GALAXY
「そう言えば、あの日は山中首相の街頭演説に、みんなが夢中になっていたなぁ」
14才になる穂積は、自分より7つ年上の兄のような存在、高沢の話を思い出していた。それは2021年、日本が戦争へと邁進しつつある七月の暑い夏の日だった。蝉の鳴き声が鳴り響く中、冷たいそうめんと麦茶を、高沢は口にしながら、そう古い話でもないのに懐かしそうに振り返っていた。風鈴の音が心地よく響き、縁側で高沢と二人して午後の日を過ごしていた穂積にとって、それはとても新鮮だった。高沢はそうめんを一口、すする。
「みんな戦争賛美を口にする山中首相の話にうっとりしていた。僕は不穏なものを感じ取っていたけど、そんなに気にはならなかったなぁ。なぜって……」
そう前置きして高沢は話を続ける。
「山中首相の街頭演説の真向いにあったスクリーンビューに、僕の大好きなバンドのpvが映っていたからね。僕はそれだけで十分だったんだ」
穂積は高沢が大の音楽好きであるのを知っていた。それと同時に、高沢が反戦思想の持ち主であり、山中首相の強硬な対外政策に違和感を感じているのも知っていた。そして加えるならば、高沢が戦争の機運が高まっている時に、自分の政治的ポリシーを声高に主張しても仕方ないと思っている人物であるのも知っていた。高沢は麦茶を気持ちよさそうにゴクリと飲み干す。
「その歌はね。自分の殻に閉じ籠る女性に向けられた歌なんだよ」
高沢はそう言って気持ちよさそうにその歌をハミングする。
「『真夜中、どんな闇の中にいようとも君の瞳に光が飛び込んでくる。キラキラと煌めきながら。君はもう何も悲しい想いに囚われることはない』ってね。ホントに素敵な歌だったなぁ」
高沢は懐古的に、ノスタルジックな感傷に浸りながらそう口にした。穂積は高沢の安定した心持ちと、あえてノンポリシーを装う心情がどこか不思議でありながらも、大好きだった。
そんな高沢に軍の徴集がかかったのはそれから一年後、戦争が始まって半年後の事だった。高沢は反戦運動をする事もなかったし、兵役拒否もしなかった。ただ淡々と事実と現実を受け入れて従軍しようとしていた。
その夏、穂積は軍に入隊する高沢と、最後に会った。高沢に悲壮感や怒りはなく、とても平静で清々しささえあった。高沢は、穂積の肩を軽く叩くとこう口にした。
「あの日、丁度一年前の夏、君にした話を覚えてるかい?」
穂積は頷く。穂積はあの時の面影が、想い出が、記憶がバラバラになってしまうのを覚悟するように、物悲しい気持ちを抱えていた。そしてこうも予感していた。もう高沢と再会することは多分ないだろうと。そんな気持ちを胸に秘めている穂積を、高沢は優しく見つめる。
「みんな山中首相の話に熱中していたけど、僕はあの曲の方が大切なことを伝えていたと思うな」
そして高沢はもう一度サビのフレーズをリフレインする。
「『命は輝く光の中で、舞い上がり、自由になる。君には翼があるさ。だからもう悲しまないで』」
高沢は青く澄みきった青空を仰ぎ見る。その瞳は汚れがなく、どこまでも透き通っていた。
「みんなあの曲にそっぽを向いて、耳を傾けなかったけど、僕にはその歌がとても心に響いたんだ」
高沢は最後にこう締めくくる。
「こんなご時世にあんな素敵な歌があるなんて不思議だね。世界はまだまだ捨てたものじゃないよ。今度、君にもぜひ聴いて欲しいな」
その言葉を残して高沢は従軍していった。そして高沢の戦死、訃報が届いたのはそれから更に半年後のことだった。中国大陸で、部隊が奇襲に遭い、あえなく死亡したという。
そして戦争が和平プロセスを歩みつつある今、2023年、あの時と同じ夏の日に、穂積には、今でも軽やかにあの歌の一節をハミングする高沢の声が、耳に届いてくるようだった。蝉の活き活きとした鳴き声と共に。そう。高沢は確かにこう言っていた。
「『君には翼があるさ。だからもう悲しまないで』。君にもぜひ聴いて欲しいな」