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僕等の代理戦争  作者: 宝積 佐知
1.悪党ほどよく喋る
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⑻目覚める混沌

 一瞬の稲光が闇を裂き、荒れた海面に青白い傷を刻んだ。ヴィラの影が淡く浮かび上がり、雷鳴が窓を震わせる。雨音すら、掻き消されていく。


 近年、環境汚染の影響で、スコールは頻繁に発生するようになった。かつては短時間で止むことが多かったが、今では数日間続くことも珍しくなく、島は泥に埋もれ、空は永遠に曇り続けるような不安を感じさせた。




「停電は……大丈夫そうだね」




 天井を見上げながら、湊が恐々と言った。

 室内灯の煌々とした光が頼もしく感じる。


 湊は安堵したように息を吐くと、デバイスをルイに向けた。画面に並ぶ投稿が、タイムラインを血のように染めている。




 @louis_the_maverick

 エナスタ共和国の民衆よ、目を覚ませ。

 我々はAIの家畜ではない。

 選択の時は、今だ。手を拱いている時間はない。

 #エナスタ共和国 #革命の狼煙 #自由か死か

 #正義は誰のもの?


 @louis_the_maverick

 お前はデータのままでいいのか?

 それとも、血を流してでもこの牢獄から抜け出すか?

 システムを壊せ。怒りを力に変えろ。

 恐怖するのは奴等の番だ。

 #エナスタ共和国 #AI独裁を終わらせろ

 #蜂起せよ #正義は誰のもの?


 @louis_the_maverick

 支配者の喉元に刃を突き立てろ。

 自由は願うものではない、奪うものだ。

 もう遅れるな、立ち上がれ。

 #エナスタ共和国 #怒りの鉄槌 #戦いの時は今

 #正義は誰のもの?




「過激だな……」




 侑が顔を歪め、低く呟いた。


 ルイは言葉を失っていた。

 投稿に添付されている画像や動画は、まるで中世ヨーロッパが支配していた植民地のように血腥く、残酷だった。真偽不明の情報が拡散されながら誇張され、タイムラインが一瞬にして赤く染まる。


 世界中から正義の人が現れて、火に油を注いでいく。過激な投稿が共感を呼び、呪いの言葉が溢れ出す。このままならエナスタ共和国のAIはそれを真実と誤認して、事実にするだろう。


 湊は冷めた眼差しでタイムラインを眺め、吐き捨てるように言った。




「偏った情報は、怨嗟や憎悪を培養する。そして、プロパガンダやフェイクニュースが、戦争の引き金を引く」

「……」

「結局さ、人を動かすのは、データや事実よりも、恐怖と希望という物語なんだよね。抑圧された民衆と悪の支配者とか、悲劇の主人公と復讐とか。人々を動かすために、昔からある脚本だよ」




 湊の硝子玉のように澄んだ瞳が、ブルーライトを淡く映す。彼の声は、まるでよくできたフィクションのレビューだった。事実に心を動かされる気はない、そんな風にさえ思えるほどに。


 ルイは、その冷淡な論調に衝撃を受けた。

 自分だけが辿り着いた真実や冴えたやり方だと思っていたものは、既に先人が試した手段の一つに過ぎなかったのだ。だから、簡単にその全てが奪われ、今度は新しい弱者たちを混沌へと追い立てる。


 ルイの脳裏に、あの戦場が蘇る。

 祖国のため、誇りのため、自由のため――そう言われて、銃を手に取った。泥と血の匂い。燃え盛る街。倒れた仲間の冷たい手。


 だが、彼らの死に意味はあったのか?

 今、この瞬間にSNSで煽られ、同じように戦場へ向かう者たちの姿と、何が違う?


 血塗れで救護テントに運び込まれた日の自分が、助けを求めて叫んでいる。俺はまだあの戦場にいる。家族も故郷も誇りすらも失った、砂塵の舞う戦場に。


 雷鳴が轟いた。

 その音はまるで、撓う鞭が耳元に叩き付けられたかのようだった。




「ふざけんなよ……」




 ルイは拳を握り締め、体中に怒りが沸き上がるのを感じた。心の中で何かが壊れ、制御が効かなくなっていくのが分かる。自分を取り戻すために、必死で踏ん張ろうとするが、怒りは止まることなく噴き出した。


 アカウントは奪われ、デバイスは偽物。

 今の自分は社会に存在しない透明人間。けれど、この状況を見過ごせるほど、プライドを捨てたつもりはない。




「なあ、湊。どうすりゃ、こいつを止められる?」




 湊は思考を巡らせるみたいに沈黙し、静かに言った。




「こいつは手練れのハッカーだと思う。単純な技術で争っても勝てない。本人と接触するしかない」

「でも……」




 ルイのアカウントは凍結、湊は存在そのものがフィルタリングで消え、接触する術がない。ましてや正体も居場所も分からないのでは、お手上げだ。


 嫌な緊張が足元に纏わり付く。激しい風雨や雷鳴よりも不確かな恐怖が迫っている。


 湊は不安そうに侑を見た。




「でも、侑が協力してくれるなら、こいつに接触できる」




 伺うように、湊は侑を見遣った。

 侑は片眉を跳ね上げて、怪訝そうに言った。




「俺がお前の頼みを断る訳ないだろ」

「君の積み上げて来たものが、崩れてしまうかもしれないよ?」




 ルイは、はっとした。

 侑のアカウントには、世界中の人との血の通った交流がある。湊が惜しむように、ルイもまた彼の撮影した写真たちを愛していた。信用も信頼も一瞬で崩れる。侑にとっては、失うものが多過ぎるのだ。


 侑は、ふっと目を細めた。

 そして、ごく自然な仕草で湊の頭に手を置くと、侑は少しも迷わず言った。




「いいよ、使え」




 まるで、そんなことを言われること自体が意外だ、というように。


 ルイは思わず息を呑んだ。自分のアカウントを奪われた時、怒りと悔しさしかなかった。それを、侑はこうもあっさりと差し出せるのか。


 エメラルドの瞳には、迷いも躊躇いもない。ルイや湊の不安を消し潰すような自信に満ちた声だった。




「お前がいる限り、俺の世界は何も欠けやしないさ」




 陽が昇って沈むように、波が寄せて返すように。当たり前のことみたいに、侑の声は穏やかで確信を持っている。


 希望を分け与えるみたいに、侑がデバイスを湊に手渡す。ルイたちが玩具にして来た端末は、侑の手の中で、まるで金塊みたいに重く見えた。








 1.悪党ほどよく喋る

 ⑻目覚める混沌








 ステッカーだらけのノートパソコンが、室内灯に照らされて鈍く光る。湊が両手を組み、起動中のディスプレイを見下ろしていた。


 難関手術に挑む外科医みたいだった。

 ルイは湊の肩越しに、SNSのシンプルなホーム画面を覗いた。侑のアカウントはこざっぱりとしていて、必要最低限の情報しかない。不要な発言も拡散もしない。彼の投稿は、世界中で撮られた美しい写真が美術館のように整然と並んでいる。


 霧雨に滲むニューヨークの摩天楼。ドイツの山々に抱かれた白亜の城。マロニエの花が彩る華やかなパリの街。断崖に聳え立つ地中海の建物群。夜明けに浮かび上がるアンコール・ワットのシルエット。


 それは画質というよりも、温度感だ。侑の写真には、まるで自分がその場に立っているかのような臨場感がある。

 そんな写真たちの中で、一際目を惹くのは星空だった。特に、星空に掛かるオーロラは、金の刺繍を施した天国の布のように美しい。




「星が好きなのか?」

「俺じゃなくて、湊がな」




 ルイが問い掛けると、侑は肩を竦めて訂正した。

 湊の指が、キーボードの上でぴたりと止まった。瞬きも忘れたように、じっと侑を見詰める。侑は気にする様子もなく嬉しそうに言った。




「こいつが見ている世界を、俺も見てみたくなったのさ」




 湊が一瞬、息を飲んだように見えた。

 けれど、それはすぐに消えて、いつもの皮肉げな顔に戻る。




「それって、あのローアングルの写真のこと? 俺にチビだって言ってるの?」




 湊が冗談ぽく笑いかける。

 確かに湊は小柄だが、蟻の視点ほど小さくはない。口を尖らせる湊に、侑が優しい眼差しを注ぐ。


 侑の世界は、湊を中心に回っているらしい。

 揺らぐことのない強固な信頼関係は、もはや信仰に近い。社会とのか細い繋がりに縋るしかなかったルイには、彼等の関係が眩しく見える。


 かつてエナスタ共和国は、絶好の天体ショーの観測地だったと聞いたことがある。けれど、管理体制が変わり、環境汚染が進み、今では観光客の入国すら難しい。便利さと引き換えに、本当に価値のあるものは誰にも知られず消えていく。


