第7話
息を潜める、という言葉のとおりだ。レジーネは自分の今の状態を俯瞰してそう思考した。つい先程の爆破行為によって派手に倒壊するまで、きっと立派な構造物としてその役目を果たしていた建材たちが、今やその空間を埋め尽くさんばかりの粉塵となって舞い、瓦礫の山となって斃れている。もしも、このあからさまに不健康な灰煙を吸い込んでしまい、もしも、そこで噎せ込んでしまうようなことがあれば。あの女は音を頼りにして一目散に殺しに来るだろう。
レジーネ・レフラーは、口元に宛がった外套の端をぎっと握りしめ、思考し続ける。
たかが倉庫を粉々に砕いた程度の質量攻撃で、あの梅雨守氷雨なる殺し屋を殺せていると仮定するのは、少々楽観的すぎるだろう。足止め程度はできているだろうが、それさえも最早、彼女の息の根を止める方法を見つけるまでの時間稼ぎに過ぎないのだから。
少し前。
棄てられ寂れ廃れ果てた倉庫の中で、二人の殺し屋が、互いの命を狙って戦っていた。
生半可な傷では死ねない身体の刀使い、梅雨守氷雨。
彼女を抹殺する依頼を受けた、歩く火薬庫レジーネ・レフラー。
互いが互いの技巧をいなしあう応酬ののち、レジーネはその舞台であった倉庫の支柱を――全て爆破した。自重を支えることのできなくなった構造物の末路は実に明白だ。崩れ、落ちる。
屋根だったもの、壁だったもの、梁だったもの、柵だったもの、床だったもの。それらが本来の形状が分からないほどに砕かれ、重力のままに降り注ぐ。たったひとりの人間を殺害するという目的にはあまりにも不釣り合いなスケールの暴力が、降り注いだ。そしてそれは、倉庫の中にいたすべての人間を無差別にすり潰すはずだった。しかしその大崩落の起爆者であるレジーネは、今こうして五体満足のままで次の攻撃の機会を伺っている。
(……《愚者の外套》)
魔術と呼ばれるテクノロジーがある。それは様々な文脈に沿った意味を組み合わせることで、自然法則の外から因果を紡ぐ技術。
レジーネの纏う外套のその内側には、文字や図系の組み合わさった複雑な文様が刻み込まれている。そのパターンには《愚者の外套》という名称がついており、初歩的な魔術として魔術師の間では特に有名なものだ。魔術研究の黎明期、魔術師たちが不本意な魔術の起動による被害を減らすために開発された魔術。
その効果はシンプルでありながらも強力だ――それは、術者の行動に由来する、ありとあらゆる物理的な被害を防ぐ。
(私のような爆弾魔にはお誂え向きというものだ。とはいえ、この規模の攻撃さえも防いでしまうのには驚いたが)
レジーネ・レフラーは魔術師ではない。彼女に魔術に関する知識はほとんど無いが、その外套は彼女を彼女自身の攻撃――すなわち倉庫自体の大崩落から守りきった。これは《愚者の外套》が自動魔術としてカテゴライズされる魔術の一種であり、この世界に存在するだけで機能するという性質に由来する。もっとも、この魔術自体は、現役の魔術師に言わせれば時代遅れの代物であり、現代の魔術戦においては最早役に立たないとさえ言われている。意味集積度の低さ、文脈記述式の固着、法則独立性の不安定さ……欠点を挙げればキリがないが、しかしそのどれもがレジーネには関係のない欠点だった。レジーネ・レフラーが、「決して自爆しない爆弾魔」として存在できる。その一点において、彼女はこの古びた外套をいたく気に入っていた。
(煙が晴れる前に先手を取りたいところだが、それは向こうも同じだろうな)
レジーネがそう思考しているとき、からり、と、小さな瓦礫の転がる音が聞こえてきた。口角をにやりと歪めたレジーネは、懐から取り出した破片手榴弾のピンを抜くと迷わずその方向へと投擲する。
(短気な女め。いや、少しでも音を立てずに待てたことを褒めてやるべきか――、っ!?)
