第6話
砂塵が舞う。
戦場と化していた廃工場は完全に倒壊し、周囲の建造物をも巻き込む勢いで崩れ落ちていた。
ひとつの建造物さえも崩壊させてしまうような爆発、その衝撃は大きく、一キロ程度先でも容易に観測ができた。
「随分派手にやるッスね、レジーネの姉御は」
あるビルの屋上。寝そべるようにしてスナイパーライフルを構える少女がひとり。
ミシェル・ヴァルブルグ。
狙撃手だ。
「つか、援護のために待機していろとか言った癖に、これじゃあ何にも見えないッスよ」
のぞき込んでいたスコープから顔を離し、立ち上る砂煙を忌々しげに睨み付ける。
「大体、ウチみたいなシロウトに対して観測手もナシに狙撃しろってのが大概な話ッス。こんな無防備な状態でずっと待機してろだなんて、別の追手が来たら――」
「別の追手が来たら――どうなんです?」
「――ッ!」
背後から声がした。
退屈そうな低いトーン、隠す気のない足音。
もう一人の標的――無色明だ。
彼女が近寄ってくるのと同時、ミシェルは自分の身体が動かないことに気が付いた。動かないというより、動けない。身体を動かそうとすれば、なにか鋭く細い刃のようなものがじわりと肌に食い込む感触がする。
「おしまいだってことッスよ。これがご自慢の〝糸〟ってヤツッスか?」
「自慢も何も、これしか取り柄がないもので」
声の主の方へ振り向くことすら出来ず、ミシェルはまるでその場に縫い止められているようだと感じた。
ぎり、と全身が一段締め上げられる。
見れば――見ることが叶ったなら、明がその五指を使って〝糸〟を手繰っているのが見えただろう。
「こうやって、今あなたの命は私の手の内にあります」
「はは……、まだ死にたくは、ないッスね」
「死にたくない? それなら、殺し屋なんて辞めてしまえばよかったんですよ」
ぎりり、ともう一段。場所によってはぷつぷつと皮膚が裂かれ、赤い線をその体表に走らせている。
「どうッスかね。本当に死んじゃうのは、アンタの方かも、知れないッスよ……、ぐ、うう、あアアァッ!」
〝糸〟に裂かれ、獣のような咆哮を上げながら、ミシェルは無理矢理左腕を動かした。そうやって手にしたのは、腰元に携帯していたコンバットナイフだ。拘束されているのならば、それを断ち切ればいい。
ボロボロになった左腕を振り回し、ミシェルは全身の拘束を解いた。それでもその過程でいくらか傷を負ったが、命に別状はないようだった。
「無用な無茶をしますね。それで、狙撃手にこの距離で何ができると?」
その様子を見ていた明は呆れたように息を吐き、再び〝糸〟を手繰る。
血を流し、ふらふらと立ち上がったミシェルは、明の言葉を意にも介さずに、スナイパーライフルを構え直した。
構えを、直した。
つまり、それは銃を構える立ち姿ではなく、槍や矛を扱うかのように、構えたのだ。
よく目を凝らすと、そのスナイパーライフルには確かに奇妙な点がいくつか存在していた。通常の狙撃銃では有り得ない箇所にある持ち手、奇妙な位置に存在する引き金、そして見ただけではわからないが、頑丈ながら元の形状に自ずと戻ろうとするその特殊な材質も、それらは全てこの為にあったのだ。
「可愛いオモチャですね。そんなもので殺されるような私ではありませんが」
「オモチャかどうかは、すぐに分かるッスよ」
言うが早いか、ミシェルはライフルを突き出しながら明のもとへと駆け出した。
がしゃり、とミシェルはライフルに備え付けられていたレバーを引く。それはライフル先端の形状を変形させ、いわゆる銃剣のような形へと変化した。
突撃。
そのリーチを生かした刺突に対して、明はただ身を躱すだけだ。致死知覚によって、明にはミシェルの攻撃先が漠然と視えている。
致死知覚にも特性があり、例えば氷雨のそれは瞬間的に鋭い殺気を察知することに長ける。仮に銃撃の予備動作を見たとするならば、彼女にはその弾道が線のように視えていることだろう。
