第8話 俺の出番
ジルの言う神様の椅子は、野営場所からさほど離れていなかった。
「これが神様の椅子かぁ」
円形に開けた場所。
その中心に、3メートルほどの岩がある。
その岩の下方に、氷のような水晶のような、かたまりがあった。
たしかに、大きな椅子の形に見えなくもないが────
「なんでこれが、神様なの?」
もっと、祠とか、巨大な神木とか、そういうのかと思った。
「このあたりが昔戦場になったとき、神様の力を借りた一撃で敵を一掃したって言い伝えがある。ここはその戦いの中心となった場所」
待てよそれ一歩間違えたら心霊スポットじゃん。早く言ってよ。
神様って、兵士の幽霊とかじゃないだろうな……。
そわそわしだした俺よりも、いまはジルの方がしっかりと立っていた。
岩の切れ目から、無色で少し粘り気のある溶けた液体が、少しずつ地面に漏れ、滴りおちている。
「いけにえの方法は、簡単。このあふれてる液体を集めて飲むんだ」
「え、飲む?」
ドン引きなんだけど。
容器に入れてだされたら、水飴に見えないこともないけど。
漏れ出た液体の影響か、岩の周囲には、植物も生えていない。
その正体不明の液体が、少しずつ垂れて固まって、透明の椅子ができているのだ。
かたまりは、たとえば鍾乳石のように、時間をかけてできたもののようだった。
これ最初に食べようって言った人、すげぇな。
「え、昔の人たち、これ飲んでたの? 見るからにやばくない?」
「飲むっていうか、舐めるだけでも良い」と、ジルはそう言った。
「ほとんどの人は死なないし、なんなら体調が良くなる人もいたって伝説では」
「いや、たまに人死んでんじゃん」
「そう。やってることは運試しみたいだよね。無事だったら神様の加護がある、無事じゃなかったらいけにえとひきかえに村の加護が約束される」
「……ふぅん」
ずいぶんと都合の良い、人間がわの都合だなと思ったけど、口には出さない。
ジルが神様の椅子に近づいて、膝を折る。
目を閉じて手を組み、お祈りをはじめた。
俺はなんとなくまわりに気を配りながら、ジルの邪魔をしないように少し後ろで見ていた。
たまに死ぬ人はいるし、伝説レベルの信ぴょう性、っと。
なんだかな。
ジルが報われる未来が見えなくて、気が重い。
だからって、俺がどうこうできることでもない。
しかしどこの世界にもいるもんだな。なんでも食べてみちゃう人。
日本人だって、タコやウニやナマコを食べてきたんだもんな。
まぁその先人たちのおかげで、俺はウニという素晴らしい好物に出会えたわけで────
そうだ、ウニ。
この世界でも、探してみよう。もし似たような生物がいて、まだ食用にされていなかったら、おれがパイオニアとなろうじゃないか。
そんでいつか、ジルと、ジルのかぁちゃんにも食わせてやろう。
ジルを探す声が近づいてくる。
まぁ当たり前だよな。大人たちだってこの場所は知っているだろう。
ジルの事情も。
俺には子供がいないからわからないけれど、想像するに、ジルの母親は、いまごろ気が気じゃないのではないか。
「なぁ、そろそろ────」
『またきたのか、しょうこりもなく』
俺の声にかぶせるように、別の声がした。
「へ? いまの、ジルじゃないよな?」
女の声だった。口調に反してその声は少しあどけなく、少女らしいと言っても良いかもしれない。
「違う」
ジルは首を振る。「神様とは話せない」と、ジルは言っていた。これはイレギュラーな事態なのか。
『我にそんな力はないと、何度言ったらわかるのだ』
さぁっと、ジルの顔から血の気がひいた。
声の主の姿は見えない。その冷たい言い方にイラッとして、つい俺も尖った声を出してしまう。
「なぁ、あんたが神か?」
『違う。だが、一部の人間が勝手にそう呼ぶ』
「そうか」
事実はそうなのかもしれないが、いきなり子供の希望を打ち砕くのはあんまりだろう。
「でもさ、そう呼ばれたからには根拠があるんじゃないのか?」
『ふん』
どこか投げやりに、声は言う。
『血の流れが弱ったものに、我の一部を与えれば、少しばかり病が良くなった。それだけだ。あらゆる願いを叶える力を持っているわけではない。勝手に期待しておいて落胆されるのは、こっちだって気持ちの良いものではない』
「ムラノ」
「ああ」
俺とジルは目を合わせた。
「なぁ、それでいいんだよ! 試す価値はある!」
『そ、そうなのか』
俺たちの圧に、たじろいだ気配がする。
意外と押しに弱そうじゃね?
いけるぞ、これ。
『だっ、だが、タダではないぞ!』
急にがめつさを出し始めた。
いいさ。俺だって、何も差し出さずにクレクレ言う気はない。
『我に指図するのならば、まずお前たちが我の話を聞くべきであろう』
「そうだな。何か俺たちにできる事があるのか?」
迷うような沈黙の後、声は言った。
『連れ出してほしい。森の外が見てみたい。人のように旅をしたい』
「────ここから、出たい?」
『ああ』
「すまんが、俺たちにはお前の姿が見えない」
『この液体に宿った思念が、我だ。我に体はない。液体として誰かの体内に入ることでしか、我はこの場所を離れる術をもたん』
難しいこと言い出したぞ。
ジルが口を挟む。
「たとえば薬として、持ってったら良いってこと?」
姿は見えないけれど、はんっ。と、鼻で笑う気配がした。いちいち上からだな。
「そんな態度じゃ友達できないぞ」
あ、だからずっとひとりなの?
『ぐっ……貴様、人が気にしていることを』
「気にしてたんだ。それは悪かったな」
『ごほん。まぁいい。話を戻す。薬ではダメだ。薬として使えるのは、人が舐めるくらいの量だ。そんな微々たる量じゃ我は憑依できん』
「じゃあどのくらいだよ」
『まぁ────ざっとこのくらいか?』
液体が流れ落ちるのを止め、ぐぃぃんと空中に躍り出た。
その量、まさに────
「ジョッキビールの量じゃねーか。ドイツの」
『普通の人間は、この量に耐えられない。微量であれば薬にもなるが、本来の我の特性は生物にとっては毒だからな』
だろうな。
『覚悟もないお前たちには無理であろ? わかったら、大人しく帰れ』
口を開こうとしたジルを制して、一歩前に出る。
「────いいよ、俺がやる」
少し前から考えてはいたんだよ。
あのキノコだって、たぶん毒キノコだったんだ。
少し残っていた鍋の近くに、少し目を離した隙に、大きな鳥が死んでいた。
でもいま俺の体はなんともない。
その成功体験が、俺に自信をもたらした。
だから気が大きくなったんだな。
試してやろう、「りっぱないちょう」の真価を。って。
異世界で出会った非現実的な出来事に、だいぶアドレナリンが出ていたのかもしれない。
やめときゃよかった、って気づくのは、もう少し後の話。