第3話 あたらしいじんせい
美女は長い黒髪をゆらして、頭を下げた。
「すみません、私も聞いたことのないスキル名で、ご説明も出来ず……」
「いえっ! いいんです、たぶん俺のせいです、お気になさらずっ!」
どう考えても、俺の最期の願いのせいだ。
「すみません。お優しいですね」
頭を上げて、俺に笑いかける美女。
もしこれがスパイ養成機関の人の心をつかむ演習だったら、文句なしの満点をとるであろう笑顔をくれた。
「ところで、いちょう……というのは、元の世界のお言葉ですか?」
「まぁ、そっすね。臓器というか」
「はぁ……。興味深いですね」
ぱちくりと、ゆっくり瞬きをする仕草が、はいもう可愛い。美人なのに可愛い。
なんでしたらお茶でもしながら異世界言語のレクチャーでもしましょうか、なんて妄想では考えてしまうけれど、実際に口にするコミュ力はない。
正確に言うと、じっちゃんばっちゃん相手ならできても、目の前の美女相手には絶対出来ない。
それに。
鉄壁のスルーを決め込んでいたのだが、後ろの奴らがずっと笑っている気配は察知している。
「よかったね、お兄さん。ぽんぽん強くて(笑)」
「それオギャ語だろ、マジやめたげて(笑)」
制服姿のギャルと、渋谷あたりにいそうな目の細い若者のカップル? だろうか。ずいぶんと仲良さげなテンポ感で俺をディスってくる。
振り返り、ははっ、と、乾いた笑いだけ返しておいた。相手するだけ時間の無駄だ。陰キャのトラブル回避スキルなめるなよ。
「ありがとう」
美女にそれだけ言って、場所を退く。
「お待たせしました。次の方、どうぞ」
空気を読んだ美女が、そう言ってギャルに目配せをする。
「はぁい」
「ええと、ムラノさん。後ほどお呼びしますので、ゆっくりとお過ごしください」
と、最初にアテンドしてくれた小柄なおじさんに言われて、俺はエントランスの片隅に置かれたソファ席に座った。
しかし、本日の結果は後日郵送しますね、みたいな言い方だな。あ、これは落ちたなと感じながら、座り心地の良いソファに身を預け、やることもないので、ギャルカップルの様子を眺める。
きゃあ、とテンション高く飛び上がるギャル。
もう俺の事など眼中になさそうだ。
続く彼氏の方も、おお、と楽しそうな声をあげている。
彼女らのスキルは、どうやら「当たり」だったようだ。
カウンターの後ろの扉から、スキンヘッドの偉そうな長身ダンディガイが出てきて、
「あなたと……あなたも。ぜひとも我が国に力をお貸しいただきたい。別室でお話をさせてください」
そう熱心に説いている。
「はