表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

プロローグ

──雨の音が、ずっと聞こえていた。


 まるで天井のどこかに雨粒がぶつかっているような、単調で、やけに穏やかな音。けれどその音が、まるで耳の奥に直接染み込んでくるようで、寝ていたはずの身体がそれに目を覚ました。


 視界はすぐにははっきりしなかった。ぼやけて、滲んで、白っぽい光に包まれている。


 少しして、柊一は天井を見上げていたことに気づいた。無機質な白い天井。小さなシミ。人工的な蛍光灯。どれも見覚えがない。


 首を横に動かしても、そこにあるのは白いカーテンと、ベッドの脇に設置された金属製の手すり、そしてガランとした無音の空間だった。雨音を除けば、まるで時間が止まってしまったかのように静かだった。


 ゆっくりと身体を起こす。ベッドの軋みが耳に重たく響く。


 部屋の隅には小さなテーブルがあり、その上に置かれた紙ファイルが目に入った。掠れた文字で、「患者情報──藤堂柊一」と書かれている。


 ──藤堂柊一。それが、自分の名前だ。


 そう理解するまでに、数秒の間があった。名前だけは確かに覚えていたが、それ以外が、曖昧だ。


 どこで生まれ、何をしてきたのか。なぜここにいるのか。何歳なのか。──そんな当然のことが、霧の中に沈んでいる。


 柊一は紙ファイルに手を伸ばす。表紙を開くと、無機質な文言が並んでいた。


【入院日】令和七年三月十日

【病名】選択的記憶障害

【備考】事件性有。本人の同意により入所。リハビリ目的。面会制限あり。


 ──事件性?


 眉をしかめた。その言葉だけが、やけに鮮明に引っかかる。何の事件だ。どうして自分が。だが、何度考えても思い出せない。


 気がつくと、両手がじっと汗ばんでいた。


 ドアの向こう、廊下のほうから、誰かの足音がゆっくりと近づいてくる。


 コン、コン……

 硬い靴の音が、規則正しく、どこまでも冷たく響く。


 扉がノックされた。


 「藤堂さん、起きていますか?」


 女性の声。柔らかく、しかしどこか訓練されたような冷静さを帯びている。彼は言葉が出ず、一瞬だけ戸惑った。


 「……ええ」


 ようやく短く答えると、ドアがゆっくりと開かれた。


 現れたのは白衣の女性。年齢は三十代半ばほど。髪はきっちりとまとめられ、マスク越しにも整った顔立ちが見て取れる。胸元の名札には、**「三嶋 みしま・たまき 医師」**と記されていた。


 「おはようございます。体調はいかがですか?」


 問いかけられても、即答できなかった。なにか不自然なほど丁寧で、言葉の温度が身体に馴染まない。


 「ここは……どこなんです?」


 柊一の問いに、彼女は一拍置いてから、答えた。


 「ここは《シリウス記憶療養センター》です。山間の施設で、記憶に障害を持つ方のための専門病棟です。……あなたは、自ら希望してこの場所に来られました。覚えていませんか?」


 自ら? そんな覚えはない。が、否定するには確信がなさすぎた。


 柊一はただ、曖昧に首を横に振った。


 「ご心配いりません。今はまだ“導入期”ですから。ゆっくり思い出していきましょう。……まずは、食堂まで来られますか? 他の患者の方とも、少しずつ交流していきましょう」


 そう言いながら、三嶋医師は部屋の外に一歩下がった。


 ドアの隙間から見えた廊下は、まるで無菌室のように白く、真っ直ぐだった。そして奥の小窓の外に、灰色の空が見える。雨は、まだ降り続いていた。


 ──雨の音だけが、この場所で、妙に生々しく響き続けていた。


『雨音のノクターン』というタイトルは、

雨の静かな音(雨音)が持つ「切なさや不安、心の揺れ」を表し、

ノクターン(夜想曲)が示す「夜の静けさや内面の深い感情」を象徴しています。


この二つが合わさることで、

「静かな夜に響く雨音のように、主人公の心に潜む謎や不安、過去の記憶の断片が少しずつ明らかになっていく」

という物語の雰囲気やテーマを象徴したタイトルになっています。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