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僕等の代理戦争  作者: 宝積 佐知
2.我が上の星は見えぬ
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⑸熱狂の兆候

 @burned_by_truth

 真実を語る奴が、高層階に住んでちゃ意味ねえだろ。

 お前が守ってるのは、電波と快適な椅子だけだろ?

 #クラウド市民撲滅運動




 @data_digger66

 こいつ昔、『#ハイエリアの朝焼け』とかタグ付けてたよな。

 上から見た風景で、下界を語るなよ。

 #上級サバイバル #観察者気取り




 @death_by_virtue

 焼かれた子の声、聞いたことある? こいつはその音を楽しんでるタイプだよ。

 動画編集しながら赤ワインでも啜ってたんじゃない?

 #共犯者 #美しき炎上




 @lowzone_vigilante

 背中に番号つけて吊るそうぜ。『燃料提供:上級国民』ってさ。

 地獄の焚き火には、ちゃんと看板が必要だろ?

 #晒し上げ #正義の焚刑




 @purify_the_feed

 一時間後にコイツの住所晒す。

 クリーンな世界にするには、汚物をひとつずつ掃除しなきゃな。

 #情報浄化作戦 #匿名制裁部隊







 2.我が上の星は見えぬ

 ⑸熱狂の兆候







 通知音が鳴り止まなかった。


 画面の光が指先を焼くように眩しい。

 無数の言葉が、鋭い棘となって皮膚を裂いていく。

 侑のアカウントは、いまや野火の中心だった。


 写真一枚──。

 かつて、何気なく投稿したハイエリアの空からの風景。それが今、『上級国民の象徴』『ハイエリア市民の冷笑』として焚き付けられ、彼を炎上の主柱へと押し上げていた。


 一つ、また一つ。

 通知は加速度的に増えていく。

 罵倒、暴言、開示予告、晒し上げ。傷口を見つけた獣が、血の匂いに群がるように、言葉が殺到してくる。




「……楽しいのかよ、これが」




 くだらねぇ。

 侑は低く呟いた。


 隣で、ルイが笑っていた。

 笑ってはいたが、そこに熱はなかった。

 その横顔はまるで、冷え切った劇場で無人の拍手を聞いているような、空虚さに支配されていた。


 血の臭いに敏感なピラニアみたいに、獲物が落ちると集まって血肉を貪ろうとする。それを人間の本性と呼ぶのは乱暴だろうか。投稿の向こうには人間がいる。──侑にはもう、そんな風に思えなかった。


 そっと立ち上がると、ブースの硝子板に背を預けた。苛立ちが泡のように湧き上がり、弾けては虚しさが背を重くする。侑は笑顔の仮面を貼り付けたルイに突き付けるつもりで言った。




「お前、本当にこれでいいのか?」




 だが、ルイは応えない。ただ首を傾げて、視線だけを侑へ向ける。挑発とも、無関心ともつかない視線だった。だが、それが侑の内側の何かを突いた。




「他人に言いように使われて、お前の人生も尊厳も奪われて、死んだことにまでされて。これじゃあ、戦場で銃を握らされていた頃と同じじゃねぇか」




 ルイのことは、朧げながら覚えている。侑の投稿した写真を見て、ダイレクトメッセージを送って来たポルトガルの青年。戦争を家族も無くし、逃げるように母国を離れ、エナスタ共和国に流れ付いたが、彼の居場所は何処にも無かった。


 彼は支配者による搾取から抜け出せないまま、まるで銃を手放せない少年兵のように、今も敵を恐れて武器を握っている。そして、恐怖というものは、操られるのに便利だ。


 ルイが眉根を寄せる。何処か怯えたような、不安定な表情だった。侑は、目を逸らさずに続けた。




「英雄として死ぬ前に、人として生きろよ、ルイ・マヌエル・シルバ」




 沈黙が落ち、ルイが拳を握った。榛色の瞳が、何か言いたそうに此方を見る。しかし、その口は何も語ることは無く、携帯電話から着信を告げる音が鳴り響いた。




「湊だ」




 侑が応答すると、端末越しに冷ややかな声が響いた。




『Hey, 君たち、まだ革命って言葉に酔ってる頃かな? だったら、水差しに来たよ』




 その声が聞こえた瞬間、侑の背筋が無意識に伸びた。

 軽口のはずなのに、湊の言葉はいつも、心臓の奥を撃ち抜いてくる。だからこそ、怖い。それは剃刀のように鋭く、時に、切る相手すら選ばない。


 湊は飄々と続けた。




『まず事実をひとつ。今、民衆が押し寄せようとしてるあの広場の地下には、巨大な人工湖がある。国家運営AIの冷却装置さ。エナスタは生まれた時から、高熱に弱い国なんだよ』




