第二十話「上書きされるトラウマ」
そんな中――バスの中にいた旅行の引率者は、車内にキミナの姿を探していた。
(あれ、おかしいわねぇ。大和さん家のキミナちゃんは、来てないのかしら……。奥さんには、この旅行は会費払ってなくても全員参加可能って伝えてあったのに。今日は、キミナちゃんの体調が良くなかったのかしら)
今、キミナが落ち込んでブランコに座っていることを、引率者は知らない。
そのまま締め切って、バスを発車させてしまうのであった。
遠くに消えていくバスを、なすすべなく見ていたキミナ。
ちょっとした子供の発言で、乗るに乗れなくなってしまった悲劇である。
(ママは……行けないのに行けるなんて、嘘をついたとは思えまちぇん……。多分なにかの行き違いで、行けると思ってキミちゃんに言ってくれたんだと思いまちゅ。だから~。今すぐ帰ったら、ママを悲しませてしまいまちゅ。キミちゃんは、帰れまちぇん……)
キミナは――アイコが勘違いしたか、もしくはアイコに話した誰かが勘違いしていて、本当は行けないのに行けると伝わってしまったのだ――と考えていた。
だから、行けなかったことをそのまま素直にアイコへ知らせてしまうのは『自分を旅行に行かせようとしてくれた、アイコの気持ちに対して悪い』と、子供ながら健気に思ったのである。
(キミちゃんは、悲しいっちゅ……。夕方までは、家に帰らないっちゅ。旅行に行ったことにして、時間を潰しまちゅ……)
それからキミナは――。
一人で特にやることもないのに、お昼ご飯も抜き――夕方まで、ひたすら孤独に時間を潰すのであった。
そして日が暮れると、ようやく帰宅の途に就いたのである。
「おかえり~、キミちゃん! どうだった? 初めての、海旅行は~」
「た、楽しかったっちゅ……」
(キミちゃん、疲れたのかしら)
アイコは――キミナが妙に暗く見えたものの――帰って来たのが夕方だっただけに、旅行自体には行ったものだとばかり思ってしまうのであった。
その晩、布団の中では――。
ぬいぐるみオクマーマを抱きしめながら、キミナは涙を流していた。
(オクマーマちゃん……。キミちゃんは……海に、行きたかったっちゅ……)
キミナの涙が、ぬいぐるみオクマーマに頬に染み込んで――オクマーマの方まで、泣いているような顔になってしまうのであった。
――このように、海はキミナのトラウマな思い出として記憶に残ってしまっていたのである。それがオクマーマの自我にも影響して『海に対する恐怖感』を抱いたのだ。
マユミは、妙に海を怖がっているオクマーマを抱きあげていた。
そして、頬と頬をくっつけて安心させるのであった。
「大丈夫よ~、オクマちゃんっ!」
「でも……。怖いっちゅ」
「例え、ネガティブになってしまっている物事でもね、新しく楽しい思い出で『上書き』してしまえば、それはもう『新しい思い出』として、克服されるものよ」
「上書き……っちゅか?」
「そうよ、オクマちゃん! 私と一緒に海に行って楽しい体験をすれば、多分恐れも消えるから! ねっ、行きましょっ!」
マユミはオクマーマを連れ、半ば強引に海へ向かうのであった。
潮の香りと波の音がだんだんと近くなり、ついに海岸へ到達――。
「ほ~ら、オクマちゃん。これが海よ~、綺麗でしょ!」
オクマーマは――マユミの腕に包まれながら初めて見た海に、そこまでの恐怖が一気にあっさりと取り払われゆく――。
「ほんとっちゅ~。海は、こんなに綺麗で、落ち着く感じだったちゅか!」
「良かったわ! オクマちゃん、元気が出たみたいね? じゃ、もうちょっと波打ち際まで行ってみましょっ!」
マユミは波打ち際までオクマーマを連れて行くと、砂の上におろしてあげた。
波が足元まで寄せたり引いたりするのを見て、思わず楽しそうな声をあげるオクマーマ。
「面白いっちゅ~。あっ! カニちゃんや、貝ちゃんがいまちゅ!」
「そうよ~。海岸には、色んな生き物もいて面白いわね! そうだオクマちゃん、ちょっとこっち来てみて~」
「なんでちゅか~」
マユミは波打ち際から少し離れ、砂を集めて丸いものをかたどりはじめていた。
「砂で、こうやってなにか作っても面白いわよ~」
砂を固め、オクマーマの顔を模し始めるマユミ。
「あっ! オクマーマの顔っちゅ! 面白いっちゅ~」
――こうして二人は丸一日、海をたっぷり楽しんだのであった。
キミナの記憶に残っていた『海に対するトラウマ』を――オクマーマは『マユミとの楽しい思い出』で、上書きすることによって乗り越えたのである。




