だから私はいなくなる、五歳も若作りするのは疲れました
数多くの作品から目に留めていただき、ありがとうございます。
前作『だから私はいなくなる、やっとご希望に沿うことが出来ますわ』のアナザーストーリーです。前作未読でも楽しんでいただけると思いますが、読んでもらえると人間関係がハッキリします。
なお、恋愛要素はとても薄いですが、前作と同じジャンルにさせてもらいました。
「カタリーナ・ペネロープ! 君のとの婚約を破棄する」
卒業パーティーの最中、ルーシェン王国の王太子オーティスは婚約者であるカタリーナに婚約破棄を言い渡した。
うわぁ、本当にやらかした、私は内心引きまくった。
カタリーナはこの国ルーシェン王国の筆頭公爵家であるペネロープ家の長女だ。銀色の髪に赤い瞳、真珠のような白い肌の美しい少女。外見だけでなく、頭脳明晰で品格と教養を兼ね備えた淑女の鑑と誉れ高い令嬢。
なんの非もない彼女にこんな場所で一方的に婚約破棄を突き付けるなんて酷過ぎるわ。
まあ、オーティスの横にくっついている私に同情されたくはないでしょうけど。
私はバーナード男爵令嬢のアネット、フワフワしたピンクブロンドにハシバミ色の瞳の庇護欲をそそる可愛い少女。体にピッタリフィットしたドレスで豊満な胸を強調している。少々下品なそのドレスはオーティスが婚約者であるカタリーナに当てられるべき予算で誂えたものだ。
「俺は真実の愛を知ってしまったのだ」
陳腐なセリフを吐くオーティスにカタリーナは冷ややかな目を向けていた。
「いつも変わらぬ表情で、なにを考えているのかわからない君が横にいると息が詰まる。王太子と言う重責と執務に追われて疲れた俺を癒してくれるのは優しいアネットだけだ。俺が彼女と親しくしていることに嫉妬して、嫌がらせをしていたそうじゃないか」
王太子としての重責? 執務に追われて? それを代わりに処理しているのはカタリーナだと私は知っている。放り出して遊び歩いているくせに(主に私と)よくそんなことが言えるものだ。嫌われて当然なのに、なぜかオーティスは彼女が自分に惚れていて、嫉妬のあまり私を虐めていると信じている。
「嫌がらせをした記憶はございませんわ、そもそもそちらのご令嬢と言葉を交わしたこともありませんし」
冤罪なのはわかっているが、ここは私もオーティスの小芝居に乗らなければならない。
「カタリーナ様は私が話しかけても無視なさるし、取り巻きのご令嬢たちには筆頭公爵家のご令嬢に気安く話しかけるなんて無礼だと睨まれて、怖かったんです」
大きな瞳に(嘘泣きの)涙をいっぱい溜めながら、オーティスの腕にしがみ付く。
取り巻き令嬢たちは間違っていない。学園では身分を問わないと言うのは建前で、男爵令嬢ごときが学園で王族の次に高位のカタリーナに気安く声をかけるなんて、普通では考えられない行為なのだ。
「可哀そうなアネット、身分が低いからと蔑ろにする君のように冷たい女は王太子妃に相応しくない」
男爵令嬢のほうが王太子妃に相応しくないと思いますけど。
「そうでございますか、婚約破棄は謹んでお受けいたします」
カタリーナが縋るだろうと思っていたオーティスは肩透かしを食らったようだ。本当にいいのか? この最高級の女性を手放しても!
