結婚式本番
真っ白の花嫁衣装に身を包んだ小さな少女は、両親の前に立ち頭を下げた。
「父さま、母さま。お世話になりました」
「チサッ!」
ガシッ!
「よくやりましたっ」
ボロボロと泣きながら、白いハンカチを握りしめて母が目を爛々と喜びに輝かせた。
「いつ突き返されるかと気が気ではなかったけれど、ここまでくれば一安心です。ああ、よかった……本当に。おまえが嫁げば母さまたちの老後も安泰です」
「しかも侯爵家となれば、玉の輿だしねぇ。姉上にしてはやるじゃん」
ニカリ、と笑った青年はまだ幼さの残る輪郭を喜ばしげに緩めて、「どうやったの?」と首をかしげてみせた。
傍から見れば手酷い扱いのような気もする光景だったが、当の花嫁本人は一緒になってうんっうんっと力強く頷き合って、「それが、どうなってるのかわたしにもサッパリ」と首を傾げているから微笑ましいんだか、滑稽なんだかわからない。
「キリエ侯爵が幼児趣味っていう噂は本当だった、ってコトじゃないの?」
と、弟が明け透けに訊けば、
「うーん。まあ、それもあるのかしらね?」
血のことを言うべきじゃないと思案しつつ、チサは曖昧に頷いた。
本心、そう思わなくもないからだ。
こんな幼児体型に欲情するだなんて、きっと彼はそうに違いない。と疑わない花嫁である。
ここにキースがいれば、あるいは侍従であるドロシア兄妹がいれば、間髪入れずに「違う(違います)っ!」と力一杯否定するところであるが、幸か不幸かここには男爵家の面々しかおらず、この誤解は結構長い間訂正される機会がなかった。
「趣味は人それぞれだしね、うん。良かったじゃん」
「そうなの。需要と供給ね」
「姉上らしいけど、色気ないよ。ソレ」
ニコニコと頷く姉へ呆れたように言う弟は、心中で(侯爵家と縁戚になれば、うちの家もそれなりに箔がつくよね)などと打算的なことを考えていた。
内情はどうあれ、ジャカルティエ男爵家がのほほん一家であることは変わりがなく、「良かった、良かった」と長女の結婚を心から喜んだ。
領主の結婚とあれば、城下の賑わいも(いくら正体不明の侯爵と言っても)それなりで、お披露目もかねて街中を練り歩いたり、城の門まで開放したりしてちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。
ひとまず、城内に戻って窓から手を振っていた(侯爵の腕に座るように抱えられていたので、かなり抵抗しつつ)チサはオドオドと「いいんでしょうか?」と訊ねた。
「何がだい?」
(ベッド以外では)常にない近さのキースの宝石みたいな紫の瞳に頬を染め、小さな体の花嫁は俯いた。
「子供みたいなわたしで、いいんでしょうか?」
見栄えがよくない。こんなふうに抱き上げられては、親子のように見られても仕方がないと落ち込む。
(よ、幼女趣味って噂がまた広がってしまううう!)
せめて、出るところが出ていれば……いや、揉まれているせいか前よりも張りはある気がするけれども、けれどもっ(真っ赤!)!
無意識に胸に目を落とすチサに、キリエ侯爵は目を瞬いて微笑んだ。
「チサは子供では、ないでしょう?」
「え?」
目を上げれば、目が眩むほどの優雅な微笑みが近づいてくる。
眩しさに脳内が惚けて、まったく対処できなかった。
(……あ。)
ニコリ、と彼は笑いかけて、もう一度唇を塞ぐ。誰のって、それは――。
触れるだけの口づけだったけれど、まさしくこれがチサにとっての初めてのキスになる。
「き、キースさまっ!」
「ああ、神前の誓いの前にしてはいけなかった?」
信心深い令嬢なら確かに、そういうものを大切にすることもあるだろう。けれど、チサの動揺は全然違うところにあった。
首を振って、真っ赤になる。
子供だからと、避けられているのだと思っていた。仕方ないとも諦めていたのに。
「いいえ、いいえ! でも、ほんとうに? それではどうして……今日まで 一度も していただけなかったの?」
唇へのキスをしてもらえなかったことが、密やかな不安だった。
首筋への口づけ(と言うか、食事?)は幾度となくされたけれど、唇にはしなかった。それは、昨日の夜でさえ、今日の朝でさえ当てはまること。
「最初は意識してなかったけど、こういうことはロマンチックにしたいじゃない?」
「ロマン、チック?」