 一言一句が、まるで異国の戦地報道のようだった。


 だが、侑の知っている湊の声は変わらなかった。冷静で軽やかで、皮肉を含んでいる。たが、何処か遠くにいる。まるでこの国の灼熱からも、民衆の混乱からも切り離された場所で語っているような余裕が、逆に怖かった。




「AIの冷却装置……? そんなことが、本当にあるのか?」




 冷静な語り口に反して、話の規模が大き過ぎる。侑が漸く口にしたその問いは、喉から掠れた音になった。けれど、湊は相変わらず飄々として、まる他人事である。




『そう。で、その冷却水、何処から来てると思う? 昔、地下鉱脈だったところに無理やり水路通したんだ。脆い地盤に、人為的な熱と水圧を抱え込んだ設計。──まさに事故待ちの舞台装置ってやつだ』




 侑は思わず視線をルイに走らせた。ルイは、息を呑むようにしてディスプレイを見つめていたが、視線は定まらない。


 まるで、自分の居場所さえ分からなくなっている子供のようだった。




『もしもこの場所にミドルエリアやロウエリアの人が集まったら、どうなると思う? 柔らかい地面は崩落し、みんな地下の水溜りに真っ逆様さ』




 言葉が、鋭い針のように侑の胸を貫いた。

 ふざけるなよ、と心の奥で声がした。

 それでも、端末の向こうの湊の声は、芝居じみた軽快さを保っていた。




『その場でデモが起ころうとしているのは、偶然だと思う? 俺はそう思わない。人を集めるように誘導してる奴がいる』




 湊は一度息を吐き、更に続けた。




『タグの流れ、広告の配置、SNS上の感情曲線。全部、手を入れた奴がいる痕跡がある。名は出さないけど、知ってるだろ? ──戦争代理人だよ』




 侑は、無意識に拳を握っていた。

 湊の声が、低く鋭く変わる。




『それとも、まだ民意ってやつを信じてる?』




 僅かな間があった。風が止まり、鼓膜が静寂に吸い込まれるような一瞬。


 そして、湊は静かに続けた。




『1938年のズデーテン地方では、ラジオと新聞が人間を踊らせた。1994年のルワンダでは、たった一つの放送局が百万の死を煽った。声を上げろと教えられた民衆は、誰よりもよく人を殺すんだよ。()()を叫びながらね』




