⑷愚者の行進
@louis_the_maverick
誰か、助けてくれ。
この国は牢獄だ。
#エナスタ共和国 #逃げられない #監視の檻 #自由を求めて #束縛された未来
そんな言葉がSNSに投稿された。
エナスタ共和国は、世界中から注目を集めていた。国家運営にAIを導入するという革新的かつ、前例のない試みは、まさに挑戦そのものであった。閉ざされた楽園の真実を知る者はなく、その謎に包まれた実態を巡る投稿は、瞬く間に世界中に広がりをみせた。
@unknown_witness
助けを求めている人がいる……誰か動いてくれ!
#エナスタ共和国
@disillusioned_citizen
やっぱりな。こんな国、最初から上手くいくはずなかったんだよ。
#自由を奪われて
@questioning_immigrant
政府は何かを隠してる。移民を閉じ込めるって本当か?
#真実を暴け #監視社会
@skeptical_observer
フェイクニュースじゃないのか? でも、もし本当なら……?
#閉じ込められた現実 #暴かれる陰謀
世界中の正義の論調が、エナスタ共和国に向かった。
投稿者は続けて、こんな言葉を記した。
@louis_the_maverick
俺はエナスタ共和国に連れて来られた移民だ。
入国時にチップを埋め込まれたせいで逃げられない。
#エナスタ共和国 #脱出不可能 #AI支配 #監視社会 #自由を奪われた
深夜の静寂に包まれた部屋の中で、ルイはエルダ・デバイスの光をじっと見つめていた。エナスタ共和国の技術ならば、それが可能だろう。しかし、AIの管理が完璧ならば、生体認証や監視ドローンで管理できるはずだ。それでも、この国に存在する人々の待遇の差や管理体制は、どうしても否定できない現実感を放っている。
その現実こそ、ルイが作り上げた嘘だった。
偽りの記事の投稿が、瞬く間に広がり、世界中の目を引き寄せている。反響が画面に映し出された瞬間、ルイの中に抑え切れない興奮が湧き上がる。その熱が、心の中でじわりと温かさを広げていった。
情報が拡散し、エナスタ共和国の名声が一人歩きし、政府や為政者たちはその無力さを見せつけられている。まるで、世界がルイの思い通りに動いているようだった。これこそが力、自分が支配できる世界の証。全てが自分の掌の上にあるような感覚に包まれて、ルイは小さく笑みを零した。
透明市民の自分が、インターネットの世界では発言権を持ち、皆から必要とされている。暗闇に閉じ込められていた人間が、初めて陽の光を浴びたような感覚だった。
ただ管理され、自分の未来すら選べなかった頃とは違う。今は自分の指先で真実も未来も作り出すことができる。自分を救わなかった世界へ、細やかな復讐を果たしているような気分だった。
ルイは周囲に誰もいないことを確認し、もう一度投稿を見た。その言葉の中には、全ての感情が詰まっている。情報が何処へいき、誰の手に渡ろうとも、もはや彼には止められない。
『#エナスタ共和国』はあっという間にトレンド入りした。陰謀論の類と思う連中と、面白がって生成AIの画像や動画を添付する輩。SNSの人々は新しい玩具に夢中になった。
SNSのインプレッションは収益には直結しないが、クラウドファンディングや寄付を募るには必要不可欠だ。スポンサーシップやタイアップを狙うよりも、手っ取り早く金にするならそちらの方が効率的だ。
魅力的なビジュアル、前衛的な話題、そして、絶妙なタイミングでの投稿。特に、エナスタ共和国に関するハッシュタグは絶大な効果を発揮した。人々は正義という言葉に強く惹かれ、叩いても許される対象を求めている。エナスタ共和国は、そのターゲットとして完璧だった。大きな規模で、反撃もなく、まさに理想的な悪役となった。
@shocked_reaction
これが本当ならヤバいよな?!
#エナスタ共和国 #真実を求めて
@investigative_expert
専門家が事実確認の調査をするって!
