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僕等の代理戦争  作者: 宝積 佐知
1.悪党ほどよく喋る
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⑴バーンフェイスの青年

 黄熟した太陽が降り注ぐ。海はエメラルドグリーンに輝き、白い砂浜は無防備に広がるように、水平線は連なって伸びていく。


 太平洋の公海上に位置するマグ・メル島。

 この美しい島は、ほんの数年前までは世界の何処にも記されていなかった。絶好のリゾート地であるにも関わらず、最近まで開発の手が入らなかったことには理由がある。


 この島はかつて、ある犯罪組織の拠点だった。

 違法な取引や犯罪の温床となり、今でも地面を検査すれば麻薬成分が検出される。また、古い建造物や洞窟には廃墟となった研究施設や密輸の痕跡が残る。この島に広がるのは、かつて法も道徳も及ばなかった犯罪の爪痕だ。


 そこでは人の価値は売値で決まり、死体は景色の一部だった。銃弾より安い人生が転がり、裏切りは日常に溶け込む。善意は通貨の価値を持たず、暴力だけが支配の全てだった。


 だが、そんな秩序ですら長くは続かなかった。

 犯罪組織が解体すると、それに依存していた島の経済はドミノ倒しのように一気に崩壊した。現在はエナスタ共和国と名を変え、他国からの援助や移民を受けながら新たな社会を築こうとしている。


 エナスタ共和国は数年前まで地図上に存在しなかった。だが今や、目まぐるしい発展を遂げ、世界的に注目するハイテクノロジー社会になりつつある。国家運営にAIを導入した、人類未踏の実験場として。


 エナスタ共和国は行政、経済活動の全てをAIが管理し、市民は政府から支給されたデバイスを身分証として使用している。AIによる統制は人種間の軋轢や犯罪を抑え、この島を世界で最も平和な楽園へと変えた。


 AIによる完璧な管理が行き届いたハイエリアは、まさにこの世の楽園だ。硝子張りの高層ビル群が並び、空中庭園が美しく彩る。モノレールが静かに街を巡り、最新の情報網が凡ゆる利便性を提供する。この場所は喧騒を離れたバカンスや悠々自適な老後の生活に最適な環境だった。


 楽園に住むあなたは、果たして楽園の外を見ようとするだろうか?


 富裕層の暮らすハイエリアから離れたロウエリアはスラム街と化している。壁や地面には絶え間なくプロジェクション広告が流れ続け、廃材やスクラップで作られたバラックが犇き合っていた。機械音と広告音声が響いて、人の声は掻き消される。雑音の牢獄、それがロウエリアである。


 また、国家が急成長する裏で、未だに無国籍の移民や、AI管理の対象外とされる透明な市民がいる。管理から外れた者は医療も受けられず、職にも就けず、社会から見えない存在となる。AIは彼等を文字通り認識しない。センサーは反応せず、自動ドアは開かない。彼等は社会の影として、生きていることすら証明できない。


 持つ者と持たざる者の格差は明確で、格差を超えて、むしろ犯罪組織に怯えていた時代の方が良かったと感じる者もいる。


 けれど、多くの移民には帰るべき故郷がない。透明な彼等は社会に参加できない。彼等は与えられるものが独裁政権であれディストピアであれ、受け入れざるを得ない。


 しかし、この国には秩序があり、安全がある。故郷を失った人々にとって、此処にはひとときの安息がある。


 何故AIは彼等を切り捨てないのだろうか。

 争いのないこの島は本当に楽園なのだろうか。

 もしもあなたがハイエリアに住んでいたとして、ロウエリアの人々のために心を砕き、胸を痛めることができるだろうか。


 あなたの目は、楽園の外に広がる現実を直視できるだろうか。


 ハイエリアとロウエリア。

 あなたの心は、今、どちらに住んでいる?







 1.悪党ほどよく喋る

 ⑴火傷顔(バーンフェイス)の青年







 紺碧の水平線に、真鍮のような夕陽が沈む。

 波一つ立たない穏やかな水面が、オレンジ色のグラデーションに染まっていく。まるでこの世の終わりを思わせる程に残酷に美しかった。


 ルイ・マヌエル・シルバは、ポケットに押し込んでいたデバイスを手に取った。雄大な自然に見惚れそうな自分を叱咤しつつ、微調整をしながら水平線にカメラを向ける。海と空の境界線が曖昧になる刹那、ルイはシャッターを切った。


 小さなディスプレイに映る、赤々とした夕陽の残光。海の向こうから夜がやって来る。シャッターが切り取ったのは、人間の介入しない、美しさだけの世界。ルイは満足して、デバイスをポケットへ押し込んだ。


 ルイはポルトガル出身のフリーライターだった。少なくとも、インターネット上の狭いコミュニティでは、その肩書きを持っていた。


 高級化の進むポルトガルのリスボン。その中心地から数キロ離れたセイス・デ・マイオは、警察も足を踏み入れない、行政も機能しない無法地帯だった。住民の殆どは他国からの移民で、街は人種の坩堝と呼ぶに相応しかった。