カタリーナとオーティスの婚約が調ったのは十年前、八歳の時だった。第一王子のオーティスは、勉強は出来ないし剣術も揮わない残念な王子だ。側妃が産んだ第二王子が優秀だったために、幼い頃から比べられて、第二王子を王太子にと言う声が上がっていた。どうしても自分の息子を王太子にしたい王妃は、筆頭公爵家であるペネロープ公爵家の後ろ盾を得るためにカタリーナとオーティスの婚約を強引に調えたのだ。
オーティスは中身こそ残念だが見た目は完璧、黄金のサラサラヘヤーにサファイアの瞳、甘いマスクで笑顔が眩しい絵に描いたような王子様だ。無能ではあるが悪人ではない、優しいところもある。だからカタリーナも我慢できたのだろう。二人の関係は円満だった。私が現れるまでは……。
半年前、王立学園に転入した私をオーティスが見初めた。
アネット・バーナードはバーナード男爵の庶子で、市井で暮らしていたが、半年前に男爵家に引き取られた。そして王立学園に通うことになった。
私が故意に作った出会いを〝運命の出逢い〟とオーティスは称した。続いて、計画的な接触を〝運命の導き〟と言い、自分たちは結ばれる運命だと思い込んだ。潤んだ瞳と寄せて上げた胸の谷間で思い込ませたんだけどね。チョロすぎて苦労もなく篭絡できた。
最初からオーティスが狙いだった。私たちは急接近し、アッと言う間に(オーティスの)恋の炎は燃え上がる。
十年近く緩やかに育んだカタリーナとの関係は崩れ、オーティスの心は離れた。見る目がない男だ。誰が見てもカタリーナの方が何倍も魅力的なのに、オーティスは私の色香に魅了された。ほんと男って……。
「それでは失礼したします」
カタリーナは淑女の礼をして会場から出て行った。
最後にチラッとオーティスを見たカタリーナの瞳はガラス玉のようで、なんの感情も見えなかった。
その眼はあの子と同じだった。
* * *
その少女はまるで人形のように硝子ケースに入れられてディスプレイされていた。
エメラルドグリーンの瞳に真っ白な髪、年の頃は十二、三歳、まだあどけなさが残るが整った顔立ちの美少女だった。
フリフリの可愛らしいドレスを着せられたその少女のケースの下には価格表があり、彼女が売り物であることを示している。そのようなケースがいくつも並んでおり、下は五、六歳の幼女、中には美少年の姿もあった。
そこは年端もいかない少年少女を専門に扱う娼館だった。もちろん違法である。どこからか拉致されてきた者、親に売られた者、ここへ来た経緯は様々だが、このように硝子ケースに陳列されて、毎日、変態貴族の相手をさせられている可哀そうな被害者たちだった。
白髪の少女は、私がケースの前に立つと無理に口角を上げた。微笑んでみせたつもりだろう。きっと品定めするお客様に気に入られるようにそうしろと仕込まれているのだ。しかしエメラルドの瞳にはなにも映っていない、ガラス玉のように生気がなかった。
胸が痛んだ。
救い出すことは出来ても、こんな場所で変態の欲求を満たす道具のように扱われていた子供の心の傷は癒えるのか? これからこの子たちはどうやって生きていくのだろう、未来はあるのだろうか?
そんなことを思いながら、私は硝子ケースの鍵を開けた。
* * *
「カタリーナを側室に?」
卒業パーティーでの婚約破棄騒動から十日後、王宮の貴賓室には国王夫妻、王太子オーティスと新たに婚約者となった私がいた。そして呼び出されたレイモンド・ペネロープ公爵が思い切り顔を歪めながら聞き返した。
一人息子に甘い王妃ヘルミナがとんでもないことを言い出したのだ。
「今回のことはオーティスが先走ってしまったけど、カタリーナ嬢は十年も婚約者としてオーティスを支えてくれた。それを切り捨てるような不義理はしたくないのでな、側室に迎えてやろうと言っているのだ」
ヘルミナの言い方はいかにも恩着せがましい。
