河内のおばちゃん
風が吹き抜ける部屋に、彼女の存在が消え入る。壊れた窓ガラスからそよぐカーテンが、彼女の不在をなげく。彼女の香りが空気に溶け込む中、窓枠が震える音が、彼女の不在を告げる。カタカタカタ……。
かずまと犬神い使いの京香との出会いを通じ、私は占い師として活動をすることになった。
かずまは「人を観るうちに、自然と霊感のスイッチをオン・オフできるようになる」と言う。かずまの笑い声が、私の心を落ち着かせる。どうして私は彼の存在にこんなに安心を感じるのか。もしかしたら、これは師弟の枠を超えた感情なのかもしれない。だけど、私にはかずまの言う「オン・オフ」の実感が持てず、会社員をしながら、空き時間に人を占うという生活が始まった。
最愛の祖母を亡くしたエリ
そんな日々の中で、友人のエリとカフェで会う機会があった。エリは大阪の河内出身で、荒い関西弁を話す。介護の仕事をしている。当時、職場での人間関係に悩んでいた。静かなカフェでメソメソ泣き続ける、エリ。店員さんも困り顔だ。
「りっちゃん、うちはな、職場のあの女上司がホントに気に食わんねん!
呪い殺したろかと思うわ。
ホンマ、腹が立つ!
だけどな、こんな時、うちは死んだお祖母ちゃんに相談していた。
でも、もうお祖母ちゃんはおらんねん……。
祖母ちゃんなしで、うち、どうやって生きて行ったらいいねん」
とエリは泣きながら訴える。
私は「そっか。エリにとって、お祖母ちゃんが心のよりどころだったんだ。
エリって大阪から東京に出てきているし、寂しいよね。
だけど、 “人を呪わば穴二つ” って言うでしょ?
嫌いだからって呪ったら自分に返ってくるよ」
とまだ暖かいカフェラテを飲みながら答えた。
かずまや京香は、私の力で、人を救うことができると言う。占えという。だけど、いったいどうやって?
私は、何をアドバイスしたらいいのかと思いながら、タロットカードを取り出し、シャッフルしていた。
その時、「エリ、何をメソメソしくさって。あんたはホンマにしょうむないな!シャーンとしい!シャーンと!」という声が頭に響いた。それと同時にパンチパーマで、膝丈スカートを履いた、60代くらいの関西人のおばちゃんの画像が頭に入ってきた。
普段は見えないが、相手の念が強ければ霊が見えることがある。そんな状態で「河内のおばちゃん」が頭に浮かんだ。それが霊と話すきっかけだった。これがかずまのいう、スイッチのオンの状態なのだろう。その時は、そんな感じでいきなり頭の中に「河内のおばちゃん」が登場したのだ。これが、私が意識的に霊と「話してみよう」と思ったきっかけになった。
エリに「パンチパーマのおばさんが『メソメソしくさって!』って言っているけど、誰?」と聞くと、エリは「お祖母ちゃんや!関西のおばちゃんはみんなチリチリパーマやねん!」と笑い出した。
私はエリの反応に驚きながらも「今泣いたカラスがもう笑った」と微笑んだ。たぶん、今のエリに必要なのは、お祖母ちゃんの言葉なのだろう。いったいエリのお祖母ちゃんは何を伝えたいのか。私は目を閉じた。
私が目を閉じるとそのおばちゃんは語りだした。
「あんたはいつもメソメソ何をグズグズしてんねん!そんな弱いことでどうするんや?」とエリちゃんを叱咤激励する。そして、「あんたいい加減、お母ちゃんのこと、許してやり!祖母ちゃんはもう何とも思ってないんやから!」と言った。私はエリの家族関係を深く聞いたことがなかった。エリがあまり大阪の実家に帰らないことは知っていても。
伝えると、エリは今度は、いきなり泣き出した。
「お母さんはお祖母ちゃんに介護が必要になったとき、虐待したんや!うちがお祖母ちゃんをかばうと、お母さんはいつも気持ち悪いって言ったんや!」とお祖母ちゃん子だったということを知った。エリは早くにお父さんを亡くしていて、お母さん、妹、お祖母ちゃんの4人暮らしで育った。姑であるお祖母ちゃんに懐くエリを、お母さんは良く思っていなくて、エリは長らく大阪の実家に帰っていなかったと知る。
再び目を閉じると、お祖母ちゃんは「そんなちっさいこと気にしてどうするんや?あんた、いい加減、結婚しいや!女の幸せわな、結婚やで!結婚せえへんから、あんたはいつまでも弱いんや!
祖母ちゃんみたいに強くなり!」とさらに叱咤激励を続ける。
「お祖母ちゃん、帰ってきてよ!うち、お祖母ちゃんに会いたいよ!」と号泣しているエリ。後に分かるが、亡くなった人と交霊をしていると、多くの遺族がそう言う。「帰ってきて!」「もう一度、会いたい!」「りつさんは話せるからうらやましい。私も直接話したい」と。
私も話をさせてあげたい。私という媒介を通してしか話せないのは、なんとも切ない。私はりゅうちゃんに「エリを慰めてあげて」と念じた。青龍のりゅうちゃんは、青緑の柔らかい光を放って、エリの周囲を回りだした。
泣いていたエリは「なんか頭があったかいんやけど……?」と言い出した。
私が観ると、青龍を後ろにつけたお祖母ちゃんは、まるで子供にするように、エリの頭を撫でていた。
「もしかして、お祖母ちゃん、側にいるの?」とエリはキョロキョロしだした。
私が再度、お祖母ちゃんの話を聞くと「ほら、エリ!泣いてないで、お祖母ちゃんが引っ張ってあげるから前に進み!黄色い旗あるやろ!あれを目の前でフリフリしたるから、それについて前を向いて歩き!」と言った。私の頭の中には、小学校時代に通学路にいた “緑のおばさん” の格好をした、お祖母ちゃんが、黄色い旗をフリフリ歩いている姿が浮かんだ。
エリに伝えると「なんやそれ、祖母ちゃん!」とエリは大爆笑した。
私はなんだか吉本新喜劇でも観ている気分だった。「大阪人は亡くなっても大阪人」と思わず笑ってしまった。
とにかくパワフルな明るいお祖母ちゃんだったのだ。
号泣していたエリは「そっか。お祖母ちゃんは、うちの側にまだおるんやね」と涙を拭った。
エリはその後、ケアマネジャーの試験を受けることになる。やはりよくクヨクヨする癖は抜けていなかった。試験前も「この参考書のここと、ここを勉強しい!」とお祖母ちゃんが突然登場することがあった。お祖母ちゃんは「1点差で合格する」と伝えてきたが、その言葉の通り、エリは1点差で試験に一発合格した。
そして、今はケアマネジャーとして、介護施設で働いている。試験に合格したエリは、責任感から仕事にまい進した。
エリが強くなったからなのか、お祖母ちゃんの霊は、最近出てこない。
だけど、きっとお祖母ちゃんは、エリがまた弱ったら、黄色い旗をフリフリして、先導しにくると私は思う。
「祖母ちゃんは結婚が女の幸せと言うけどな、今、うちは仕事が楽しいんや。ごめんな、祖母ちゃん」と、エリは今でも独身で、介護現場を仕切っている。
こうやって、死者が生者を見守っているのなら、成仏って何なんだろう?
そう思いながら、りゅうちゃんを見つめると、青緑の瞳でただ私の目を見つめ返すだけだった。
蒼野りつき
X:@ritsuki_aono