⑹世界救済同盟
「一体、何がしたかったの?」
湊が深く溜息を吐く。不思議なことに、彼が真剣に説明するほど、ルイは冷静になった。彼が一度も噛まずに話し続ける姿に感心するほどだった。
湊は苛立ちを見せるが、ルイも一方的に言われて腹が立った。彼の整った顔面でなければ、平手打ちくらいしてやりたかった。アカウントは凍結されるし、無性に怒りが湧いてくる。
「でもさ、俺のデマを見抜けないAIも悪いんじゃね?」
ルイが言うと、湊が目を細めた。
その冷徹な眼差しが、心に小さな不安を巻き起こす。彼の目を見ていると、犯した罪の大きさに揺らいでしまいそうになる。だが、ルイはすぐにそれを振り払って、逆に言い返していた。
「そもそも、そんなもんで社会が揺らぐって時点で元からガタが来てたんだろ。俺がちょっと風を吹かせただけで、倒れたのはそっちの問題じゃん?」
「犯罪者の思考だね」
湊がわざとらしく溜息を吐く。
棘だらけの口調に、ルイは反論した。
「うるせぇな。お前だって、ハッキングして遊んでた癖に。そういや、お前の情報を投稿しようとしたら凍結されたんだけど……」
そこまで言ってから、ルイは口を噤んだ。
そういえば、こいつは妙な遊びをしていた。カオス理論がどうとか、バグを仕込むとか。ルイは彼の言葉と共に、SNSに投稿した記事を思い出した。
@louis_the_maverick
エナスタ共和国のAIシステムは完璧じゃない。
バグを一つ仕込めば、前提が全部崩れる。
#エナスタ共和国 #システムの穴
こいつ、本当に無関係なのか?
一度、疑念が湧き出すと止まらない。日頃から真偽不明の言葉を操るからこそ、彼の熱量のない言葉が信頼できない。
「お前の情報にアクセス制限が掛かってるのって、お前が仕込んだバグ?」
ルイが問い掛けると、湊は静かに見詰め返した。濃褐色の瞳には相変わらず温度がない。湊はベッドに腰掛けたまま、乾いた笑いを漏らした。
「バグだと思う?」
「あの金髪に言い付けるぞ」
「どうぞ。俺は何も困らないよ」
湊は退屈そうな顔で、余裕を崩さない。ルイが言い付けたところで、あの優男が叱ったり注意したりするとは思えない。むしろ彼を脅迫した自分が始末されそうだった。湊が、デバイスを軽く弾いて言った。
「君はまだ、自分の立場が分かってないみたいだね?」
デバイスに映るのは、凍結されたルイのアカウントだ。証拠はないが、どう考えても、この凍結には湊が関与している。
「君のアカウントを消すのなんか簡単だよ。君の投稿も全部抹消して、アクセス権も取り上げる。それに、このままなら君は内乱罪で逮捕されて、最期はレールガンで蜂の巣だよ?」
湊はゆったりと微笑んでいるけれど、その瞳の奥には氷のような冷たい光がある。ルイと湊の間に静かな緊張が漂った。
ルイは眉を跳ねさせ、低く問い掛けた。
「脅しのつもりかよ」
「君がそう思うなら、そうかもね」
このクソガキ、と思いながらルイは冷静を保とうとした。
空気が糸のように張り詰める。ルイは肩を竦め、深呼吸した。
「分かったよ。謝るから、俺のアカウントを返してくれ。俺だって、みんなを混乱させるつもりはなかったんだ。アカウントがないと、みんなに謝ることもできないだろ?」
「俺が取り上げたみたいに言わないでくれる? 君が勝手に破滅したんだから」
いちいち腹が立つ奴だ。見た目が可愛いから甘やかされてきたのかもしれない。
とんでもない我儘小僧だと、ルイは舌を打った。しかし、ここで機嫌を損ねてアカウントを削除されたら堪らない。
「ああ、そうだ。全部お前の言う通り、俺が悪いんだ。俺はお前にどうやって償えばいい?」
湊は少し考えてから、静かに微笑んだ。
「じゃあ、俺のお願いを聞いてくれるよね?」
細められた瞳が静かに光る。猛烈に嫌な予感がして、ルイは知らず身構えていた。
「手を組もうか、Mr.バーンフェイス」
湊の言葉は冷徹で、まるでルイを試すかのようだった。
ルイはその言葉に一瞬迷いが生じたが、結局、彼の目を見返すしかなかった。
「俺が君のアカウントを取り戻す。それまでの間、君は俺の指示に従うんだ」
「手下になれってか?」
「違うよ。これはただの一時的な協力関係、謂わば同盟さ」
同盟?
