第7話 いけにえになるんだ
「ま、迷子?」
俺はおそるおそる、棒を持った手を下ろす。
現れた子供は、十にも満たないように見えた。短い髪に布を帽子のように巻いている。キッと俺を睨むように見上げた。
泣いてるくせに。
「違う」
「家に帰れないのか?」
「おれはいけにえになるんだ」
「え? いけにえって、神様とかにささげるってことか?」
子供は片眉を上げ、怪訝そうな顔で俺を見た。
「そうだよ。それくらい、子供でも知ってるだろ」
あまりに想定外の答えだったから、この世界には子供が憧れる「いけにえ」っていうヒーローがいるのかもしれないと思って、一応聞いてみたんだよ。
「そうか」
いや、しっかりしろ、俺。そうかじゃねえ。
「そ、それは、親に言われたのか?」
「かぁちゃんはそんなこと言わない!」
「じゃあ、村とか町の奴ら?」
「みんなそんなこと言わない! ────言わないから、俺が行くんだ……でも、怖くて足が動かなくて」
そう言って、涙を隠すように俯いてしまう。
小さい肩が小刻みに震える。
強がっていても子供か。
うーん、しかし、話が見えん。
ていうか、俺が余計に泣かせたのか? これ……。
困ったぞ。今人生でいちばん困っているぞ。
俺、子供得意じゃないのよ。
そうこうしている間に、おおん、おおん、という音が近づいてきた。
よくよく聞くと、これ狼の遠吠えじゃないな。
大人の声だ。複数の。
たぶん────
「あれは、お前を探してるんじゃないのか?」
子供はまた、黙りこくって答えない。まぁつまりこの場合は認めたも同然だろう。
質問を変えよう。しゃがんで、子供に目線をあわせた。
「じゃあさ、なんで、いけにえが必要だと思った? 俺さ、この世界に来たばかりで、何もわかんないのよ。けっこう平和な世界だと思ってたからさ、いけにえって聞いてびっくりしてるのね。だから、事情をもうちょっと教えてくんない?」
すると、こくりと頷いた。なんだ、素直じゃん。
「かぁちゃんの病気が治らない。お医者も薬がないって言う。手のつくしようがないって。きっと、俺の村がいけにえをもう長いこと出してないからだ。だから神様が怒って、悪いことが起きるんだ。それに────昔は、いえにえとひきかえに薬をもらったって記録もある」
つまり、病気の母親のためにいてもたってもいられず暴走したのね。
「いけにえは、昔は出していたのか?」
「俺の生まれるよりずっと前は。前の前の村長が、やめさせたって聞いた」
「やめてから、そんなに悪いことがたくさん起こった?」
「大人たちは、関係ないって言う。ちゃんと感謝の気持ちを忘れず祈れば、いけにえがなくても大丈夫だって言ってる」
まぁ、そうだろうな。
「でも悪いことは起きる。こないだって、隣のホムじぃが死んじゃった」
うーん……。それは……。
「それで、次は自分の母親かもしれないと?」
こくり。
「じゃあ、神様にお祈りだけじゃなくて、いけにえをささげようと思った?」
こくり。
「そっか。でもさ、それでもし坊主がほんとに死んじゃったらさ、かぁちゃん自分のことより悲しむんじゃね?」
あ、黙秘。しまった。
俺、おまわりさんもカウンセラーも教師も向いてないな。
向いてないけど、気持ちはわかるよ。どうしようもないとわかってても、何かできないのかと足掻くきもちは。でもさ。
「なぁ、生贄って、つまりどうしたら良いのか教えてくれないか? 本当に死ぬの?」
「死ぬとはかぎらない」
あ、そうなの。ほっとしたわ。
「じゃあさ、せめて俺の事を連れて行かないか?」
「え、いいのか」
「村の人に見つかったら、怒られて連れ帰られるだけだろ? でもそうしたらさ、お前の気は済まないままだろ?」
「……ああ。あの、ありがとう」
「そのかわり、かぁちゃんや村の人たちには後からちゃんと謝れよ。俺も一緒に謝ってやるから。あ、あとあれよ、俺が悪い人間じゃないってちゃんと説明してな? 頼むぞ?」
「わかった!」
誘拐犯認定されたら、かなわんからな。
「あ、あとこれは約束しろ。どっちみち、いけにえ実行すんのは禁止。神様、見るだけな。ギリお祈りまで。神様なんだろ? いけにえじゃなくても、近くで祈るだけでもさ、効果あるかもしんないじゃん」
「わかった」
話がまとまった直後だけど、大事なことを聞いていなかった。
「あっ、ちなみに神様とかいうのは名ばかりの化け物とかじゃないよね? お兄さんに戦闘能力を期待しちゃダメよ?」
何せ、野犬にビビっているレベルだ。
「そういうんじゃない」
と、子供は首を振った。
「神様はどこかで見ている。話もできないし、姿も見せない。でも絶対に見ているから。いけにえは、神様の椅子の前で、自分の命をかけて挑戦するんだ」
「そっか。じゃあ、よろしくな。えっと────」
「ジル」
「ジル。俺は、ムラノ。よろしくな。────あ、なぁ、腹減ってない?」
ぐぅ。
答えたのはジルの腹の虫だった。
俺はポケットから干し肉を取り出した。
野犬が出たら、これを投げて逃げようとしていたやつ。
「やる。食べてから行こう」