 湊は咳払いをして、ノートパソコンのディスプレイを提示した。見覚えのある画像とアカウント名、飽和するデマと正義の論調。凍結していたはずのルイのアカウントは確かに稼働している。


 だが、其処は善悪も真偽も複雑に混ざり合い、怨嗟と憎悪を集めながら、混沌に支配されている。




「さて、君は何者だい?」




 湊がキーボードを打つ。

 飾り気のないシンプルなメッセージが、ルイのアカウントに送信される。すぐにコミカルな通知音が鳴った。返って来たメッセージはbotと呼ばれる自動プログラム。言葉のキャッチボールとは言えない。




「どうして、こんなことするの?」

「……」

「そのアカウント、君のものじゃないよね?」

「……」




 子供を相手にするような湊の軽いメッセージに、ルイは気が遠くなった。この調子でやりとりしていたら、夜が明けてしまう。




「会話する気はなさそうだな」




 ディスプレイを覗き込み、侑が呆れたように言った。




「さあ、どうかな……」




 湊は吐息を溢すように笑った。


 返信はない。でも、無視する気もなさそうだった。破壊行為がしたいだけなら、メッセージのやりとりそのものを拒否すればいい。プログラムの向こうで俺たちを見ている奴がいるはずだ。


 湊は何度か無難な言葉を投げ掛けて、反応がないと悟ると論調を変えた。




 @idk_404tsk

 You call it justice, but it reeks of blood. No wonder no one sticks around. Feels lonely, huh?:)

(お前の正義、血の臭いがキツ過ぎる。誰も寄って来ねぇよ?)




 湊も侑も真顔だった。急に人が変わったような煽りに、ルイは内心で困惑していた。当然、返事はない。

 まるで、こちらの言葉なんか最初から見えていないみたいだった。自分のアカウントの向こうには、本当に人がいるのだろうか。ルイは不安に襲われた。


 けれど、湊は肩を竦めて、もう一度キーボードを叩いた。




 @idk_404tsk

 Damn, even your bots stopped clapping? That’s rough, buddy.

(うわ、お前のbotすら拍手やめたの? マジで終わってんな)




 画面に既読のマークが表示される。

 でも、反応はない。無視か、様子見か。

 湊の口元が緩く歪む。悪どい顔をして、湊がキーボードを叩いた。




 @idk_404tsk

 Yo, at least I reply. Unlike that wall you’ve been monologuing to.

(俺はまだ返事してやってんぞ? お前が語りかけてる壁とは違ってな)




 その時、ポコン、と間抜けな通知音が鳴った。




 @louis_the_maverick

 Hah, that’s cute. Thought I’d see how long you’d keep talking to yourself.

(はは、可愛いな。どれだけ独り言を続けるのか見てたよ)




 botじゃない、生身の言葉。

 惚けた反応の向こうに、犯人がいる。ルイは拳を握った。逸る鼓動を抑え、湊を見遣る。しかし、湊は怪訝な顔をしている。




「煽りに乗ってきたって感じじゃないんだよな……」




 湊は目を眇めながら、タイピングを続けていた。黒い画面の中に幾つものコードが打ち込まれているが、ルイには理解できないコンピュータ言語だった。アクセスログを解析しようとしているらしい。


 コードが答えを弾き出した瞬間、湊は手を止めた。

 有り得ないものを見るみたいに、眉間に皺を寄せている。




「なんだ、こいつ。ログがない」

「匿名ツールか?」

「いや、そんなレベルじゃない。そもそも、此処にアクセスなんてなかったみたいに、消えてる……」




 ネット上の発信者を特定する方法はいくつか存在するが、湊は通常の匿名技術なら突破できるらしい。しかし、この何者かの通信を追ってみるが、IPアドレスも、アクセスログも、端末情報も存在しない。




「こいつは、歩きながら世界のルールを書き換えてる」




 湊は愕然と呟き、顔を歪めた。

 まるで、悍ましいものを見付けたみたいに。


 ディスプレイの向こうで、過激な投稿が加速する。世界中で正義の論調が溢れ出し、引火したみたいに一気に燃え上がる。事実も真実も歪められ、火の粉を撒き散らしながら拡散していく。


 その時、ディスプレイの中央に画像が現れた。

 魔女のようなとんがり帽子が、ぽつんと一個。無限に書き換えられる情報の中、その帽子は嘲笑うように、くるくると滑稽に踊っていた。

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