ルイはそれを復唱し、湊は頷いた。
「俺は世界で遊びたいんだ。でも、先に世界が壊れたら遊べないだろ。だから、まずは世界を救ってやることにする。君のアカウントを取り戻すのは、そのついでさ」
湊は当たり前みたいな顔で言っているが、清々しいほど自分勝手で、理解できないくらい倫理観が終わっている。こいつの思想こそ犯罪者じゃないかと、ルイは気が遠くなった。
けれど、その瞳の輝きは子供のように透き通り、彼の本心がどこにあるのか全く分からない。だが、何故だろう。彼の楽しそうな顔を見ていると、まるで極上のエンターテインメントを最前席で観ているような臨場感に胸が躍る。こいつが奇人なのか、天才なのか、それを見極めるのも面白そうだった。
ルイは緩む口元を押さえ、問い掛けた。
「期間は?」
「俺たちがこの国に滞在する期間、一ヶ月くらいかな」
一ヶ月。ルイは口の中で復唱した。
その期間中アカウントが凍結しているのは痛いが、削除されるよりはマシだ。どうやら命までは取られないようだし、そのくらいなら付き合ってやってもいいだろう。
「いいぜ、クソガキ。手を組もうぜ」
ルイが手を差し出すと、湊がそれに応じた。握り締めた掌は小さかった。こんな小さな手が魔法のように巨大なシステムを操っているのかと思うと感動すら覚える。
絆されてしまいそうな自分を叱咤して、ルイは目に力を込めた。
「俺たちは仲間なんかじゃねぇ。これは利害の一致。ただの共犯だ」
「うん、そうだね」
湊は柔らかな微笑みを見せた。肩透かしを食らった気分だった。喋ると小憎たらしいが、静かに笑っていると天使である。あの優男が甘やかすのも分かる気がする。
「よろしくね、ルイ。頼りにしてる」
湊はさらりとそんなことを言った。
ルイは胸の高鳴りを感じた。誰かに期待されたり、頼られたりしたことがなかった。どんな言葉を返し、反応するべきなのか分からない。だが、確かに感じる胸の高鳴りが、これから何かが始まると告げている。
侑は、まるでその場の空気に溶け込むように静かに部屋に戻ってきた。扉が開いた気配はなかったが、幽霊のような男である。
彼の目は、湊とルイの間に交わされた握手を冷静に見つめていた。
エメラルドの瞳は宝石のように美しく、容易く視線を逸らせない引力を放っていた。
「お前等、もうそんなに仲良くなったの?」
侑が冗談ぽく言った。
ルイは湊と顔を見合わせ、どちらともなく笑った。
1.悪党ほどよく喋る
⑹世界救済同盟
西に傾いた夕陽の光を受けて、海面が金色に煌めく。
白い砂浜は赤錆の色に染まり、巨大な山の向こうから夜の闇が迫っていた。
ルイは手の中のデバイスを弄びながら、窓枠に腰掛けた。乾いた潮風が頬を撫で、埃っぽいブラインドカーテンが軋むような音を立てる。薄暗いヴィラにオレンジ色の室内灯が灯されると、闇が部屋の隅へ逃げて行った。
部屋の中には、タイピング音が響き続けていた。地べたに座り込んだ湊が、ステッカーだらけのノートパソコンを抱えて何かに集中している。声も発しないし、視線も向けない。その近くで、侑はベッドに座っていた。膝の上に置いた雑誌を捲りながらも、その体勢からルイを警戒していることが分かる。
変な二人組だな、とルイは思った。
その時、視線を感じたのか侑が言った。
「俺の顔に何か付いてるか?」
視線を感じたのか、侑が言った。初対面とは打って変わって、まるで自宅にいるかのように寛いで見える。ルイはデバイスを両手で包み込み、言葉を探した。
「アンタ、SNSやってる?」
「あー、ちょっとだけな」
ルイが問い掛けると、侑が曖昧に肯定した。湊は会話に参加しないどころか聞こえてすらいないようで、完全にパソコンと二人だけの世界に入り込んでいる。変なオタクは無視して、ルイは更に問い掛けた。
「蟻の景色ってハッシュタグ付けて、写真を投稿しているよな? 俺、ファンだったんだ」
「へえ、暇人だな」
侑は軽く笑った。ほんのり皮肉めいた返しの中に、どこか優しい響きが混じっている。
やはり、あの投稿者は侑だったらしい。彼の人物像とインターネットでの姿が乖離していて、話せば話すほど訳が分からなくなる。ルイは居住まいを正して、侑に向き合った。
暖色の室内灯が反射して、彼の金髪が鈍く輝いて見える。その油断したような態度に引き込まれそうになりながら、ルイは足を組み替えた。その瞬間、侑の視線が僅かに動いた。