 ルイは、小麦色の肌をした少年だった。首筋に掛かるくらいの癖のある黒髪に、ヘーゼルブラウンの瞳。生まれ付き体格に恵まれ、同世代の子供たちの中では力も強かった。そんなルイは十人兄弟の長男として生まれ、極貧の生活を支えるために、大人たち同様に働いて過ごしていた。


 ルイの容姿は整っていた。だから、大人たちは、ルイが手に入れるだろう将来の利益と帳尻を合わせるといって、顔面に油を引っ掛けた。右半面に広がる火傷の痕は、彼が火傷顔(バーンフェイス)と呼ばれる所以だった。ルイは火傷に苦しみながら、大人たちの醜い物差しに心底嫌気が差していた。


 そんな頃、故郷で政治的な混乱と戦争が勃発した。

 ルイは疑問を抱く暇もなく、兄弟や仲間と共に戦場の第一線へ放り込まれた。少年兵として銃を持たされ、死と隣り合わせの状況が続いた。そして、ある日足元でIED(即席爆発装置)が炸裂し、鼓膜が破れるほどの爆音と閃光に包まれた。気付くと、周りには誰もいなかった。カーキ色の簡易テントの下で、十五歳のルイは包帯に巻かれていた。


 動乱に染まった故郷から逃げ出し、密航を重ねながら旅を続けた。母国の言語すら曖昧になり、ついにはエナスタ共和国に辿り着いた。ミックスルーツの子供たちの中に紛れ込み、過去を語ることなく新たな生活を始めた。透明でいることが心地良いものだと、初めて知った。


 粗末なバラックに居付き、命を繋ぐために仕事を選ばず過ごしていた頃、政府支給のデバイスの偽物を横流ししてもらった。限りなく正規品に近い端末は、ルイが初めて手に入れた自分だけの所有物だった。導かれるようにインターネットに繋がり、膨大な情報に溢れたSNSへ流れ込み、夢中でサーフィンをしていた。


 単調な毎日を送っていたルイは、あるユーザーの投稿する写真を眺めることが楽しみだった。そのユーザーは世界中を旅しながら、フォロワーを必要とせず匿名で各地の写真を投稿し続けた。特に、蟻の景色と呼ばれる足元から撮られた写真の数々は、ルイの心を癒し、未知の世界へ連れ出してくれた。


 そのユーザーの名前が、故郷で失った幼い弟と同じ名前だったことも親しみを覚えた理由の一つだった。記憶の中で成長を止めた弟が、夢の中で蘇ったような幸福な感覚だった。ルイが衝動的に送ったメッセージに、彼が返事をする。通知を見た時の胸の高鳴りと高揚は、生涯忘れないだろう。


 ルイは震える指で文字を打った。自分のことを知ってほしかった。一度送信を躊躇ったが、鼓動の速さに押されてボタンを押した。返事を待つ間、戦場に送り込まれた時のような緊張感に襲われた。彼は端的にこう言った。


 “You’re a great person, you know?”


 君は偉大な人さ。その言葉が、胸の奥で何かを溶かしていった。まるで、凍える夜で初めて触れた暖炉のように。優しくて、無条件で、ただそこにある温もり。ルイはあの瞬間、世界に受け入れられた気がした。すると、涙が出そうなくらい素直に胸に響いた。それから、ルイは彼の熱烈なファンになった。


 ルイは彼の真似をして写真を投稿し始めた。美しい風景を探して写真を撮りながらロウエリアでの生活を語るうちに、ルイはフリーライターとしての仕事を獲得するようになった。彼とは細々とした交流が続いたが、ある写真を見た時、ルイは交流を絶った。


 金色の陽光が降り注ぎ、凪いだ海面は鱗のように眩く煌めく。白く輝くプライベートビーチと、花で彩られた街の区画は遥か下方に小さく映る。まるで地面を這う蟻ではなく、天空に羽搏く鳥のようだ。それはハイエリアに聳え立つ高層ビルから見下ろす眺めだった。


 その瞬間、ルイの世界は音もなく崩れた。手を伸ばせば届くはずだった。そう信じていた。

 だが、あの景色を見た瞬間、自分と彼の間に横たわる距離が、残酷なまでに明確になった。ルイはただ立ち尽くし、冷えた現実を受け入れるしかなかった。


 何に絶望したのか——いや、本当は分かっていた。

 彼がいる場所と、自分がいる場所。その距離が埋まらないことを知った瞬間、心の中で何かが音を立てて崩れた。


 手を伸ばせば届くと思っていたものが、蜃気楼のように遠去かっていった。自分と彼は、交わることのない二本の線に過ぎなかったという事実に、ルイはただ絶望した。あの時湧き上がった悲しみは、自分がロウエリアの透明市民であることを、ルイに突き付けた。


 その日から、ルイは彼を追い掛けなくなった。

 救われなかった過去を引き摺りながら、ルイは二十二歳の誕生日を迎えた。


 故郷を旅立ってから、もうすぐ七年が経とうとしていた。

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