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僕等の代理戦争  作者: 宝積 佐知
1.悪党ほどよく喋る
10/15

⑽虚構の奔流

 全身の毛穴が逆立つ。

 あの演説を聞いた瞬間、ルイの内側で何かが燃え上がった。


 抗い難い高揚感。まるで、この世界の不条理すべてを託された存在として、救世主から手を差し伸べられたかのようだった。だが、それは信仰心ではない。ただ、火を初めて見た原始人のように、目を奪われたのだ。


 自分のアカウントが奪われ、利用されていく様を、ルイは何処かで賞賛していた。自分は世界と戦っているつもりで、実際には狭い井戸の底で、子供の悪戯のようなことを繰り返していただけだった。そんな幼稚さを突き付けられながらも、ルイは戦争代理人の在り方に可能性を感じていた。


 ()()()()()()()()()()()()()()、と。


 だが、ここで自惚れていては、また同じ轍を踏む。今、やるべきは学ぶことだ。情報戦の最前線、感情によって売られる神話の現場を、自らの経験として知る必要がある。


 激しい雨音に、時折、雷鳴が重なる。

 薄暗い室内灯の下で、湊が無言のままパソコンに向き合っていた。長い睫毛に縁取られた双眸には、ディスプレイの四角い光が映り込んでいる。


 眉間に皺を寄せた侑が、低く呟いた。




「何言ってんだ、こいつは」




 理解がまるで及ばないというように、侑が憤然と吐き捨てる。その声音に、ルイは心の柔らかい部分を打たれたような、居心地の悪さを覚えた。




「無知な民衆に偏った真実を与えて、帰り道のない戦場へ放り込むのは支配者のやり方だ」




 ルイは反論を飲み込み、共感するふりをして頷いた。確かに、この戦争代理人と呼ばれる存在のやっていることは、到底許されるものではない。排除されて然るべきだ。けれど、それは結果論だ。この戦争代理人が立ち上がるまで、人々は指を咥えて眺めていただろう。与えられた安寧を貪り、互いの罪を押し付け合いながら。


 きっと、侑には分からない。差別されたことのない人間に、虐げられる気持ちは分からない。それはまさに、生者が死者の言葉を知り得ぬように。


 湊は、沈黙していた。ディスプレイに浮かぶコメントをただ見詰め、応酬するように短く言葉を打ち込む。




 @idk_404tsk

 You’re just a goddamn chaos junkie, stokin’ the fire from across the fuckin’ river.

(お前は混乱が見たいだけの破壊者。火の粉の降りかからない対岸で、もっと燃えろと煽っているだけ)




 明確な非難である。戦争代理人の挑発に乗ったのか。それにしては、余りにも湊は落ち着いているように見える。侑は壁に凭れながら、神妙な顔で問い掛けた。




「挑発に乗るのか?」

「いいや……」




 湊は眠たげに瞼を下げ、今にもパソコンを閉じそうな素振りを見せた。飽きた玩具に興味を失くした子供のように。


 彼は肩を竦め、小さく笑った。




「ポーカーと一緒だよ。良い手が来るまで、我慢も必要なのさ」




 侑は苦い顔で頷いた。湊は背伸びをして、猫のような大欠伸をした。そのままルイとは目も合わせずに、ベッドに潜り込んだ。侑に向けて薄く笑っただけで、彼はすぐに寝息を立て始めた。


 取り残されたルイは、胸の奥に冷えた空気を吸い込んだ気がした。居心地の悪さを飲み込んで、ルイは侑を見遣った。




「大丈夫なのか?」




 侑は答える代わりに溜息を吐いた。そのまま寝息を立てる湊にブランケットを掛け直す。まるで幼子を寝かし付けるように、優しい手付きだった。




「分からんが、まあ、うちのボスはやる時はやる奴だ」




 だから、あんまり心配すんな。

 そう言って、侑はルイの頭を撫でる。

 慣れた手付きだった。湊にも、同じようにしていたのを思い出す。

 侑に受け入れられたのかもしれない──そう思うと、胸の奥が擽ったくなる。


 ルイはソファに身を沈め、SNSを覗いた。大衆のコメントが洪水のように流れ続ける。戦争代理人を讃える声、正義を装った批判、どちらも表面的だ。そして、湊のコメントはその対立を見事に煽っていた。


