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沈黙の教室


沈黙の教室

                         蜜江田初朗


 沈黙、しかしそれは単なる見せかけであって、実際には計算された範囲外での規則破りが密やかにおこなわれている。それを見抜けない教師。否、形式上は完全なる<支配―隷属>の関係に置かれているのだ。生徒=子供たちはいちおうとはいえ、沈黙から離脱することがほとんどできない。

 どこの誰が作ったのか分からない机の上で、子供たちは教師の言葉を聞く。一人の生徒は、どこの誰が作ったのか分からない消しゴムを片手に持って、熱心にノートに書きとめた文章を消す。

――先生、トイレに行きたいです。――

 ある生徒が、どこの誰が作ったのか分からない椅子から立ち上がって、いかにも差し迫った口調で言う。

――我慢しなさい。授業はあと少しで終わります。――

――でも先生、もう無理そうなんです。――

――どうしても、ですか?――

――はい。――

――ならば、行ってきて、すぐに戻ってくること。よろしいか。――

――はい!――

 教師の許可を得た生徒は、一目散に教室から、教師から逃れる。逃れる? 否、逃れてはいない。彼は、教師の呪術から逃れることはできない。教室に依然として居ること、それが生徒の果たすべき義務。

 私たちは、〈教室〉なる空間から、おそらく一生逃れることはできない。一生。そう、私たちは少しも自由ではない。


トイレから先ほどの生徒が戻ってくる。と同時に、授業の終了を告げるチャイムが鳴る。

――社会はこれでお終いです。M・ハイヤー、あなたは授業終了の間際にトイレに行った罰として、次の国語の時間のはじめに朗読をしてもらいます。――

 M・ハイヤーはうなだれる。ただ黙ってうなずく。

――それでは、休憩です!――

 教師がそう告げるや否や、子供たちはその爆発的な躍動力をもってして、どこの誰が作ったのか分からない椅子をなぎ倒す勢いのごとく動き回る、しゃべりだす。がやがや、べらべら、どらどらどら。エネルギーに溢れている。教室の窓からは午後の力強くて優しい日射しが彼らを包み込む。彼らの本質――自然的生――を照らし出すかのように。ある生徒は、どこの誰が作ったのか分からない赤色の鉛筆を、くるくると回す。ある男子生徒たちは、どこの誰が作ったのか分からない筆箱を、ボール代わりに投げ飛ばす。ある女性生徒たちは、どこの誰が作ったのか分からない黒生地の制服のスカートをひらひらさせながら、リズミカルなダンスを披露する。


 ドカン!! 唐突に、大きな音がして、ざわつきは一瞬にしてゼロになる。何事かが起こった。一人の生徒が、いち早くそれに気付いて指を指す。

――穴、穴が開いた!――

 他の生徒と教師も、同時にその生徒の指さす方向を見る。そこには、どこの誰が作ったのか分からない教室の天井の一部分に空洞があった。空洞を埋めていたはずの、どこの誰が作ったのか分からない天井の一部は、跡形もなく消えていた。ついでに言及しておくと、空洞の先はどこまで行っても気の遠くなるような暗黒の闇が待ち構えていた。

 きゃあ、大変だ、こわいよう。生徒たちは口々にするが、教師はがぜん冷静だ。

――みなさん、静かに。天井の一部分が壊れてしまったようですね。今から、修理屋さんを呼びます。そう時間もかからないでしょう。皆さんは、心配する必要は全くありません。――

――でも、先生!――

――なんですか、M・ハイヤー。――

 先ほどトイレで罰をくらった少々内向的な性格の彼は、おずおずしながらも生徒を代表して教師に質問をしようとする。教師のあまりに鋭い視線は彼を少しだけ恐怖させる。

――て、天井は、なぜ壊れてしまったのですか? なぜ、空洞ができたのですか? 抜け落ちた部分は、どこにいってしまったのですか?――

―M・ハイヤー。―

 教室中の誰もが、この教師とM・ハイヤーとの対話に固唾を飲んでいる。

―二度目の罰です。あなたには、学校が終わった後、窓拭きをしてもらいます。――

―ですが、先生……。―

――M・ハイヤー、あなたが今私に聞いたことは、学校規則で禁じられています。〈教室〉に関する一切の事項について生徒は何も聞いてはならない。あなたは、この決まりを知らなかったとでも言うのですか、M・ハイヤー?――

――そ、それは……。でも……。――

――なりません、M・ハイヤー。天井に関する事柄、それはすなわち〈教室〉の事柄です。したがって、あなた方は私たちにそのことを一切聞いてはならないのです。分かりましたか。皆さん、M・ハイヤーだけでなく、皆さんも同じですよ。私は修理屋を呼びます。修理屋が来て、天井を元通りに直します。それだけです。皆さんは、何もしなくていいのです。分かりましたか?――

 悲痛に近い沈黙、強制された服従が擬制される。M・ハイヤーはうなだれる。教師は、まるで何事もなかったかのように、修理屋に電話するため教室を後にする。

やがて教師は教室に戻り、何事もなかったかのように、休憩の終了を告げて、授業を始める。沈黙。M・ハイヤーの、抑揚に欠けるいかんせん退屈な朗読がはじまる。

 授業が進行している間に、どこの誰だか分からない、妙にうすよごれた顔の修理屋が来て、勝手に天井の修復作業をはじめる。プロレタリア階級に独特の、あの例の型にはまった偽善的な笑み。授業は続く。時刻もほどほどに、修理屋は作業を着実に終える。軽く一礼して、去っていく。


 どこの誰が作ったのか分からない天井が、戻ってくる。どこの誰が作ったのか分からない椅子に座りながら、生徒は反抗する手段を全て奪われて、教師に隷属する。

 <支配―隷属>の類比関係の授業は続く。沈黙の教室。

(了)


 


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