「筆頭公爵家たるペネロープ家の娘が側室で、男爵家の庶子が王太子妃ですか、我が国の身分制度は崩壊したのですかな」
レイモンドは怒りを抑えて嫌味たっぷりで返す。そして国王に鋭い目を向けた。
「国王陛下も同意されているのですか? 娘を差し出せと?」
「い、いや、カタリーナ嬢はオーティスを好いておるようだから、彼女のためにも良いことではないかと思ったのだが……」
国王はペネロープ公爵の怒りを察して額に汗している。
「カタリーナはあまりの仕打ちにショックで食事も摂れずに体調不良で寝込んでいます。十年も殿下に尽くしてきた結果、事前の話し合いもなく、あのような場所で突然、冤罪をかけられて破棄されたのですよ、それが不義理でなくてなんと言うのです」
いやいや、おそらく家で祝杯を挙げただろう。おバカなオーティスの御守から解放されて、自由になった未来に心躍らせているはずだ。ある意味私は彼女を助けたと思っている。
「側室? どうせ今までカタリーナに押し付けていた執務が滞ったから、それをさせるために利用しようとしているのでしょ?」
図星だ。しかし見抜かれてバツ悪そうにしている国王やオーティスとは違い、プライドの高いヘルミナは逆上した。
「なんです、その失礼な物言いは! 臣下が王家のために尽くすのは当然のこと、側室と言う地位を与えてやろうと申しているのに不服なのか? 体調不良? そんなもの、私の侍医に診せればすぐに治るだろう」
「それはどうですかな、先の側室様は悪化して亡くなられたのですよ、王妃殿下の侍医など信用できません」
ペネロープ公爵も負けてはいない。ヘルミナのように感情的になっていないが、それがかえって凄みを増している。
「貴様! 私を愚弄するのか!」
「事実ですから」
「よくもそんな口を! ただで済むと思っているのか! 私の後ろには母国カプリスキー帝国がついているのだぞ!」
ヒステリックに叫ぶヘルミナ王妃は小者感満載だ。それ以上に口を挟めない国王陛下の不甲斐ないこと。
「いつの話をされているのですか? あなたが無理矢理お輿入れされた時は、あなたを溺愛されていた前皇帝の時世でしたが、今は代変わりしてハビエル皇帝の時代です。あなたの異母弟でしたね。お父上のように変わらず後ろ盾になってくださるほど仲がよろしかったのですか?」
王妃ヘルミナがカプリスキー帝国から輿入れした時は一悶着あった。当時の王太子、現国王には三カ月後に結婚式を控えた侯爵令嬢のユリアと言う婚約者がいて、二人は幼馴染でもあり、愛し合っていたのだ。それを美男の王太子に一目ぼれしたヘルミナが横恋慕し、帝国の力を使ってねじ込んで来た。強大な軍事力を持つカプリスキー帝国には逆らえなかった。そして、ユリアとの結婚式を丸々乗っ取った。
ユリアは側室として召し上げられて、本来ヘルミナ王妃がするべき執務をすべて押し付けられた。
その後、ユリアは王子ユリスモールを産んだが、数年後に病死した。それは嫉妬に狂ったヘルミナが毒殺したものと囁かれたが、確たる証拠はない。ユリスモール王子も暗殺される危険があると危惧した国王は、彼をユリアの親戚がいるフロランス王国へ逃がした。
そんな事情はこの国の貴族なら誰もが知っている。ヘルミナ王妃に悪感情を持つ者ばかりか、言いなりなっている気の弱い国王にも不満は募っていた。今は姿を隠しているユリスモールを呼び戻して擁立する話も出ているくらいだ。
「とにかくカタリーナは領地で療養させますから、側室の件は謹んで辞退させていただきます」
あらら、もう終わってしまうのね。二人のバトルをもっと見ていたかったわ。
ヘルミナ王妃に逆らえない国王陛下と王太子は最後まで口も挟めず憮然としているだけ、情けない限りだ。この国が体制を保てているのは側近たちが優秀だからね。でもそれも今日限り、筆頭公爵家のペネロープ公爵をこれほど怒らせてタダで済まないのは王家の方だと思うけど。