彼女の放った手榴弾が起爆するよりも早く、レジーネの背筋を貫くかのような明確な殺気が襲った。
何かが来る。レジーネはその場から飛び退くと低く屈み込んだ。
ぴ、と何かが彼女の頬を掠め、少し遅れて赤い血の線が滲む。
「……は、ハハッ。ひひ、よーやく声出して笑えるぜ。アタシ一人殺そうってだけでここまでするか? フツー」
少しづつ、周囲を満たしていた土煙が晴れてきた。
声のする方を見れば、そこにはぼろぼろのセーラー服を纏った氷雨が立っている。しかしその手には先程まで握っていた日本刀は存在しない。丸腰だ。
切り裂かれた頬を拭いながら、レジーネが笑う。先程の物音は、恐らく辺りに落ちていた瓦礫の破片を投げでもして立てた囮なのだろう。短気なのは自分の方だったようだとレジーネは自嘲すると、自身の背後にちらりと視線をやりながら続けた。
「そちらこそ。大事な得物を手放してしまうとは大胆なことだな。それとも、徒手空拳の心得でもあるのか?」
レジーネの背後、瓦礫の山に突き刺さるようにしてその刀は在った。囮に釣られたレジーネの気配を察知した氷雨が、彼女を射殺すつもりで放った刀だ。
「まさか。アタシみたいな可憐な乙女がステゴロの喧嘩なんか野蛮だぜ」
いまだ塞がらずに蠢く傷口から、どくどくと血が流れ出している。それは氷雨の指先から滴り落ち、しかし地面に染み込んでいくことなく、ある形を形成していく。日本刀だ。
「《心象刀剣》。アタシを〝超人〟にしなすったクソ野郎の置き土産。心の形を刃物の形へ投射して、血を流し込んで鋳る魔術。人を斬ることしかアタマにないアタシみてーなオンナにゃピッタリさ」
その身体構造自体に対し、直接魔術を刻み込まれた存在――〝超人〟である氷雨は、肉体再生の魔術だけでなく、心と血を刃に変える魔術までもがその肉体に刻み込まれていた。
本来、異なる魔術をひとつの領域に同居させるためには度重なる調整が必要になる。氷雨の場合も例に漏れず、何度も改造のための外科的な処置を受けている。
赤く滴る血液が刀の形を満たすと、ぎらりと煌めいて鋼色に変わる。氷雨はようやく日本刀としての実体を持ったそれを握りしめ、重さを確かめるようにぶんぶんと振る。
「……成程。換えはいくらでも利くわけだ」
「血さえ足りてりゃな。先にアタシが失血死なんざしてみろ、もう人が斬れなくなっちまう」
「それは剣呑な話だ。代わりに私が今すぐ爆死させてやる」
「きひ、ひひ、ひっははは! そーそーそーだよ、そーこなくっちゃなァ!」
氷雨は嬉しそうに哄笑すると、レジーネの方へと駆け出した。もともと両者の間にさほど距離はない。距離が詰まるのは一瞬だった。
レジーネはそれを見るやいなや破片手榴弾のピンを抜き、自分と氷雨の間へそれを放り投げる。ちょうど二者が爆風の範囲内に収まるだろう。自殺行為だ――レジーネが《愚者の外套》を身に纏っていなかったならば。
魔術《愚者の外套》は、レジーネの投擲する手榴弾による被害を、彼女による攻撃として解釈し、それから彼女自身を保護するだろう。対して射程内に収められた氷雨は、破片手榴弾の撒き散らす鋭い破片で全身をずたずたにされるはずだ。
自身を巻き込みながらも一方的な爆破を行うこの攻撃は、レジーネが《愚者の外套》を手にして以来の得意技となっていた。
「死なば諸共のつもりかよ、下らねえ!」
叫んだ氷雨は、その刃の射程にいまだレジーネを捉えていないにも関わらず、大きく横薙ぎの一閃を放った。やぶれかぶれか、と、レジーネは内心嘲笑う。
そして次の瞬間。
レジーネの放った手榴弾は、爆発――しなかった。
「――っ、馬鹿な! 不発だと!? そんな筈がある訳……!」
レジーネにとって爆発物は重要な得物だ。彼女の殺し屋としてのアイコンでもあるそれについて、一日もメンテナンスを欠かしたことはない。無論、今日というこの日においても。では、なぜ。
「は、マジで上手くいくとは思わなかったぜ。アブなそーなトコ目掛けて斬りゃどーにかなるかと思ってよー――」
次の瞬間、氷雨はもはやレジーネの眼前にいた。
その背後で、からからと軽い音がふたつ響く。見れば、頭のあたりで両断された手榴弾の上下が、床に転がっていた。
「き、貴様、まさか、信管を――」
「あァ、そーいう名前なんだっけ? 中で導火線みたいになってるヤツな。明ちゃんに教わっといて良かったぜ、全くよォ」
憔悴しながらレジーネは次の爆発物を探すが、目の前に立つ氷雨が彼女を蹴り飛ばしてそれを制する。
レジーネのそばに立った氷雨は、彼女を見下ろしながら告げる。
「二階級特進だぜ、軍服女」
振り上げられた日本刀の切先が、レジーネの軍服を裂き、心臓までもを貫いた。




