わたし、人魚にされちゃいました。
霧雨の中オートバイに乗っていた私は橋から落ちた。
気がつくと……。
出会った魔法使いの少女と私の物語。
それは、霧雨の降る中、オートバイに乗っていた私が家へと向かっている時でした。
途中、緩やかに曲がった橋の継ぎ目で後輪が滑りオートバイが大きく傾き、私は無意識にアクセルを戻してしまいました。するとタイヤがクリップを取り戻しオートバイが激しく踊り出したのです。
ハンドルを握っていた手が離れ、オートバイとの距離がゆっくりと開いてゆくのを見つめていると、オートバイは濡れたアスファルトの上を私を残して進んでゆきました。それを見つめていると橋の欄干が視界に入ってきました。
私は橋の外にいることに気がつきましたが何も出来ることはありません。橋の欄干が視界の上に過ぎ去り、雨に濡れた木々の葉がキラキラ輝く緑に包まれた山の斜面を見ながら落ちてゆきました。
「痛いのはいやだなぁ……」
目を覚ますと青空が広がっていました。
「ああっ、ここは天国かな」
体を起こすと目の前には緑に囲まれた小さな湖がありました。その湖の淵で下半身を水につけたままだったので立ち上がろうとしました。すると大きな魚の尾が水面から現れ湖面を叩き水しぶきを上げたのです。
「わたし、魚に食べられてる!」
慌てて淵から離れようとしました。けれど思うようにいきません。その代わりに魚が大きく暴れ出したのです。もう下半身は食べられてしまったのだと思うと涙が溢れ出し目を閉じてしまいました。
「天国じゃないんだココは」
下半身を失ったのだから、もうすぐ死ぬんだとあきらめると魚の動きも止まりました。
「あれっ?」
私は食べられているのに痛みを感じていません。その変わりにプールに入っているような水の圧力を感じました。まだ助かると思いゆっくりと立ち上がろうとしました。すると水面に魚の尾ひれが現われたのです。
その動きには捕食しているかのような荒々しさはなく穏やかでした。何度か繰り返して気がつきました。その動きは立ち上がろうとする私の意識と重なっていることに。
「まさか、コレって?」
私はゆっくりと肘を地面に立て、体を湖面から引き上げました。
「えっ……何コレ?」
湖面から出てきたのは私の下半身を飲み込んだ魚ではありません。私のおなかから先には魚の下半身があったのです。
左側が暗い灰色で右側が白、真ん中にオレンジ色の線がありました。
「わたし、人魚になっちゃった」
私は理解しました。トラックじゃないけど、これが転生ってやつなんだと。
ためしに足をゆっくり動かそうと意識すると尾ひれが動きました。少し早く動かそうと意識するだけで尾ひれも早く動きます。
「それにしても左右色違いってどうなの……もうちょっと綺麗な色にしてほしかったなぁ~」
私は服を着ていませんでした。けれど人魚だから普通だよねと勝手に納得し泳ぐことにしました。始めは尾ひれを動かす練習を湖の淵でおこない、すぐに思った通りに動かせることを確認すると岸を離れて泳ぎ始めました。
最初は顔を出したまま両腕を動かしていましたが、ヒレだけで泳げるようになり、すぐに水中でも素早く泳げるようになりました。
そして、気がついたのです。人魚なのに水中では息が出来ないことを。
私は誰もいないと思って声を出して言いました。
「どうせなら水中でも息が出来るようにして欲しい~」
「やってもいいけど、変わりに外で息が出来なくなるけど、いいかしら」
突然の声に驚き岸を見ると白衣のようなローブを着て、緑に輝く丸い透明な石を付けた杖を手にした少女が立っていたのです。
私は少女のいる岸へと向かい岸に上がって湖面に尾ひれを残して腰かけました。
「目が覚めたのね。あなた危なかったのよ。見つけたときには足がぐちゃぐちゃだったんだから」
「えっ? 足……あったの?」
「ええ、あったわよ。でも、もう治せない状態だったから変わりにこの湖の魚を繋いだの」
「つないだ?」
「繋ぎ目が合うように魚を横にしたのが良かったみたいね」
「それで、こんな色なんですか……」
「足を中に練りこんだのが良かったのかしら」
「……」
彼女から聞いた話から、この世界には純粋な人魚なんか存在しないと。そして、私が生きているいるのは奇跡だと。彼女は人体改造の研究をしている魔法使いだと私に告げたのです。
それから彼女との生活が始まりました。