#専門家調査
@cynical_critic
こんな嘘に騙されるなんて馬鹿ばっかり。
#騙されるな #危機感
世界中でエナスタ共和国のフェイクニュースが作り出され、影響のあるインフルエンサーや海外のセレブたちが言及し、拡散されていく。AIが生成した移民チップ埋め込み手術のフェイク動画が出回ると、今度は反対意見を主張する人々が論争を始めた。まるで、未知の病が爆発的な感染を引き起こすみたいに。エナスタ共和国からの公式発表はまだなく、嵐の前のような沈黙が続いている。
その時、エルダ・デバイスが震え、着信音が鳴り響く。ルイはそれを無視することなく、画面を開く。SNSに繋がりのないユーザーからリプライが届いていた。ウイルスや詐欺の可能性も考えたが、そのユーザー名に胸が高鳴った。MNT——湊?
逸る鼓動を抑えて、ルイは震える指先で操作した。そこには短いメッセージが記されていた。
MNT @mnt_00
Enjoying your chat with the wall? :)
(壁とお喋り、楽しいね?)
それは痛烈な嫌味であり、皮肉だった。見下しながらせせら笑う、あの少年の顔が目に浮かぶ。ルイはデバイスを膝の上に伏せ、空を仰いだ。トレンドを作ったくらいじゃ、彼のゲームには参加できない。もっと話題性が、資金が要る。冷静に分析しながらも、どうして彼のゲームに固執しているのか自分でも分からなかった。
1.悪党ほどよく喋る
⑷愚者の行進
悲哀、郷愁、物悲しい音色が頭の中に響く。
故郷で聞いたファドは、キターやビオラと共に演奏されるポルトガルで有名な音楽ジャンルの一つである。故郷に未練なんてないはずなのに、いつもなんとなく口遊んでいた。まるで、そのメロディが魂に深く刻まれているかのように。
古びた電動スクーターを走らせながら、ルイはいつものようにファドを口遊んでいた。タイヤが砂利を踏む音だけが響く。アクセルを軽く踏み、森の道を滑るように進む。周囲は木々が生い茂り、枝葉が天蓋のように覆い被さっている。昼と夜の狭間の時間、木漏れ日が長い影を作り、足元の砂利道をまだらに染める。湿った土の匂いが鼻をくすぐり、空気は少しずつ熱を失っていく。
やがて、道がなだらかに傾き始めると、木々の密度が薄れ、視界が開けた。風が変わる。湿気を帯びた森の空気に、乾いた潮の匂いが混じるようになる。道の先には鈍く光る海が見えた。
ヴィラへ続く坂道は、荒れたままだった。かつては手入れされていたのかもしれないが、今は雑草が隙間から顔を覗かせ、ひび割れた混凝土が剥き出しになっている。時折、鳥の鳴き声が風に乗って流れ、何処か寂しげな余韻を残した。
ミドルエリアの南端、かつてのリゾート施設は既に過去の遺物になりつつある。ハイエリアほど管理は行き届いておらず、ロウエリアほど無秩序ではなく、どちらにも属さない中間地帯。AIがどうしてこのような中途半端な地帯を残すのか、ルイには検討も付かない。
ヴィラの中に足を踏み入れると、かつての華やかな雰囲気は今も僅かに残っている。広いリビングルームには、大きな窓から陽光が差し込むが、もうその明かりはやや鈍く、薄曇りの空が広がっている。白く塗られた壁はところどころひび割れ、床のタイルも色褪せて見えた。
部屋の隅に、見覚えのある釣り竿が立て掛けられている。枯れ木のような釣り竿は、主人を待ちながら、時間にそっと身を任せているかのようだった。窓の外には、エメラルドグリーンの海と澄み渡る空を隔てる水平線が広がっていた。ひんやりとした風に、波の音は遠く聞こえた。
ルイはベッドに腰掛け、デバイスを取り出した。
『♯エナスタ共和国』について言及する時、ルイは一貫したストーリーを組み立てることにした。ここは、貧富の差が大きく、社会的流動性の低い歪んだ国である。ハイエリアとロウエリアは、謂わばエナスタ共和国が作り出したピラミッド型の上下関係だ。投稿者はロウエリアに住む移民で、社会的に冷遇されており、貧困に喘いでいる。この国を出るために、情報を発信しながらクラウドファンディングで資金を集めており、同じ境遇にいる仲間を救いたいと考えている。
