草食侯爵と肉食公女の、攻防
侯爵視点。短いです。
ふん、と彼女は整った貌〔かお〕に不服をのせて鼻をわずかに鳴らしてみせた。
本当ならこんな仕草をすれば高貴な生まれを疑われるものだが、なぜかこの公女――エリル・リーナ・リュテール・ロ・アンジーナ・マフタフ(長いので、エリーナ姫で通っている)にはそれがひどく似合う。気品は損なわず、しかも威厳すら漂わせるのだから性質〔タチ〕が悪いなぁ……と、この城の主であるキリエ侯爵ことキースは自分の中での忌まわしい過去の出来事を思い出し、ぶるりとふるえる。武者震いだ。
キースが人間に対して決していい感情を抱かない理由の一つが彼女にはあり、そして数多の経験から女性に対しての評価はかなり低い。彼曰く、チサ以外は例外なく信用していないし、年季の入った女性不信なのだ。
皆が皆、チサみたいに可愛く優しい存在だったなら……もう少し女性に対して愛想を覚えられたかもしれないけれど、培われた警戒心は如何ともしがたい。
必要に駆られなければ妻探しなんてことも絶対にしたくなかったが、アレはアレで今では良かったのだと思える。だって、チサに逢えた。
「あの娘がかように良いか? 妾には童女にしか見えぬが――あれで、満足するのかえ?」
男として、という暗に揶揄する女性の口さがない言葉に侯爵は顔を顰めた。
「そのようなご質問は品を疑われますよ、姫君」
微笑みながらキースの不快感は態度に出ていたらしい。
エリーナは楽しげに喉をふるわせて、彼を見据える。
「相変わらずの潔癖症じゃな、チサも女子〔おなご〕、妾と差はないと思うがのう?」
そう言うと、彼に近づこうとする。
「ホ、そんなに離れなくとも良いのではないか? 愛いのう」
初めて会った若かりし頃(と言っても、五年程度か?)、首筋に吸いつかれた屈辱は忘れられない心の傷となっている。勿論、忌まわしい過去はそれだけではないのだが。
しかも、あの時は噛みつかれたのだ。この公女は本気で人の身に飽いているらしい。
恐ろしい方だ、とキースは呻いた。
「趣味の悪い冗談は聞き捨てなりません。チサと、貴女とでは、雲泥の差です」
「何処がじゃ」
公女も負けじと不満を口にする。
女子は女子、それ以上でもそれ以下でもない……とこの人は本気で思っているのかもしれない。
「決まっている。当然でしょう? チサと貴女とでは 流れる 血が違うのですよ」
同じ処女でもね、と口にはせずに侯爵は妖艶な魔の微笑を浮かべた。