魚の下半身は水につけておく必要も無く丈夫なため、尾ひれを使って飛び跳ねながら陸を移動することが出来ました。でもすごく疲れるので松葉杖を作ってもらったところ、楽に移動が可能になりました。
彼女の家は湖に近く、家の脇には小さな小川があり水車小屋もありました。私の下半身もここで骨を粉にしたと聞かされました。本当は足も無事だったのではと考えたこともありましたが、私を見つけた場所にあった乾いた血が残っている地面の穴を見せられたときに本当のことだと納得しました。
食事は人と同じです。最初は生魚を食べるしかないと思っていただけに嬉しかった。私が作った料理を彼女が気に入ってくれたので、今では食事の用意をまかされています。
服をいくつか譲り受け、つま先……ヒレの先まで隠せる長いスカートと、ヒレの先が痛まないように皮の袋を靴がわりにし、街へと出かけるようになりました。街はゲームやアニメで見るファンタジー世界のような石と木の組み合わさった建物。シートの屋根が並ぶ市場などを彼女といっしょに歩いて周りました。
彼女と楽しく暮らす日々……そして気がつきました、私が老いることがないことに。
その秘密を知ろうとする者に狙われないようにと、数年ごとに彼女と一緒に街を移り住むようになりました。
そして、長い年月が過ぎました。
「出会ったあの家に帰りましょう」
「そうね、それもいいわね」
彼女との別れの時を迎えました。
私は彼女に私の血を飲めば不老になれるかも知れないといい続けました。
しかし彼女はそれを拒みました。
「それだけはダメ、ほんとうに不老になったら私が変わってしまうかもしれない」
「そんなことにはならないよ」
「いいえ、わたしはあなたに会うまで多くの命を奪い続けた。あなたの血を飲んだら、その力を使いたくなるかもしれない。何度も思ったことがあるけど、我慢し続けた。もう、あの頃には戻りたくないの。だから、このまま……」
ベッドの上で冷たくなった彼女の手を握り泣き続けました。
彼女を小屋の近くに埋葬してからふたたび街を渡り歩く生活を続けました。
そして、さらに長い長い年月が過ぎ、街には自動車が走り、空には飛行機が……
私が生まれた世界と同じ……。
私は生まれ故郷に向かっていました。
そこには見覚えのある家がありました。
なつかしい声が聞こえました。
玄関を出てきたのは両親に手を引かれている小さいころの私でした。
それから数年後。
私は今、霧雨の降る橋の上にいます。
遠くからオートバイのエンジン音が聞こえてきました。
私は道の真ん中で両手を大きく振りました。
オートバイは速度を落として私のそばで止まりました。
ヘルメットのシールド越しに見えるのは私と同じ顔の私。
「どうしまし……」
私の顔を見た私は驚いた顔をしていました。
「滑ると危ないから、ゆっくり気をつけて帰ってね」
「……」
私は私にそう告げて私に背を向けて橋の中央へと向かって松葉杖をついて進みました。
そして私に手を振りながら橋から飛び降りたのです。
目を覚ますと見慣れた天井に丸い照明器具。
「ああっ、無事に帰って来たんだ」
ただの夢だと思っていました。
けれど、夢ではありませんでした。
記憶を頼りに向かった山道の先に小さな湖がありました。周囲にあった森は変わらないように見えます。住んでいたはずの家へと続く道は茶色いレンガが敷き詰められ整備されていました。
足を進めると、大きな家がありました。
家の扉が開き、中から聞き覚えのある声が聞こえてきました。
「おかえりなさい」
扉の中から現れたのは、出会った頃と同じ姿の彼女でした。
私は駆け出して彼女を抱きしめていました。
「あなたが泣いたりするから、死ねなくなったのよ」
「……」
「でも、また会えて嬉しい……」
抱きしめていた彼女から腕を緩めて改めて顔を見つめていました。
「若返っているから驚いたでしょ、あなたの涙は血よりも強力なのよ」
その後、お互いのことを話していると彼女が緑色の小ビンを手にして見せてくれました。
「言ったでしょ、我慢できなくなるって……コレはね血を何万倍にも薄めて、美容液として売ってるの」
「そんなことしたら……」
「大丈夫。だって私、魔法使いよ。苦労したけど出来るようになったの」
「出来るようにって?」
「ここにたどり着けるのは私とあなただけなのよ」
おしまい