第5話
レジーネ・レフラーという女は、爆弾魔である。
彼女がいかほどの爆発物を携行しているかは誰も知らないが、彼女が爆発物を持ち歩かない日がないことは、彼女を知る誰もが認知している。その得物の都合、彼女に依頼を任せる際は、掃除屋の代金が高くつく事を覚悟する必要があることも。気分次第で無用な爆破を行う彼女は、ハッキリ言って殺し屋としては三流だろう。しかしながら、派手な見せしめを行うための仕事人としては、高く評価されている。
「さて」
そんなレジーネは、ネットワーク上に放流されていたとある座標に立っていた。都市郊外の廃工場跡だ。かつては全国有数の工業地帯として活動していたこの地域も、〝事変〟の影響によってか、あるいは〝機関〟の手によってか、まるで人気のないゴーストタウンと化していた。
辺りは静まりかえっている。
しかし、人の気配が無い――とも言えない。
「居るんだろう」
レジーネはかつこつと靴音を響かせながら、廃工場の構内を進んでいく。
答えはない。
目を細め、周囲への警戒を厳かにしながら彼女は歩みを進める。
「こんな所を住まいにしているとは思えないが。つまるところ、我々は誘き出されたということかな?」
かつん。足音が止まる。
「我々には諸君らのような致死知覚は備わっていないが、殺気というものはなんとなく分かるものだよ。こんな仕事をしていれば――ね」
言いながら、レジーネは懐から取り出した手榴弾のピンを抜く。破片手榴弾。その名前の通り、生じた爆風によって破片を撒き散らす致死性の爆弾だ。
彼女は手のひらに収まっていたそれを、明後日の方向に放り投げた。
小気味良い音と共に、手榴弾はもはや使われていない機材たちの間をバウンドする。
「チッ――背中に目でも付いてんのかよ!」
そんな罵声と共に、物陰から一人の少女が飛び出してきた。梅雨守氷雨という名の少女だ。抜き身の日本刀を手にしており、しかしそれを収める鞘はない。
彼女が物陰から飛び出して数秒もしないうちに、手榴弾は起爆した。
爆ぜる音。
床面にネジ止めされていたはずの重機械類が、爆風によって容易く吹き飛ばされる。物陰から転がり出てきた氷雨は、また別の機材の陰に身を隠し、破片の被害を受けないようにしていた。
「どう視えているのか、興味は尽きないが……、手短に済まそう。死んでくれ給え」
レジーネは振り向き、再び手榴弾を投擲する。次は物陰にではなく、直接氷雨に向かってだ。
「誰がそう簡単に――らァッ!」
飛来する手榴弾に対し、氷雨がとった行動はシンプルだった。
打ち返す。
刀の背を的確に手榴弾に直撃させ、その軌道をあらぬ方向へと変えてしまったのだ。
次いで、爆音。
一介の少女の身から生じたとは思えない剛力で打ち返された手榴弾は、工場の天井近くまで跳ね飛ばされて起爆した。
鉄板で出来ているはずの天井は大きく歪み、勢いを失った破片たちがぱらぱらと降る。
「くく、随分な曲芸だが、それもいつまで続くかな」
「言ってな! テメェがくたばるまで何度でもお見せしてやらぁ!」
ふん、とレジーネは鼻で笑い、その場から駆けだした。氷雨もそれを追う形で走り出す。
レジーネは逃亡の道すがら、土産とばかりに手榴弾を置き去りにして走る。
「随分物騒な追いかけっこだなァおい!」
後を追う氷雨は、その爆風に巻き込まれないよう機械類を盾にするようなルートで走る。
「そういえば、相方君は不在のようだが、愛想を尽かされたのかね?」
「テメェなんざアタシひとりで十分だってコトだよ!」
「ふ、侮られたものだ。それではその選択を後悔させてやるとしよう」
安全ピンが抜かれ、また手榴弾が投擲される。
今度は、空中に。
背の低い機械類を見下ろすような高さで、それはくるくると舞う。
円筒状の形をして、いくつかの穴が開いたそれ。
閃光手榴弾、という。
「マズ――っ、」
氷雨は思わずそれを目で追い、しかし咄嗟に腕で目を隠す。だが、閃光手榴弾はその名前の通りに光を放つだけではない。
直後、閃光と共に劈く高音が走る。
「がッ、はッ、野郎……っ、」
あまりにも強烈な閃光は、抵抗むなしく氷雨の視界を奪った。更には、閃光手榴弾の発する強力な爆音によって三半規管は揺さぶられ、彼女の平衡感覚は一瞬にして崩れ去る。
地に伏し、悶え苦しむ氷雨の元に、かつこつと靴音が近寄ってくる。
「こんなものか? 梅雨守君――と、今は聞こえていないだろうが」
聴覚保護用のヘッドホンを外しながら、レジーネは無慈悲に歩み寄る。
「終いか」
遅発性の破片手榴弾が、ひとつ転がり落ちる。
平衡感覚を失い、翅を毟り取られた虫のようにもがく氷雨のそばで、それは運動を止めた。
レジーネはそれを見届けると踵を返し、
「さらばだ、裏切り者め」
と、小さく呟いた。
そして、爆音が響く。
「……、驚いたな」
ぎゃり、と、日本刀を杖のようにしながら立ち上がる姿があった。
至近距離で浴びた爆風によって服はぼろぼろで、その下の肌も酷く醜く爛れている。飛び散った手榴弾の破片は肌に食い込み、どくどくと赤黒い血を垂れ流す。
だが、立ち上がる。
「何の魔術だ?」
「げほっ、げほっ――当たらずとも、遠からず……、こちとら〝超人〟でね」
「ふん、魔術製の改造人間か」
見れば、服の下の皮膚に刻まれた大きな傷口は、それ自体が生物であるかのように蠢き、塞がろうとしている。その過程自体に苦痛を伴うのか、氷雨は短く苦痛に喘ぐ。
「化け物め」
「お褒めいただき――恐悦至極……、ってな」
身体の至る所に突き刺さった破片を、氷雨は躊躇なく引き抜いていく。噴き出す血を気にかけることもなく。そしてその傷口もまた、自ずから塞がらんとして奇妙に蠢いていた。
「だが面白い。この程度では物足りないか」
レジーネは口角を上げると、再び氷雨に背を向けて走り出す。
全身ボロボロの氷雨も、その肉体の再生に伴って彼女を追いかけ始める。
「逃げて……、ばっかで、殺せると思うなよ――この、アタシを!」
死の追走劇が再び始まる。
レジーネは駆け、その背には手榴弾を投擲して駆ける。氷雨はそれを追い、爆風を避けながら距離を詰める。
廃工場内の追いかけっこが続き、氷雨が痺れを切らして跳び上がった。それは地形を無視したショートカット。眼下に見えたレジーネに、手にした日本刀の切っ先を向ける。
「終いにしてやらァ!」
「くくっ、私がただ君から逃げ回っていただけ、と思っているのなら、それは随分おめでたい話だ」
「ンだと……!?」
懐からレジーネが何かを取り出す。短いアンテナと、赤いスイッチの付いた小さな装置。リモート式の起爆装置だ。
レジーネの逃走ルート上には、遠隔起爆が可能な爆弾が設置されていた。
「終いにしてやる――だったか?」
起爆。
廃工場の骨格を支える大小様々な柱が、一斉に爆発した。
轟音。倒壊。砂煙。
人間ひとりに対して振るわれるにはあまりも過剰な破壊の波が、廃工場ひとつのスケールで襲いかかった。