思いがけない言葉に、反芻する。
「うん。私と貴女の初めての口づけは、大事にしたかったんだ」
――と、キースが考えたのには理由〔ワケ〕がある。
とある夜。
それは、なかなか会える時間がつくれなかった数週間前のことだった。
眠っているチサを起こそうと寝台に近づいて、スヤスヤと幸せそうに目を閉じている彼女の頬に触れた。
ふくふくしていて、指を滑らせるとこそばそうに「ううん」と寝返りをうとうとする。その仕草さえ愛らしい。
ついつい頬が緩んで、起こすのを躊躇った。
このまま抱きしめて眠っても、きっと十分心地いいのだ、と思わせた。
ぷるん、とした彼女の唇を指で撫で、ほんの少し開かせる。
赤い唇がのぞいて、艶めかしい吐息を吐く。
「チサ」
呼べば、瞼が震えて緑の綺麗な瞳が彼を映した。少し、欲情している男の顔を――。
「きーす、さま」
とろん、とした眼差しの彼女はパクンと唇に触れていた彼の指を含んでみせた。
「チサ?」
驚いて、身を引く。と、彼女は抱きついてきて「愛しています」と彼の唇を奪った。
たどたどしい口づけに胸が苦しくなった。
「愛している?」
ハァと一つ深い呼吸をしつつ、問いかける。
「はい、愛してます。キースさま」
少しの打算もない彼女の素直な言葉が、慣れていない口づけがたまらなく愛おしい。
ギュッと抱きしめて、そして「愛しているのは、きっと、私の方だ」と口ずさむ。誰にも、胸に抱いた彼女にも聞こえない声だったけれど、本気だった。
彼女に先に言われたのは、失敗だった。失敗、そう考えれば最初の口づけも彼女からでは情けないような気がする。
ああ、本当だ。
「………情けないな」
腕の中の彼女はふたたび、夢の中に旅立ってしまったようだった。翌朝、チサがその夜の出来事をまったく覚えていないと知ったキースは(嬉しいような、寂しいような)複雑な気持ちではあったけれど、決めたのだった。
この次、キスをする時は間違えない。告白は自分からする――と。
そう、決めた。
「……病める時も健やかなる時も、慈しみ、愛することを誓いますか?」
神父の言葉はほとんどがキースの耳を素通りしていた。
「誓います」
答えながら、見下ろせばベール越しに頬を染めるチサと目が合う。
「誓います」
彼女の唇がその尊い形を象り、言葉を紡ぐ。
指輪を交換して、その薄い帳を上げて呼びかけた。
「チサ」
「はい」
恥ずかしそうに俯く彼女を腕に乗せて、抱え上げると驚いたように目を見開く。
銀色の指輪が輝く小さな指に口づけて、耳のそばで囁く。
「愛してる。君の 血 しか欲しくない」
そっと彼女の首筋――ではなく、唇に近づいて、塞いだ。
キリエ侯爵の腕の中で、幸せすぎて死ぬかも……とチサは思った。
城の中にある祭壇で夫婦の契りを交わして、囁かれた愛の言葉はとても彼らしいものだった。
食料みたいに愛される、なんて本当ならもっと抵抗とか複雑な心境になるべきところなのかもしれないけれど、夫となる男性〔ひと〕は切実に訴えるからきっと自分がいなければ食事をしないのではないかしら? と逆に心配になる。
べつにそこまでは……もちろん、そうだったらいいなとは正直欲張ってしまうけども、求めない。彼が必要としてくれるだけで、十分嬉しいのだ。
ぎゅっと抱きついて、「わたしの、血だけですか?」と問えば、ぶるぶると首を振ってくれる。従順な獣のようだ。
「君の、すべてだ」
「わたしは、ぜんぶ、貴方のものですわ。キースさま」
にこにこ笑いながらチサは言い、ほんの少し不思議に思う。
(なんだか、キースさま……目が赤い? 気のせい、かしら?)
そうして、意識は自分の胸元に下りて起伏の少ないそこに幸せで死んでいる場合ではないと、決意を新たにした。
目標、少しでもキースさまの所有物〔もの〕として相応しい体になること。
とりあえず、胸はもう少し大きい方が(きっと)彼の手のひらにはまって(たぶん)いいと思うの!
これにて、「小さき姫と年の差侯爵、の結婚」はおしまいです。
このあとに、もうひとつ小話を投下しますが……蛇足っぽい補足です。山も谷もない小話群の中でも随一の蛇足だと思われます。
なんにも期待してないわい! という方だけご覧ください。
ここまで、お付き合いくださいまして本当にありがとうございます。
また、どこかでお会いできることを願いつつ。