一瞬だけ、ルイの膝の動きを追ったのは間違いない。何気ない仕草や動作が観察されていることが肌で分かる。
次の瞬間には、侑はまた笑顔に戻っていた。ルイが視線を逸らすと、彼は膝の上の雑誌を軽く弾いて、何事もなかったみたいにページを捲っていた。
ルイは拳を握った。微かに汗が滲んでいる。
「投資家なんだろ?」
「湊から聞いたのか?」
「ああ。君には教えない、とも言われたけどな」
ルイが不満を零すと、何故か侑が噴き出して笑った。その瞬間だけは、本当に穏やかな人に見えた。だが、さっきの視線が忘れられない。
侑は雑誌を閉じて、ベッドの上で胡坐を掻いた。そして、愚痴と冗談の中間くらいの温度で言った。
「可愛いクソガキだろ?」
「黙っていればな。喋らせたら、奇人か狂人だよ」
「そう、最初はみんなそう言うんだ」
侑は深く頷きながら、演技がかった動作で手を開いた。
「だが、いつだって想像し得ない人間が、偉業を成し遂げるのさ。俺はこのロマンチストが何を見せてくれるのか、特等席で観たいんだよ」
侑は息を零すように笑った。ルイは、彼も相当なロマンチストだし、変人だと思った。侑はやや身を乗り出すと、子供に言い聞かせるみたいに言った。
「だから、邪魔する奴は俺が全部対処する」
空気が一瞬で張り詰める。
エメラルドの瞳は柔らかに細められているが、その奥には本気が滲んでいた。ルイは唾を飲み込んだ。
「アンタは何者なの? なんでSNSなんかやってんの?」
「俺たちは、若い芸術家に資金援助してるんだ。SNSは、チャンスや支援者を求める芸術家と出会うのに都合が良いのさ」
なるほど、とルイは納得した。彼等のような支援者にとって、SNSは効率の良いツールなのだ。リアルタイムで世間の評価や反応を見ることもできるし、地球の反対側からの声も聞ける。
SNSという一見軽薄な場が、実は大きな可能性を秘めていることに気付かされる。ルイはその現実に少し驚きつつも、侑の冷静な目と計算された言葉に引き込まれている。
それにな、と侑が先を継いだ。
「燻っている奴等は、自分の狭い世界に閉じ籠っちまうみたいでな。俺のところにも暗いメッセージが届くんだよ」
侑は腕を組み、諭すように言った。
「そういう奴等には、教えてやらなきゃいけねぇ。お前の見えているものが、世界の全てじゃないってな。見方を変えれば、悪いものじゃないぜ」
侑はそう言って、爽やかに笑った。
彼の言葉に、ルイは一瞬、自分の行動が無力に感じられた。
侑が語る世界は、彼が思っていたものとは違っていた。彼の目には、SNSやその影響力がただのツールとして捉えられていて、それを使いこなすことで、より大きな目的を達成しようとしているように見えた。
SNSを玩具にして国家を破壊しそうになっている自分に比べて、侑はビジネス以上の意義や熱意を持って有効活用している。AIをハッキングして遊んでいる湊は、侑の爪の垢を煎じて飲むべきだ。そして、自分も。彼の方が余程、世界を救済しそうだ。
俺のことを覚えているだろうか?
ルイはそんなことを聞きそうになって、辞めた。彼は芸術家に投資しているのであって、自分は偶々その温情が向けられただけ。もしも、それすら偽物だったなら、自分の心が折れてしまうような気がした。
侑の手が伸びて、ルイの頭を撫でた。大きな手だった。故郷で自分に煮え滾った油を引っ掛けた大人たちとは、何かが違う。
「俺の小さなおせっかいが、誰かの未来を守るかもしれない。そうだろ?」
侑の瞳は、満天の星みたいに輝いていた。その心の温かさに、何もかも投げ出して頼りたくなる。
ルイは、自分のことを覚えているか訊きたくなった。けれど、それは優しい思い出として胸の中にしまっておく方がいいのかもしれない。
そんなことを考えていた時、ずっと俯いていた湊が、パソコンを睨んだまま貧乏揺すり始めた。眉間に皺が寄り、明らかに苛付いている。
雰囲気をぶち壊す変人の奇行をルイは無視したが、侑が心配そうに問い掛けた。
「なんかあったか?」
「いや……ちょっと……」
湊が額を押さえて苦い顔をする。嫌な予感しかしない。パソコンを抱えたまま、湊が重い足取りでヴィラを出て行く。視線を巡らせ、ルイは後を追った。