案の定、一カ月もしないうちに王宮は大混乱に陥った。
ペネロープ公爵はカタリーナと共に領地に引っ込んだ。タウンハウスは閉鎖され、ペネロープ公爵家は完全に王都から撤退したとみなされて大騒ぎになった。今までこの国を支えてきたのは筆頭公爵家であるペネロープをはじめとする一門なのだ。そのペネロープに見限られた。
広大で豊かな穀倉地帯を持つペネロープ公爵領からの物流が滞り、王都の物価は高騰、市民の不満はたちまち膨れ上がった。
一方のペネロープ公爵領にはなんの影響もない、そもそも公爵領だけで自治が可能なのだから王都がどうなろうと関係ない。派閥貴族たちもペネロープに倣って王家から距離を置き、自領を護ることを優先した。
半年後にはもうどうにもならない状況に陥り、さらに三カ月後には王都市民の怒りが爆発寸前、暴動が起きた。
事の発端である、ペネロープ公爵令嬢を婚約破棄した王太子、及び、ペネロープを蔑ろにした王家が弾劾される。
それから半年後、満を持して登場したのが国外で逃亡生活を余儀なくされっていた第二王子ユリスモールだ。彼が帰国して混乱の収拾に当たった。彼を支持したペネロープも全面的に後押しした。
結果、オーティスは廃太子となり王籍から抜かれて、北の端の小さな領地に追いやられることになった。寛大な処置だと思う。
さんざんオーティスを甘やかして今回の事態を招く原因を作った上、暴言を吐いてペネロープ公爵を怒らせたヘルミナは北の塔に幽閉された。
国王は近いうちに退位し、ユリスモール殿下が即位する運びとなる。
ユリスモールはこの日が来るのを虎視眈々と待っていた。若いがなかなかの曲者、既にカプリスキー帝国のハビエル皇帝に渡りをつけて、元皇女でハビエルの異母姉に当たるヘルミナを失脚させる旨を伝えて了承させていた。ヘルミナと確執があったハビエルはユリスモールを支持した。
そしてユリスモールの母親の親戚であるフロランス王国のキャシディ公爵の後ろ盾も確約してもらっていた。
若き王ユリスモールが即位して、ルーシェン王国は生まれ変わる。
……とまあ、ここまでくれば私の任務も終了していいでしょ?
* * *
「十七歳の王立学園生になれって?」
最初、この話を聞いた時、絶対無理! と思った。
「五歳も年を誤魔化すなんて無理だわ、私、童顔でもないし」
「そこをやりこなすのがプロってもんじゃないのか?」
「若作りするにも限界があるわ、どう見ても学生には見えないでしょ」
私はヴァレリー・アディス、カプリスキー帝国の諜報員である。
物心ついた時には諜報員になるべく訓練を受けていたので親の顔も知らない。
親を亡くした、もしくは売られた子供たちの中から、能力の高い者を選抜して特別な訓練を受けさせる機関がある。私がその訓練機関を優秀な成績で卒業し、諜報員として活動を始めたのは十五歳の時だった。それから七年、二十二歳の私はベテランの域に達している。メイド、侍女、娼婦、食堂の店員から貴族子女の家庭教師まで、何者にでもなれる腕利きの諜報員、しかし、今回の任務は少々難題だった。
「まあ、なんとか誤魔化せよ、ハビエル皇帝陛下直々の依頼なんだ」
無茶振りを押し付けている男、ロジェ・クリーチは私の先輩だった人だ。三年前、ハビエル皇帝陛下を暗殺者から身を挺して護り負傷した。そして右足が不自由になったため引退を余儀なくされた。
もうすぐ三十歳になる彼は現在食堂の店主をしている。『料理の腕は潜入捜査に役立つから磨いたんだ、腕のいいコックは貴族の邸に雇われやすいからな』と豪語するだけあり、料理は絶品、食堂は繁盛している。
しかし引退した今もハビエル皇帝からの信頼は厚く、私的な依頼が舞い込む。
「陛下の私怨だから絶対秘密にしたい訳よ。下手をすればルーシェン王国との間に大きな亀裂が入るからな。誰にも気付かれず、陰謀があったことすら気取られずに完結しなきゃならないから」