この設定を基に幾つか記事を書いたが、反響には差があった。所謂、陰謀論に近い内容にはコアなファンが付き、同情を誘う記事はインプレッション数は高いが実益には繋がらない。初めは時間と金を持て余した人間が通り過ぎるだけだったが、エナスタ共和国のAIシステムに言及した時、インプレッション数は跳ね上がった。つまり、人々は国家運営に関わるAIというものに興味津々なのである。
そこで、ルイはエナスタ共和国のAIを中心にした記事を書くことに決めた。とはいえ、ロウエリアに住むルイには知りようもない情報である。だから、ルイは先日会ったあの少年の言葉を思い出しながら適当な真実を捏造した。人々が求めている娯楽として、あの少年の存在はキャッチーで都合が良かったのだ。だから、意味も分からず彼の言葉を使った。
@louis_the_maverick
エナスタ共和国のAIシステムは完璧じゃない。
バグを一つ仕込めば、前提が全部崩れる。
#エナスタ共和国 #システムの穴
この記事を投稿した時は大変な騒ぎが起きた。世界中で燻るハッカーやプログラマたちが、腕試しをするかのようにエナスタ共和国のシステムに攻撃を仕掛けたのだ。しかし、どうやらシステムはエラーを起こしていない。むしろ、異様な静けさだった。推察するに、エナスタ共和国のAIは外部からの攻撃には強固な守りを持つが、内部からの侵入には脆弱な部分が存在する。もちろん、ルイにはそのセキュリティを崩す技術はないし、国家転覆なんて目論んでいない。
ルイはデバイスを伏せ、思い切りベッドに寝転んだ。古いスプリングが軋んだ音を立て、舞い上がった埃が日差しを受けて煌めく。脳裏に過るのは、あの日、桟橋に立っていた少年だった。世界中の技術者が躍起になって壊そうとしても、エナスタ共和国のシステムは揺るがない。だが、あの少年は自らその内側に侵入し、子供のように遊んでいた。
“Enjoying your chat with the wall?”
あのメッセージが蘇る。今の俺の影響力も、壁とお喋りだっていうのかい?
ルイはベッドから身を起こし、再びデバイスを手に取った。話題沸騰中のトレンドに紐付けしながら、ルイは一つの投稿を書き始めた。初めて手に入れたナイフを一人で眺めているような、後ろめたさと誇らしさ。あの少年の澄ました顔を少しばかり歪ませてやるつもりで、エナスタ共和国の攻略者として彼の名を打ち込んだ。
その時だった。
突如としてアプリが落ちて、画面が暗転する。
「……え?」
ルイは眉を顰め、エルダ・デバイスを軽く振った。しかし、デバイスそのものは正常に動作している。問題はSNSアプリだった。ログインし直そうとすると、無機質なエラーメッセージが突き付けるように表示される。
このアカウントは規約違反により凍結されました。
「嘘だろ……?」
指先が震えた。再度ログインを試みるが、どれも跳ね返される。別のアカウントで検索しても、ルイの投稿は全て消えていた。いや——、消されたのだ。数秒前まで確かに存在したはずのルイの足跡は、跡形もなく消滅していた。
破滅と絶望が背後に迫り、焦燥感が足元に火を点ける。混乱する頭の中で、自分の行動を振り返る。これまで散々デマをばら撒いても問題はなかった。エナスタ共和国のAIを煽った時ですら、ただの話題の一つとして受け流されていた。だが、今回は違う。
ルイは、たった今、自分が何を投稿しようとしたのか思い返す。
——湊の名前。
「まさか……」
それは単なる偶然かもしれない。しかし、彼の名前を書き込んだ瞬間にアカウントがBANされたのだ。直前までどれだけ危険な陰謀論を拡散しても消されなかったのに、彼の存在を公にしようとした瞬間、システムは容赦なくルイを切り捨てた。
「……嘘だろ。こいつ、何者だ……?」
ルイは額に汗が滲むのを感じながら、デバイスを膝の上に伏せる。
その時、頭の後ろで鋭い金属音が鳴った。それが戦場で幾度となく聞いて来た撃鉄の引かれる音だと気付いた時、心臓が凍り付いた。冷たい緊張が背筋を駆け抜ける。場違いに落ち着いたテナーの声が、そっと囁いた。
「ここが分水嶺だぜ、Mr.バーンフェイス?」
その声は高みから見下ろすような冷徹で、何もかもを見透かすような凄みを持っていた。ルイの喉が引き攣り、微かな音を立てる。
潮風が吹き抜ける中、その男は柔らかな花の香りを漂わせていた。