一方で、明の致死知覚は範囲と探知に長けており、部屋中に仕掛けられた爆弾の数を正確に数え上げるようなことが可能だ。しかし、氷雨のように瞬間的な殺意の認知には長けず、銃撃に対して正確に対処するといった離れ業は彼女には難しい。彼女には、殺意がゆっくりと変化する靄の濃淡に視えているからだ。
だが、ミシェルの槍銃による刺突程度の速度であれば、彼女の致死知覚でもなんとか対応が可能な範囲だった。濃い靄を避けるように最小限の動きで身を躱し続ける、それだけで彼女の攻撃は当たらない。
「これだから〝致死知覚〟持ちの連中は相手にしたくないんスよね。矛先が視えてちゃあ、当たるものも当たらないッス」
だから、とミシェルは引き金に手をかける。
瞬間、明の視界がぞわりと殺意の靄で覆われる。
何かが来る。
「ッ――!」
銃声。
音速を遙かに上回る初速で放たれた弾丸が、明の長く荒れた髪を散らした。
「ふむ、これならなんとか当たりそうッスね」
スナイパーライフル本来の用途である射撃を、近接攻撃の距離を伸ばすために用いたのだ。
刺突の間合いを狂わせる、実質数百メートルの刃先。
それがミシェルの愛銃――あるいは愛槍の真価であった。
「狙撃手見習いだなんて嘘っぱちじゃないですか、こんなのはただの槍術使いでしょう」
「狙撃手としては新人に違いないッスよ、元々はこっちが本業だった、それだけッス」
ミシェルはレバーを引き、空になった薬莢を排出する。
そうして槍銃を身軽にくるくると回転させると、その銃口にして刃先を明の方へと突きつけた。
「とにかく、その首は貰い受けるッスよ」
それだけ言うと、ミシェルは再び攻勢に入る。
刺突や射撃だけでなく、〝糸〟の展開を警戒するように大きく薙ぎ払うような動きも見て取れる。
それらをなんとかいなしながら、明は思考する。
(厄介ですね)
〝糸〟の性質上、斬撃を用いる相手やリーチの長い相手には相性が悪い。その点で言えば、今のミシェルは明の天敵と言えるだろう。
(あの左腕、もう満足に使えてはいないはず。あちら側に回り込めばいくらか隙を作ることができる――)
明の武器は〝糸〟だけではない。太腿のホルダーにしまい込んであった投げナイフを何本か取り出しながら、ミシェルの左手側へと大きく回るようにして明は跳躍した。
その動きに勘付いたミシェルは、大きく槍を振り回しながら〝糸〟が仕掛けられることに備える。
(これが当たれば僥倖、そうでなくとも隙が生まれれば)
投擲。明は手にしていた投げナイフを不規則な間隔で投げつけた。
「ちっ、飛び道具ッスか……!」
ミシェルは面倒そうに槍銃を振り回し、飛来する刃の悉くを弾き落とした。
その間に明は、自分とミシェルの間辺りの地面へと手をかざし、〝糸〟を展開する。その先端は強い粘性を帯びており、地面にぴしゃりと張り付いた。そして明は強く地面を蹴り飛ばし、〝糸〟の接点を軸として大きく迂回するような軌道でミシェルまで距離を詰める。
それはミシェルが大きくダメージを負っている左腕の側から。
ホルダーから取り出した投げナイフを、今度は投擲ではなく刺突のために握り込む。
「死んでもらいます」
「誰がこんなところで……、ッ!」
ミシェルは槍銃の持ち手側を振るうことでなんとか明の刺殺を食い止めた。だが、もはや槍のリーチを活かせる距離ではない。間合いに、入り込まれた。
「割に合わない仕事を承けましたね。代償は高く付きますよ」
ミシェルは地面を蹴って距離を取ろうとする。しかしそれは不可能で、なぜなら彼女の両足は既に粘性の高い〝糸〟が巻き付いていたからだ。想定外の障害に、ミシェルはその場でバランスを崩して倒れ込む。
「ぁ、あぁ――」
明は即座にミシェルの右手首を踏み潰し、手にしていたスナイパーライフルを蹴り飛ばす。
ミシェルはボロボロになった左腕でコンバットナイフを引き抜こうとするが、それさえも全身に巻き付いた〝糸〟に阻まれて叶わない。
明の赤黒い瞳がミシェルの顔を冷たく覗き込む。
「終わりです、これで」
ぐ、と明は拳を握る。
ただそれだけの動作で、ミシェルの首に巻き付いた〝糸〟は絞め上げられ、彼女を絶命へと追いやった。