 動画は拡散され、引用され、熱を帯びていく。

 つまり、先程の湊のコメントは虚構に乗ることで発言権を得るための一手だった。彼等には、正義や真実なんてものは何の価値もないらしかった。


 眩暈のような疲労感が押し寄せる。

 視界がモザイク越しのように霞む。侑は壁に凭れて座り込み、瞼を下ろしていた。一見寛いでいるが、その視線は相変わらず油断なく此方を意識している。


 ルイは一人掛けのソファに身を沈め、天井を仰いだ。シーリングファンが間抜けな音を立てて回っている。

 重たい瞼を擦りながら、外に目を遣った。濃霧が、牛乳を溶いた水のように空気を濁らせている。雷鳴は止み、雨足も随分と弱まったようだった。


 俺も。

 俺も、あんな風になれるだろうか? ──いや、本当はなりたくなんてなかったはずだ。なのに、羨望が刺さる。


 認知戦という見えない戦場で、武器を持たず、素性も明かさず、ただ指先ひとつで人々を動かす。それに惹かれながら、かつての自分がそのあり方を否定している。


 疲労は眠気となり、身体を包む。ソファに凭れたまま、耳を澄ませる。薄い壁の向こうから、雨と波の音が混じって聞こえた。


 今日起きたことを、思い返す。

 足元も見ずに桟橋を歩く湊。躊躇いなく銃口を向けた侑。戦争代理人と呼ばれる魔女の帽子。SNSに溢れる真偽不明の情報。風に靡く風見鶏のように、無責任な大衆。搾取を続けた大人たち。爆弾で消えた兄弟。政府に壊された故郷。


 顔のない人々が何かを叫んでいる。

 けれどそれは、言葉ではなく、ただの喚き声にしか聞こえなかった。


 頬に鋭い痛みを感じる。

 目の端から溢れた涙が、火傷跡に沁みたのだ。


 それが夢だったと気付いたのは、水平線の向こうに朝日が昇った後だった。


 夢現のまま、視線を彷徨わせる。

 視界はまだぼやけていて、無機質なタイピング音だけが響いていた。


 やがて嵐は過ぎ、清々しい朝が来る。

 虚構の闇よりも眩い、容赦ない現実の朝が。







 1.悪党ほどよく喋る

 ⑽虚構の奔流






 ルイが寝惚け眼を擦ると、澄んだボーイソプラノが朝の挨拶を告げた。床に座り込んだまま、振り向きもしない。そんな湊に対して、侑は昨夜と変わらぬ姿勢で其処に座っていた。それはまるで、狩りの最中にある肉食獣のように。




「幾つかのSNSに、エナスタ共和国のデモ映像がアップロードされてるよ」




 湊が言った。

 ルイはソファから身を剥がし、彼のパソコンを覗き込んだ。誰もが一度はアクセスしたことがあるだろう有名なSNSに、嵐の中で抗議活動する見窄らしい人々の姿がアップロードされていた。


 しかし、よく見るとそれはAI生成によって生み出された虚構だと分かる。画面の中の人々は、揃い過ぎていた。瞳の動きまで同じで、生きている人間というより、精巧なモブキャラに見えた。


 ルイは嘲笑った。




「こんな雑なコラ画像、誰が信じるんだよ」




 湊は冷静に返した。




「それを信じたい人たちが、事実にする」




 その冷淡な口調に、ルイは押し黙った。

 何か大切なものを、また一つ失ったような気がした。


 幾つものSNSが同じ情報を真実のように語り、大勢の人間が支持している。すると、その真偽を確かめる術が無い。エナスタ共和国の優れたAIは、情報を精査することも出来ずに沈黙している。


 映像の中で、あの男が熱っぽく無政府主義を謳う。それは民主主義とは違う、秩序のない混沌だ。その男の主義は余りにも危険だった。


 映像の中では、抗議運動を野放しにした結果、それはやがて公然たる暴動へと発展していた。SNSでは、かの春の革命を模したストーリーがエモーショナルに再構成され、海の向こうの人々が熱狂的に拡散する。


 一人の若者が、火を掲げた。その炎は、誰にも消せなかった。長らく影の奥に潜んでいた支配者は、ついに光の下へ引き擦り出され、その存在ごと歴史から抹消される。


 これが自由だ。

 そんなキャプションが、拡散の度に添えられている。本当に起きているのか、それとも誰かが描いた物語なのか。それを確かめる術は無い。


 それは、悪い冗談のようだった。

 このエナスタ共和国という閉ざされた国を、海の向こうの人々が作り替えようとしている。まるで、テレビゲームのように。その構図が、ルイには滑稽に映った。


 その時、侑が言った。




「これって、本当に全部が嘘なのか?」




 侑が訝しむように問い掛けた。

 湊はディスプレイから目を離し、ルイと侑を交互に見た。そして、ほんの少し笑って、言った。




「正直なところ、俺も分かんない」




 あっさりと、端的に湊は答えた。




「むしろ、これから真実が作られていくんだと思う」




 からりと笑いながら、湊が侑に向き直る。後頭部に、押し潰されたような寝癖が残っている。外見に無頓着な様は、まさにナードそのものだった。


 湊は、床に胡座を掻き、僅かに身を乗り出した。




「1989年、東欧革命。ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア──共産政権が次々と崩壊した」