 背筋に冷たい汗を感じた。


 知識が、武器になり得ることは分かっていた。だが湊は、それを暴力と同じ精度で操っている。今この瞬間、誰よりも危険なのは、この端末の向こうにいる仲間だった。




『ルイのタグは、ちょうどその音楽のテンポにぴったりだった。だから踊ってくれたのさ。……君がいなくなったあとも、誰かがテンポだけを保って』




 ぞわり、と首筋を風が撫でたような感覚が走る。


 端末からの音声は、まるで耳元で囁かれているように感じられた。静かな部屋に湊の声だけが響き、その温度のなさが逆に胸を冷たく締めつける。


 それでも、何処かで期待してしまう自分がいる。湊なら、この地獄を制御できる。湊なら、どうにかしてしまうと──。


 だが、同時に、それは自分たちが踏み込んではならない領域にまで湊を押し上げてしまっている証でもあった。




『ルイ。君の死は、そのシナリオの最初の祭壇だった。神輿は倒れた方が担ぎやすい。お前が黙ってれば、あとは正義が勝手に血の道を作ってくれる』




 侑はルイを見た。彼は硬直したまま、まるで硝子細工のように無音の衝撃に打たれていた。


 怒ってくれ、泣いてくれ、叫んでくれ──侑は心の中でそう願っていた。湊の言葉が、ルイの胸に何を残すかは、まだ分からない。


 だが、確かにその刃は届いている。




『君はまた同じ歴史のページを捲るか、それとも、そこに書き加えるつもりかい?』




 揶揄うような軽さで問い掛け、湊は一段声を低くした。そして、冷淡な口調で告げた。




『……俺は、後者に賭けてるよ』




 ルイの瞳がはっきりと揺れる。

 畳み掛けるなら、今しかなかった。武器を手放せない少年兵、承認欲求に踊らされ、誰かの策略の上で存在意義すら奪われた異国の青年。


 これが同情なのか、使命感なのかも分からない。だが、彼は助けを求めて自分へ手を伸ばした。掴んでやりたいと思うのは、傲慢だろうか。


 しかし、ルイという一人の青年を蘇生させるならば、今しかない。侑は畳み掛けるつもりで口を開いた。




「ここで黙っていたら、お前は、あの支配者たちと同じことをする。広場に群衆を集めて、その下に地雷を敷いて見物してるだけだ」




 ルイの榛色の瞳には、深い憎悪と諦念がある。それはまるで、仄暗い水底に沈む一枚の銀貨のようだ。誰も気付かない、手を伸ばさない。けれど、今なら届くかも知れない。


 侑は、静かに問い掛けた。




「終わりなき戦争に、民衆を放り込むのか? それが復讐なのか?」




 その言葉は、呪文のようだった。

 あるいは、願いだった。

 ルイが顔を上げた。その瞳に、確かに涙が宿っていた。


 それは、悔恨か、羞恥か。それとも、もう二度と戻れない何かを知ってしまったことへの後悔か。いずれにせよ、今やるべきことは、この青年を慰めることじゃない。




「……なあ、湊」




 ぽつりと、ルイはスピーカーの向こうに言った。

 その顔は俯いたまま、震える指が端末を操作する。画面には、広場に集まり始めた群衆が映し出されていた。


 無言のデモ。点灯された街灯の下でじっと佇む影たち。その中心にある、かつて英雄が倒れたとされる場所。そこには、誰の名前も記されていない花束がひとつ、置かれていた。


 ルイは唾を飲み下し、静かに問い掛けた。




「お前は何の為にこの国に来た? お前は何をしようとしている?」




 スピーカーの向こう、湊は平然と言った。




『俺は、世界を相手にポーカーをしている。一番マシなハッピーエンドを探しながらね』




 スピーカーの向こうで得意げな笑い声が聞こえる気がした。侑はつい笑ってしまった。相変わらず、自分のボスは自由で勝手で、世界の裏側で子供みたいに遊んでいる。


 ルイがぽつりと言った。




「……俺の声は、まだ届くかな……」




 その囁きは、まるで誰にも届かない前提で吐き出されたように、細かった。

 侑は静かにルイへ向き直った。




「届けろ。今度こそ、自分の言葉で。お前の始めた物語を、終わらせる時だぜ」




 そして、再び通信が鳴った。

 湊の声が、短く笑いを含んで戻ってきた。




『いいじゃん、主役の再登場ってやつだ。演出は任せて。……さて、こっちは地下湖のハッキング準備に入るよ』

「何をするつもりだ?」




 思わず、声が強くなった。

 焦燥が、また胸を噛んでいる。




『そのうち暴露るさ。でも今は、火種じゃなくて物語が必要だ。ルイ、お前は語れ。俺が場を作ってやる』




 そして再び、通信は切れた。

 通話が切れたとき、侑の胸の中には、一筋の風が通り抜けていた。湊と話すと、いつもそうだ。沈鬱な現実に埋もれそうな心を、強引にでも浮上させてくれる。


 あいつは変人で、詐欺師じみた男だが、侑にとっては、この世界で最も信頼するボスだった。


 あとに残されたのは、ルイの長い、ひとつの呼吸だった。彼は静かに、都市の雨の匂いを吸い込んだ。

 今のこの空気には、嘘も、暴力も、絶望も、全部混ざっている。


 それでも。




「……やってやるよ」




 その声には、確かに帰還の響きがあった。


 侑は、小さく笑った。

 その笑みの奥には、まだ消えぬ不安がある。それでも、今は少しだけ光がある。


 奇妙な音が聞こえて、侑は顔を上げた。

 白い霧が、都市を濁らせている。

 その向こうから、かすかな足音が聞こえ始めていた。ひとつ、またひとつ。やがて、それは連なり、波のように押し寄せてくる。


 一人、二人、三人──いや、数えるだけ無駄だ。

 無言の影たちが、今この広場に集まろうとしている。誰に命じられたわけでもなく、誰の声にも従わずに。


 侑は、懐の銃にそっと触れた。

 そして、霧の向こうを見据えながら、低く呟いた。




「……さあ、俺たちの戦争の幕開けだぜ」

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