「なぜ、そんなまどろっこしいことするの? 暗殺しちゃえばいいじゃない」
「恨みは深いんだよ、ただ殺すだけじゃ気が済まない、苦しむ姿を見たいらしい」
「うーわっ、怖っ」
現皇帝ハビエル陛下が即位したのは五年前、第五王子だったが、兄王子たちが王太子の座を巡って凄惨な殺し合いを繰り広げた結果、兄たちは全滅、継承権第一位に躍り出て即位する運びとなった。
軍事ばかりに力を入れ、強大な軍事大国となったカプリスキー帝国だが、国民の暮らしは決して豊かではなかった。代替わりしたハビエル皇帝は真っ先に前皇帝時代の政治腐敗を粛正した。経済にも力を入れ、数年で経済大国へと変貌し、国民の生活も豊かになっていった。
母国の革新を知らないヘルミナは、いつまでも父親が皇帝だった時代のつもりで、自分に困ったことがあれば母国がすぐに軍事力で脅しをかけて助けてくれると信じていた。
しかし彼女は忘れていた。現皇帝ハビエルを側室の子だからと蔑んで虐げていた幼き日々のことを……。
聞くに堪えない酷い仕打ちをしていたようだ。一国の王子がお腹を空かし、小汚い格好で離宮とは名ばかりの小屋に押し込められていた。皇帝からの興味を失った身分の低い側室の母と二人、使用人もつけられずに放置されていたそうだ。それはヘルミナの母である王妃の仕業だったらしいが、ヘルミナは面白がってちょっかいをかけに来ては笑っていた悪魔のような子供だったらしい。
虐待されたほうは忘れない。それにハビエルの母を毒殺したのはヘルミナだという噂だった。証拠はないがハビエルもそう思っていたから憎しみは地の底まで届くほど深い。
しかし今はルーシェン王国の王妃、復讐しようにも簡単に手出しできない。間諜を潜り込ませているものの、用心深いヘルミナを暗殺するのは困難だった。それに、簡単に殺してしまうより、苦しめて苦しめて苦しめて、絶望の沼に陥れて、最後は自分で命を絶つほど苦しませたい、それほどハビエルの恨みは強かった。
そこで私に依頼が来たのだ。
ヘルミナが溺愛する一人息子オーティスを失脚させる。そのために浮気をさせてペネロープ公爵令嬢を蔑ろにして父公爵を怒らせる。そうすれば娘を溺愛しているペネロープ公爵が、オーティスと背後にいるヘルミナを陥れるだろう、と言う考え。
短絡的と言うか雑な計画だ。そんなにうまく運ぶものか疑問だった。と言うか、本気で陥れる気があるのかしら? なんかゲームでも仕掛けているようなノリに思えるんだけど……。
後で思ったのだが、その時は既にユリスモールが接触していたのかも知れない。母親を毒殺された者同士、意気投合していたもかも知れない。
「二十二歳の私に、十七、八のボンボンを誘惑しろですって?」
「こんなことが出来るのはお前だけだ」
「まあ、私の色気で迫れば世間知らずのお坊ちゃまを骨抜きにするのは容易いけど」
「満足いく結果になれば、まとまった報酬が貰えると思うぞ」
「それで……引退させてもらえるかしら」
「引退したいのか?」
「円満退職できるならね」
無理に引退しようとすると消される可能性がある。
「頼んでやるよ、陛下は俺に恩を感じているからな、それが俺たちの仕事なのに情に厚い人だよ」
「酷い怪我で死にかけたもん、助かったのは奇跡だって言われたものね、あの時、私は……」
そう、あの時は生きた心地がしなかった。ロジェが死んでしまったらどうしよう、私も生きていけない……そうだ、私は彼を愛しているんだ、とその時に自覚した。
愛など無縁な人生だった。親の愛は知らない、誰かに愛された経験がない私は人を愛することなどできないと思っていたけど、この気持ちがきっと愛なんだと気付いた。
「お前が看病してくれたから助かったんだよ」
ロジェに抱き寄せられ、彼の懐にすっぽり収まる。
心地よい場所だ。
