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僕等の代理戦争  作者: 宝積 佐知
1.悪党ほどよく喋る
2/15

⑵花の香りのする男

 此処は掃き溜めだ。臭くて汚くて、吐き気がする。

 政府支給の個人端末機——通称、エルダ・デバイスを眺めながら、ルイは溜息を吐いた。


 ルイの仕事場であるインターネットの世界は、真偽不明の情報や世の中への不平不満、噛み付く相手を探す獣みたいな加虐で溢れている。こんな世界は神だってログアウトするだろう。


 デバイスをポケットに押し込み、バラックの扉代わりの布を捲り上げると、東の海が白んでいるのが見えた。


 朝日が昇り始め、海面が金色の光を散らせる。その輝きは、胸が苦しくなるほどに美しい。目に焼き付いた光景に、無駄だと分かっていながらも、どうしてもその一瞬を心の中で掴んでいたくなる。


 ルイは寝所を簡単に整え、ロウエリアの配給所へ向かった。政府の難民保護プロジェクトの一環で、朝と夕方に食事の配給がある。貧しい移民を救うための取り組みであるが、その温情は人々から能動性を奪い、家畜のような生活へ堕落させていた。


 配給所から提供される食事は、栄養的には満たしているが、質素なものが多い。今朝は冷めたソイペーストの粥が提供された。味気がなく、固形物がないので殆ど飲み物みたいなものだった。食事の楽しみなんてものは感じられるはずもない。


 国籍不明の移民たちに混ざり、ルイは粥を食べ終えた。

 この後はミドルエリアで物品の運搬、ゴミの回収、トイレ清掃。休憩時間に記事を書かなければ、ライターとしての肩書きすら失う。


 与えられた役割をこなし続けるのは、自分の価値を勝ち取るためだ。殆ど密航の形でやって来たルイは、移民の人々が体の中に埋め込むチップさえも与えられておらず、風が吹けば消し飛ぶほどに軽い存在だった。


 SNSのトレンドを流し見て、ヒットしそうな話題を探す。最近の流行は、正義だ。つまり、鬱憤を晴らすために、叩いてもいい悪をでっち上げる。実態のない敵を生み出し、自分が殴られない安心を買うのだ。彼等は、可哀想な自分を演出することに忙しい。


 その構造は、白人たちが作り出す映画にも表れていた。誰が償うべきかも分からない、遥か昔の罪を前に、遅過ぎる後悔と反省をするふりをする。そして、それをエンターテイメントとして消費する。歴史を、良い話に作り替えながら。


 以前、ルイはその浅ましさについて記事を書いた。

 語気の強さを咎める者。煽りに便乗し、火を大きくする野次馬。薄っぺらな正義を掲げる偽善者。記事は嵐のように拡散し、世界中を駆け巡った。だが、それも長くは続かない。


 熱狂は一瞬、忘却は迅速。

 情報の奔流に埋もれ、人々は考えることすら手放していく。


 ルイはただ、それを退屈だと思った。






 1.悪党ほどよく喋る

 ⑵花の香りのする男






 退屈な昼休みを終え、ルイは雑多なロウエリアの街路を歩き出した。道の端に色とりどりのハイビスカスが花を咲かせ、甘ったるい匂いを漂わせている。アスファルトで舗装された道は陽炎が立ち上り、太陽の日差しと共に容赦のない熱波に晒される。


 通行門は、巨大な白い塔の形をしていた。扉の前には制約機構(キュレーター)と呼ばれる門番と、幾つもの監視カメラ。その中で一際目を引くのは、まるで刑務所みたいな有刺鉄線と銃口である。ロウエリアの人間が許可なくミドルエリアに侵入するのは、死刑に相当する犯罪行為である。だから、ロウエリアの人間はエルダ・デバイスを提示するか、体内に埋めたチップによって身分を証明するしかない。


 ルイが偽物のエルダ・デバイスを提示すると、キュレーターたちが即座に照合作業を始めた。周囲の空気が張り詰める。


 不審な行動を取れば、頭上のレールガンが閃光を放ち、超音速の金属弾が頭蓋を貫通する。過去に何度も見た光景だ。


 照準が定まった瞬間、青白い火花が散り、音速を超えた弾丸が空間を引き裂く。標的の体は、一拍の静寂の後に崩れ落ちる。撃ち抜かれた頭部の奥で、壁が赤く染まる。




「……」




 ルイは静かに息を吐き出した。キュレーターたちは沈黙し、道を開く。彼の偽物のデバイスは、今日も見逃されたらしい。


 正直なところ、ルイはこのデバイスが偽物であることはバレているのではないかと勘繰っている。それでも、この門を通ることができるのは、フリーライターとしての肩書きがあるからではないかと思っていた。


 暗いトンネルを抜けると、活気に溢れた市場が出迎える。AIによる気象制御システムの恩恵を受けた、色鮮やかな果物。豊かな物流によって届けられる新鮮な肉や魚。パターン化され、量産される木彫りの家具や手織りの布。ハイテクノロジー社会とは異なる物々交換の世界。


 ミドルエリアは、ハイエリアとロウエリアの中間に位置する区画で、どちらの影響も受けながら独自の文化を形成している。


 発展が遅れているのではなく、その時代を模して作られている。金持ちの道楽とでもいうのか、店先に立つのはミドルエリアでも貧困層の人間である。時々、ルイのようなロウエリアの人間は肉体労働をするために出稼ぎにやってくる。


 周りを見回すと、ミドルエリアの住民たちはどこか避けるようにして、無意識にルイとの距離を取っているのが分かる。目線を合わせず、素早く通り過ぎる者、わざと足を速めて立ち去る者もいる。


 ルイは、何となく自分がこの場所に馴染めていないことを感じ取る。差別的な態度はない。だが、それでも何かが、彼と彼らの間に見えない壁を作っているようだった。此処にいる人間は、ロウエリアの絶望を知らず、ハイエリアの贅沢も知らない。その在り方が、どこか作り物めいている気がした。


 赤い石畳の道を歩いていたルイは、ふと立ち止まった。視線の先、軒を連ねる市場の店先に、一人の男が立っている。


 一瞬、空気が変わったような気がした。


 無造作に整えられた金髪が陽の光を受けて輝き、彼が軽く頷くたびに、柔らかな波を描く。白いシャツの襟元は僅かに開かれ、覗く喉元が妙に色気を帯びて見えた。ライトグレーのスーツはまるで彼のために仕立てられたかのように馴染み、ワインレッドのレースアップシューズが洗練された足元を彩る。


 高そうなサングラスの奥の瞳は見えない。それでも、彼が笑うたびに、どこか気紛れな余裕を感じさせた。その声が空気を震わせる度、周囲の誰もが無意識に彼へと意識を向けている。


 ルイは、目を奪われていた。


 映画のスクリーン越しではなく、目の前に本物の主役が立っているような錯覚。息を呑むほど鮮烈な存在感。こんな男が、こんな場所にいること自体が異質だった。


 ルイは、まるで時間が止まったかのように、その男を見詰めていた。

 彼は店主と軽く言葉を交わしながら、手に持っていた携帯電話を自然な動作で足元へと下ろす。そして、そのままゆっくりと顔を上げ、シャッターを切った。


 ルイの視線は、彼の手元の画面へと吸い寄せられる。そこに映るのは、ミドルエリアの赤い石畳の道と、軒を連ねる市場の風景。けれど、どこか違和感があった。


 それは——まるで、蟻の景色だった。

 見下ろす者の視点。高みから捉えた世界。

 胸の奥で、何かが騒めく。


 ルイは息を呑み、もう一度その男を見た。

 彼がサングラスの奥でどんな目をしているのか、ルイには分からない。だが、確信めいた感覚が脳裏をよぎる。


 ——まさか。

 彼が、あの彼なのか?


 渡り鳥のように世界を旅しながら、蟻の視点を持つ自由な投稿者。ルイの価値観を揺るがした言葉を綴った男。ハイエリアの住人でありながら、まるで神の視点を持つかのように世界を見下ろす男。


 憧れた言葉の主は、もっと自分に近い存在だと思っていた。対等に語り合える友人のような。

 だが、目の前の男は明らかに年上で、住む世界が違う。まるで、手を伸ばしたところで届かない高い空にいるみたいだ。


 男が片手で紙袋を抱えると、中から真っ赤な林檎が転げ落ちた。赤い石畳の道を転がりながら、林檎はルイの爪先に衝突した。ルイが拾い上げると、穏やかなテナーの声が飛び込んで来た。




「すばしっこい林檎だな。そんなに焦るなよ」




 その声は、余裕を含んで低く響いた。

 微笑みながら、男は軽い足取りで近付いてくる。


 ルイが林檎を差し出すと、男は何の躊躇もなくそれを受け取った。




「ありがとな、坊主」




 サングラスの奥で、宝石のような碧眼が煌く。気障な仕草で片目を閉じ、ルイの肩を軽く叩くと、男は颯爽と歩き去った。すれ違い様に、花のような甘い匂いが掠めた。振り返る間もなく、彼の背中は人波に溶けていった。


 ルイは、呆然とその場に立ち尽くす。触れられた肩には、ほんの少しだけ温もりが残っている。


 胸の中に言葉にならない感情が騒めいていた。

 落胆か感心か。それすら分からない。

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