつける。
「あらあら、ナージャが料理でミスするなんて珍しいねぇ!失敗したのはどうしたんだい?」
「…ちゃんと自分で食べましたよ。でも、自分の朝食を食べた後に作ってたから二人分食べてお腹いっぱいです。店長、ブラックコーヒー一杯。」
「あいよ!誰しも失敗するもんだし仕方ないけどさ、そいつにあたるのは程々にしておくれよ?」
「完全に止めてくれはしないんですね。」
御盆を抱えながらため息をつく。お昼以降は繁盛するこのカフェも、朝のこの時間にはお客さんが少ない。
店長が鼻歌うたいながらカウンターの向こうに行くのを見てから、宿屋の看板娘―ナージャさんは私に向き直る。大きな灰色の瞳は今日も少し濁っていた。
「…ごめんなさいね、さっき少し強く当たってしまったこと。久々に注文されたパンケーキを焦がしてしまったものだから、自分が情けなくて。イライラしてたの。」
ナージャさんが頭を下げたのを見ることは滅多にないので驚く。この人は出会った時からずっと私には塩分強めの対応がデフォルトで、こんなにしょんもりとしたナージャさんを見るのは初めてだった。
「いや、正直いつもとあんまり変わらなかったので全然気にしてないです。」
「あ、そう?そうよね。じゃあいいわ。アベル様に告げ口するんじゃないわよ?」
「あ、はい…。そういうことね。」
クルっと表情を切り替えたナージャさんには先ほどの神妙さなど欠片もなく、演技だったのだとようやく気付く。
「でも、言ったことは本心よ。貴方が来てもう三か月になるけど、いつになったら独り立ちするのよ。アベル様と同室なんてうらや…いや、その、ずるいじゃない。」
「今の言い換える必要ありました?」
何よ、と睨むナージャさんの目からお盆を持ち上げて顔を隠す。今日はただでさえイライラしているのだから、あまり突っ込むことはしない方がいいだろう。
注文いいですかー?という声が奥から聞こえたので、ナージャさんに小さくお辞儀してから背を伸ばしてお客様の下へ向かう。
三か月前、行く当てもなく放浪していた私に手を差し伸べてくれた女騎士―アベルは未だに私の世話をしてくれている。彼女が長期滞在していた宿の同室に転がり込んでもう三か月経つんだな…と何処か他人事のように考えた。
ナージャさんはアベルを慕っているらしく、甲斐甲斐しくアベルに世話を焼かれる私に良い感情を持っていない。当たり前だけど。「せめて宿泊代の半分は払ったら?なんでアベル様に全額払わせてるの?」なんて顔を合わせるたびに言われている。ごもっともだけど。
「店員さん?注文…」
「っああ!はい!オレンジジュースですね?かしこまりました。」
「いや、リンゴジュースだけど。」
「…すみません。」
カウンターに戻り、ガラス製のピッチャーに入ったリンゴジュースをグラスに注ぐ。朝、店長がミキサーで絞ってこしているもので、材料のリンゴも朝もいですぐ届けられたものなので新鮮。前世にコンビニで買って飲んでいたようなパックジュースよりずっと美味しい。因みに、異世界のミキサーはハンドルで回して刃を回転させるらしい。店長の肉付きが良い逞しい腕が唸る。なお、サイズはミシンぐらいの大きさで、刃が多いので洗うのが大変だったりする。なんで異世界にミキサーがあるのかは知らん。まあ前世の世界で人が思いつくような道具はこっちでも誰かが思いつけるはずだから、完全一致はしなくても同じようなものが出来るんだろう。グラスにストローを添えて―この世界のストローは前世のものより若干太い―お盆に載せてお客様に届ける。
「思ってたよりちゃんと仕事してるのね。」
ナージャさんは一人用の小さなテーブルに頬杖をついている。
「あの子一応真面目に仕事しようとしてるのよ。失敗は多いけどね!」
ナージャさんの向かいに座っている店長は朗らかに笑う。…なんで店長そこに座ってるの?
「店員の目の前でさぼらないでくださいよ店長。」
「いいじゃないか!この時間はお客もほぼいないしねぇ!」
いいだろー?と店長が奥にいるお客様―私が先程リンゴジュースを届けた方―に声をかける。お客様は突然声をかけられて驚いていたが、戸惑いつつも微笑み頷いた。見覚えのないおじいさんなので常連ではないはずだ。ごめんなさいね、うちの店長コミュニケーション能力が高すぎるの。なおナージャさんもちょっと引いてた。
「じゃあ私もちょっと座ってていいですか。」
「さぼるんじゃないよ!」
「なんで!」
「で?あんたの宿に女性客なんて珍しいじゃないか。」
私の抗議ガン無視ですかそうですか。
納得はいかないけど許可して貰えなかったので、カウンター横の定位置に立つ。
「ナージャさんのところの宿って、冒険者向けのとこですもんね。ちょっと高めの。」
「女性冒険者で、しかもあんたの宿に泊まれるだなんて相当じゃないか。」
「いやー、あの女性たぶん実力はないわね。男性冒険者と一緒に二泊の予定なんだけど、どこでもイチャコラしてるし。恋人を連れた冒険者は珍しいけど。」
朝食にパンケーキを注文したのもその女性らしい。あの宿の食堂を使用するのは泊ってる男性冒険者がほとんどだから、注文されるのはがっつり系の肉が多い。ナージャさんはパンケーキがイチオシなのに、だ。だからこそ、朝張り切りすぎて調理に失敗して、イライラしてたんだろう。
「ああ、そうそう。その女性客ちょっとめんどくさそうな性格してたから気をつけなさい。あんた絡まれやすそうだし。たぶんあのカップル晩飯は食堂で取るだろうからできれば時間ずらすか外でご飯食べなさい。」
「食堂以外でも気を付けるんだよ。あんた、顔だけは良いんだから。」
「顔だけですか~~~」
がっくりと肩を落とす。顔を褒められるのが嬉しくないわけじゃないけど『顔だけ』ってのは、ねぇ?いやまあ嬉しいんだけどさ。
しかし困った。この町に来たばかりの頃、つまり約三か月前に彼女に紹介してもらったこのカフェで働くようになってからは、朝昼はここのまかないで夜は宿の食堂がルーティンだったのだ。この町にも美味しいレストランはあるが…
「さっき話を聞いてから、ナージャさんのパンケーキの気分だったのに。」
夕食に甘味なんて末恐ろしいが、この体太りにくいのであまり気にする必要がない。だから夕食はパンケーキを頼んじゃおうかなーと思っていたのに。
「…まあ、八時過ぎぐらいまで我慢できるならいいわよ。その頃にはあの客達も夕飯終えてるでしょ。」
「本当ですか!」
やったあ!と少し跳ねて、急いで佇まいを直す。いけないいけない。この体はどうにも感情に正直すぎるのだ。今は業務中だから我慢。
うちの看板娘は可愛いねぇ、とカフェの店主は満足そうに笑い、正面の少女の顔をこっそり覗く。近所の宿屋の看板娘は嬉しさをかみ殺そうと必死だがすこし赤くなっている顔には気付いていない。
仲がいいようで何より。
誰に向けるでもなくにっかりと快活な笑みを浮かべ、ランチの準備のために席を立った。