彼の匂いが私を安心させてくれる。
「辞めたら、嫁に来るか?」
「私なんかでいいの? 汚れ切ってるよ」
「それはこっちのセリフだ、こんなオヤジでよかったら」
ロジェは私の唇にそっとキスしてくれた。
その時、ガチャとドアが開く音に、私たちはビクッとして唇を放した。いいとこだったのに残念。
寝巻姿のブランシュが目をこすりながら入って来た。
「あら、起こしちゃった?」
時間は深夜一時を回っている。寝室で眠っていたブランシュが話声で目を覚ましてしまったようだ。
ブランシュはあの日、硝子ケースから解放して保護した白髪の美少女だ。あれから二年が経ち、ブランシュは十五歳になっていた。
年端もいかない少年少女を専門に扱う違法な娼館で地獄のような日々を送っていた白髪の少女は、助け出された直後、言葉を発することが出来なかった。長い間、レンタル人形として扱われ、話をすることも許されなかった彼女は声の出し方すら忘れてしまっていた。心を固く閉ざしてその瞳はなにも映さないままだった。
私が彼女を放って置けなかったのは、私と同じ真っ白な髪だったからだ。きっと元は金髪だったと推察する。私がそうだったから。
私は性的虐待を受けたわけではないが、諜報員を育成する機関での教育は過酷だった。幼かった私は極度の緊張と恐怖に晒され続けて、気が付けば美しかった金髪は色を失い白髪に変化していた。
きっとこの子も同じだったのだろうと他人事とは思えなかった。だから私は彼女を家族の元に返してあげたいと思った。
逮捕された娼館のオーナーから、彼女はフロランス王国から拉致してきた貴族の令嬢だと情報を得た。
調べると、四年前にエメリッヒ伯爵家から捜索願が出されていた。年齢も合致するので、この子はエメリッヒ伯爵令嬢のリアナである可能性がある。しかし本人は心を閉ざし反応しない人形のままなので確認できない。
「会わせてみればわかるんじゃないか? 四年しか経ってないんだろ、少々変わっていても親なら娘だとわかるだろう」
ロディの言うことは尤もだと思い、私は早速彼女を連れてフロランス王国へ赴いた。
エメリッヒ伯爵邸の前まで来ると彼女が反応した。僅かだが目の奥に光が甦る。彼女の心が動いたのを見たのは初めてだ、きっと見覚えがあるのだ。両親に会えば彼女の心が開くかも知れない、自分を取り戻せるかも知れないと期待して、私たちは馬車から降りた。
「誰?」
その時、門扉の向こうにいた少女が私たちに気付いた。
金髪でエメラルドの瞳の美しい少女だった。年は彼女と同じくらいだが、豊かな表情で物珍しそうに彼女をマジマジと見つめて、
「老婆のような白髪なのね、可哀そうに」
いきなり失礼な発言!
続いて出てきた夫人が猛スピードで駆け寄り、失礼な少女を隠すように抱き寄せた。
「どちら様ですか、この子になにか御用?」
夫人は不審者を見るような目を向ける。まあ、確かに不審だろうけど、一応身なりは貴族風にしているのだから、もう少しまともな対応をしてくれてもいいんじゃない?
「大丈夫? リアナ」
リアナ?
夫人の言葉に私は愕然とした。
その子がリアナなのか……行方不明になった娘は無事に見つかっていたのね。
「その人たちが中を覗いていたの」
リアナはシラッとそう言ったが、いやいや、覗いてないし。
「通りかかったら美しい庭が見えたのでつい」
面倒なので話を合わせた。当てが外れたのならここにいる理由はない。
「失礼したしました」
回れ右、早々に引き上げた。
あの失礼な少女が今度はなにを言いだすかわからない。職業柄人を見る目はある、平気で他人を傷つけて陥れるタイプだとすぐにわかった。そして、後から出て来た夫人も同類だ。
残念ながら空振りだった。
また一から調べ直さなければならない。とりあえず今夜は一泊して、明日カプリスキーへ帰ろうと宿を取った。
一階の食堂で夕食を摂っていた時、
ガシャーン!