 湊は膝の上で手を組んだ。

 そして、何処か寂しげに目を伏せ、静かに言った。




「あの時、誰も武器なんて持ってなかった。ただ、体制が自重に耐え切れなくなって崩れたんだ」

「……」

「今、俺たちが見てるのは、それと似てる。だけど、もっと複雑で、もっと無責任な世界だよ」




 ルイはぼんやりと、いつか動画で見た光景を思い出す。ベルリンの壁に群がる人々。拳を突き上げ、ハンマーを振り下ろし、叫びながら、泣きながら、自由を掴み取ろうとする群衆。


 その情熱的な光景が、何処か他人事に見えた自分を思い出して、胸の奥が針で刺されたように痛んだ。




「だけど、崩れた後にすぐ理想郷(ユートピア)が出来た訳じゃない。リビアもそうだろ?」

「……」

「カダフィ政権が倒れた後、自由を手に入れたはずの国は、無政府状態に陥った。内戦、部族抗争、テロ組織の台頭……」




 湊は静かに言った。




「革命は、破壊と再生の両方を孕んでる。だけど、破壊だけで終わることだって、珍しくない」




 ルイは、震える指でデバイスをスクロールした。

 SNSには、革命の火種たちが拡散されている。エナスタ共和国を憎み、今にも蜂起しそうな市民たちの、熱に浮かされた投稿。拳を突き上げるイラスト。燃える旗。断罪の叫び。


 SNSのトレンドは目まぐるしく入れ替わり、エナスタ共和国で起きているとされるデモ映像は拡散している。ただ、それが現実なのかは分からない。何が事実で、真実なのか。それをどうやって確かめれば良いのかすら検討も付かない。


 正義の名の下に、どれだけの命が奪われて来たのだろう。それは本当に救いなのか、破滅なのか。ルイにはまだ、答えが見えない。


 胸の奥底に言いようのない不安が沈澱していく。

 ルイが俯くと、頭の上で湊が言った。




「それにさ」




 ルイは顔を上げた。

 湊はパソコンのディスプレイにエナスタ共和国の公用AIシステムを映していた。政府公認のファクトチェック機関が設けられているが、今ではそれも何処まで機能しているか分からない。




「エナスタ共和国の国家運営システムってさ、物凄くレトロなディストピアなんだよね。このくらいシンプルでないと、まだAIには管理出来ないってことなんだろうけど」




 口の端に笑みを乗せて、湊は軽い調子で語った。




「シンプルってことはさ、一つの部品が狂っただけで全体が崩れるってことなんだよね」

「つまり?」

「エナスタ共和国のセキュリティは、外部からの攻撃には鉄壁なんだ。でも、内部のログイン管理がザルだから、俺みたいな素人でも侵入出来る。内部からの攻撃を想定していなかったのかな。独裁者の頭の中みたいだよね」




 湊が皮肉っぽく言った。全く笑えない冗談だ。

 侑は静かに立ち上がった。床が小さく軋み、ルイは顔を上げる。エメラルドグリーンの瞳が、朝陽の中で美しく輝いている。




「もう面倒臭ぇよ。現場に行って、自分の目で確かめた方が早い」




 侑は短くそう言うと、ジャケットを手に取った。湊は虚を突かれたみたいに一瞬黙り、肩を竦めた。そして、眩しそうに目を細め、微笑んだ。




「そうだね。侑が正しい」




 その柔和な肯定は、彼等の間にある確かな信頼関係を感じさせた。侑が白い歯を見せて、少年のように笑う。




「じゃあ、行ってくる」




 侑は気障に片目を閉じて、ジャケットの胸元からティアドロップのサングラスを取り出した。慣れた手付きで弄びながら、ルイを顎でしゃくった。




「行くぞ」

「えっ?」

「お前が此処にいて出来ることあるのか?」




 いや、確かに無いけど。

 ルイが反論するより早く、侑の腕が伸びる。侑は荷物でも運ぶようにルイの首根っこを掴んで、殆ど引き摺る形で扉へ歩き出す。


 ルイを引き摺りながら、侑は扉の前で立ち止まった。

 ヴィラの中、一人残された湊が軽やかに手を振っている。侑が僅かに目を眇める。




「良い子で待ってろ」

「もちろんさ」




 湊が答えると、侑が鼻を鳴らした。

 扉を開けた時、焼け付くような陽光が流れ込んだ。南国特有の黄色い日差しは、眩しさ以上に痛みを伴う。


 ルイは一瞬、たじろいだ。

 けれど、侑の背中は、躊躇いもなく踏み出していく。




「相変わらず、クソ暑ィな」




 そんなことをぽつりと言って、侑は後ろ手に扉を閉めた。粗雑な物言いとは裏腹にその手付きは優しい。まるで、宝箱を封じるかのように。


 侑が手の平で日差しを遮りながら歩き出す。

 痛みを伴う光に目を細めながら、ルイはその背を追った。最後に一度、振り向いた。昨夜の嵐を乗り越えたヴィラは、まるで深い眠りに落ちた獣のように、静かに佇んでいた。


 目の端がまた、じんと熱い気がした。

 夢の中の涙は、まだ癒えていない。

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