第4話 たびだち(じゅんび)1
「では、身分証明カード等のご準備ができましたらまたお呼びいたしますので、カウンターまでお越しください」
「わかった。ありがとう」
おかわりをもらったお茶をすすりながら、感慨深い気持ちになる。
以前の俺だったら、異国で初めて口にする飲み物にビビって少しずつ飲んだ結果、二分の一の確率で腹を壊して便所にかけこんでいただろう。
授かったスキルの内容というかレベルはまだ未知数だけれど、お茶で腹を壊す事はないだろうという信頼感はすでにあまりあるくらい、ある。
それだけで、なんだか人生無双できそうな気になるのだから、我ながら単純なものだ。
「ムラノさん」
「はい」
ずいぶんと時間がかかったな。
カウンターに行くと、美女────セナさんがカードを渡してくれた。
金属のような薄いカードに、刻印の文字。
これだけでも、この世界の技術力の高さがうかがえる。
もしかしたら、俺のように渡ってきた、あちらの元技術者や研究者たちの汗や努力もそこには含まれているのかもしれなかった。
カードをじっくりと見る。
俺の名前と、いくつかの知らない単語、そして────
「りっぱないちょう」ここだけ、ひらがなそのままだ。
文句はないが、
スキル「剛腕」とかさ、「炎使い」とかさ、ファンタジーっぽいやつもついでにつけてくれてもよかったのに。とは思う。
なにより。
「なんで、ひらがな?」
名前とかは、自動翻訳のおかげなのか何なのか、読めるけれど、しかし文字は日本語ではない。
「りっぱないちょう」だけが懐かしいひらがなで、ある意味異様だ。
誰に問うでもない単純な疑問だったのだが、口からそのまま漏れていたらしい。
背後から、プッと聞こえた。
屁じゃなければ、バカにした笑い声だ。
振り返ると、昨日のカップルがいた。
ああ、いらない腐れ縁のかおりがする。
「幼稚園かよ」
と、男の方が言う。
知らねえよ。俺が決めたんじゃねぇし。いや、俺が選んだんだけどさ。
聞こえないフリで、あさっての方を向く。
聞こえていないフリは得意だ。
セナさんも淡々と、仕事を進めてくれる。
「あと────ご要望の地図と、ムラノさんのお部屋の場所と鍵です。住居は集合住宅の一室です。管理室に管理人さんがいらっしゃるので、一言お声かけをお願いします。お部屋の中に、生活に必要なものは最低限揃ってありますが、足りないものはこちらでご購入ください」
と、布袋をくれた。
中には初めて見る硬貨がたくさん。いくつか種類があるようだ。
ま、これの価値は買い物をしながら覚えるとしよう。
「ありがとう」とセナさんに礼を言い、カップルからはさっさと離れた。
ちょうど小柄なアテンド紳士が向こうから歩いてきたので、つかまえて問う。
「あの、俺とくに役立つスキルでもなさそうなんで、もう解放してもらっても良いですかね?」
「ああ、どうぞ。申し訳ありませんが、元の世界には戻せないのですが────」
「あっ、いいです、あらかた聞きました。資金ももらいました。大丈夫です」
本当のところ大丈夫かはわからないけど、まぁ「いちょうがつよい」なら、なんとかなるだろ。
腹を下すリスクの無い海外旅行みたいなもんだと思えば、楽しみですらある。
言葉も文字と同じく自動翻訳なのか、普通に通じているし。
これはスキルとか関係ないんだな。
健康な体、旅する楽しみ。
うん。悪くない。
◇
管理人のおじさんも、人の良さそうな人で安心した。
狭い部屋にはベッドと小さな一人用のテーブルセット。
小さいがキッチンもある。
穀物や野菜、調味料は揃っていた。
とりあえずすぐに食べられるものを探しに、街へ行くか。
「トイレは────ここか」
用を足して手を洗おうとして、俺はこの世界で初めて鏡を見た。
「え、誰?」
誰だこいつ。
いや、俺か。
髪型は大して変わらない短髪だけど、色も茶色くなってるし、何より顔面が違う。
超絶イケメンではないが、元の顔よりは少し整っているような気がしないでもない。
いやでもそうか、体は違うんだもんな。
納得しかけて、いやいやと首を振る。
でもだってさ、顔が違うだなんて、言ってなかったぞ、あの天使?!
『言ってませんでしたっけ?』
「おわっ」
また顔が変わった。と思ったら、鏡の中に天使が現れてた。
「びっくりさせんなよ」
『すみませ〜ん』
相変わらず、とびきりの美形のくせに、表情の煽りレベルがひどく高い。
「だから何でそんなテンションなん?」
『こっちの方が楽しいんで。僕が』
お前がかよ。
「まぁいいわ、仕方ないけどさ、次担当するやつにはちゃんとあらかじめ言っといてやれよ。びっくりするから」
『貴重なご意見、参考にさせていただきます』
「急に無機質になったな。botかよ。お前、俺たち異世界人の反応みて楽しんでねぇ?」
『…………』
「通信止まったフリすんな、瞬きしてるの見えてんだよ、ここっちは」
ツッコミを入れると、嬉しそうにニヤッと笑う。
変な天使。嫌いじゃないけど。
こっちにきてバカバカしくて笑ったの、初めてだしな。
『ま、困った時はこんなふうに鏡に話しかけてください。就業時間内でしたら対応します。できるだけ。たぶん』
「たぶんかい」