派手に食器が割れる音が響いた。
振り向くと、皿を落としたウエイトレスが、愕然とこちらを見ていた。
「お嬢様……」
幽霊でも見たような真っ青な顔、彼女の視線の先は私の向かいに座っている白髪の少女。
「この子を知っているの?」
「生きてらしたんですね、良かった、戻られたのですね、リアナお嬢様」
ウエイトレスは涙ぐみながら崩れるように膝をついた。
「えっ? リアナお嬢様?」
そのウエイトレス、マリーナは四年前までエメリッヒ伯爵邸で侍女をしていた男爵令嬢だった。
「私がリアナお嬢様を見間違えるはずありません、三年もお仕えしていたのですから」
「でも、夫人は全く気付かなかったのよ」
「それは、おそらくその御髪のせいでしょう、金髪じゃないからです。エメリッヒ伯爵夫妻は自分たちと同じ美しい金髪のリアナお嬢様を溺愛していました。栗色の髪のルシアお嬢様を蔑ろにして、リアナ様だけを大事なさっていたのです。だから私もあの時、ついルシア様に擦り付けてしまったのです」
「どういうこと? なにがあったの?」
私は雇い主の許可を得て(袖の下を渡して)マリーナから詳しく話を聞いた。
リアナが拉致された当日のことをマリーナは涙ながらに語った。
その日、九歳だったリアナに付き添っていたマリーナだったが、邸内なら大丈夫だろうと、当時付き合っていた恋人に会いに行った。その間にリアナは拉致されたのだ。マリーナは責任を問われるのが怖くて、リアナはルシアに連れられて森へ行ったと嘘をついた。
それを聞いた伯爵夫妻は、ルシアが可愛いリアナ様を妬んで置き去りにしたと決めつけてルシアを責めたらしい。森を大捜索したがリアナは見つからなかった。
おそらく美少女だったリアナは目を付けられていて、計画的に拉致されたのだろう。的外れな森を捜索している頃は国境へ向かっていたと思われる。
では、あそこにいたリアナは誰なのだ?
それもマリーナは知っていた。
リアナによく似た少女を孤児院で見つけて養女にし、行方不明になった実の娘を捜すことを早々に止めて、身代わりの少女を実の娘のように扱い始めたと言うのだ。
正気とは思えない、信じられない話だった。
十歳の姉ルシアに罪を擦り付けたマリーナには罰が当たったようだ。その恋人との子供を妊娠してしまったが、アッサリ捨てられた。そして家の恥だと男爵家からも追い出されて、ショックで子供は流れた。その後、ここで働いているらしい。
既に罰を受けたマリーナをこれ以上責めてもしょうがないので、私たちは翌朝、黙って宿を発った。
「それで、この子が本物のリアナだと言わずに、そのまま帰って来たのか?」
リアナを連れてカプリスキー帝国へ戻った私にロディは呆れた。
「せっかく身元が判明したのに」
「母親は実の娘に気付かなかった。自分の子供がわからないなんて信じられる? あの人の中ではもう偽のリアナが娘なのよ、変わってしまった本物が現れたところで受け入れるとは思えなかったし、この子の心の傷を癒せるような親だとは思えなかったから」
あの母親は普通じゃない。
「いつか、この子がすっかり回復した時に事実を話そうと思う。そして、どうするか本人に決めてもらうわ。この子には伯爵家の財産を継ぐ権利があるのですもの、戻りたいと言えば、彼女こそが本物のリアナである証拠も用意するつもりよ」
「そうか」
「それまでは私が面倒を見るわ」
そういう訳で彼女をブランシュと呼ぶことにして、この二年、彼女と一緒に暮らした。私が任務で留守にするときはロディに頼んで食堂に置いてもらっていた。幸い彼女は身の回りのことは自分で出来るし、声はまだ出せないが、店の手伝い、皿洗いなどの裏方も出来た。
彼女は徐々に心を開いてくれて、時々笑顔を見せるようになった。ブランシュは同じ髪の色をした私を姉のように慕ってくれている。
そんなブランシュにはこれからも穏やかに暮らしてほしい。そのためにも安定した生活を用意してあげたかった。この仕事が成功したら大金が入る。だから受けることにした。
そういう訳で二十二歳の私ヴァレリーは、十七歳のアネットになった。
白髪をピンクブロンドに染めて、五歳も年を誤魔化して、十七歳の少女に見えるように化けた。
バーナード男爵家はカプリスキー帝国所属の〝草〟だ。他国に潜入して、その地に根付いた生活をしながら諜報活動をしている。バーナード男爵はルーシェン王国の文官として王宮に潜り込んでいる。その男爵家の養女アネットとして私は王立学園に潜入した。
* * *
すべて終わった。
オーティスは廃太子となり、それでも温情で小さな領地を与えられた。アネットと結婚してそこで暮らすことになるが、
「なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ!」
用意された邸には数人の使用人がいる、そりゃ王宮にいるときの生活とは天と地の差だけど、十分生きていけるし、あれだけのことをやらかした割には軽い処分だと思うのよ。王妃と一緒に幽閉されてもおかしくなかったんだから。
私はこれ以上やることもないだろうし、消えるタイミングを計っていた。
ブランシュのことも気になるし、なにより、ロディに会いたい。
もう一年半会っていない。
しかしオーティスは往生際が悪かった。
大人しくていればよかったのに、カプリスキー帝国に救援を求めたのだ。自分は愛された王女だったと豪語する母ヘルミナの妄言を鵜吞みにして、皇帝ハビエルが異母姉と甥を助けるのは当然だと上から目線の手紙を送りつけた。王太子の座を取り戻し、母を助けるために軍隊を貸してほしいと無茶な要求をした。
いやいや、あなたを陥れたのはそのハビエルなんだけどね。
的外れで厚顔無恥な要請は当然ハビエル皇帝の怒りを買った、そして最後のミッションが私に下された。
オーティスは悪人ではなかった、ただ単純なおバカだっただけ、ヘルミナに甘やかされて我儘だったけれど、優しいところもあったし嫌いじゃなかった、憎み切れないお茶目さんだった。
しかし皇帝ハビエルはヘルミナ共々とどめを刺すことに決めた。
私が手を下さなくても別の刺客がやってくる。それならせめて苦しまずに終わらせてあげよう。
オーティスは翌朝ベッドで冷たくなっているところを使用人に発見された。苦痛のない毒、眠っている間に彼の心臓は止まった。病死と診断された。
その日、妻アネットの姿も消えた。
翌日、近くの崖からアネットの靴が発見されたことから、あの朝目覚めたら、最愛の夫が既に冷たくなっていたショックで発作的に飛び降り自殺したということになったようだ。
そして、息子の死を知った…こちらは本当に最愛だった母ヘルミナは、幽閉されていた塔から飛び降りて命を絶った。
計画通りになった結末にハビエル皇帝は満足しただろう。
任務は完了した。
だから私はいなくなる、アネットという存在は永遠に消滅した。
* * *
「ただいま」
私は一年半ぶりにロディの食堂へ帰って来た。
私の姿を見たとたん、ブランシュが駆け寄り、その勢いのまま抱き付いた。
「お帰りなさい!」
「えっ、あなた喋れるようになったの?」
初めて聞いた彼女の声は鈴を転がすように可愛かった。
満面の笑みを浮かべる十七歳になったブランシュは身長も私と同じくらいに伸びて、すっかり女らしくなっていた。
目には生気が宿り、顔つきもしっかりしている。私がいない一年半の間に、こんなに成長したことは喜ばしいが……。
「あなた……もしかして」
自分を取り戻したの? リアナだった時のことを思い出したの? と尋ねようとしたが被せるように、
「お仕事は終わったのね、お姉ちゃんが戻ってくれて嬉しい」
ブランシュは嬉しそうに、私の首に回した両手に力を込めた。
そうか、彼女は自分が何者か理解した上で、ブランシュでいることを選んだのね。
続いて奥から出てきたロジェが二人まとめて抱擁する。
「お帰り」
今度はキスの嵐、ブランシュが見ている前で恥ずかしいけど嬉しい。
ああ、ここが私の家なんだ。
ブランシュの輝く笑顔を見て思う、これよね、これこそが本当の十七歳の少女の笑顔、アネットでは作り切れなかったティーンエージャーの眩しい笑顔よ。
消えたアネットがこんな所にいるなんて誰も思わないだろう、五歳も若作りした生活はもう終わり。
アネット・バーナード男爵令嬢はもう存在しない。
これから私はヴァレリー・アディスに戻って生きていく。ここで食堂の店主の奥さんとしてね。
ただし、料理は苦手だけど。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございました。
婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしましたので、他の作品も読んでいただければ幸いです。
☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。




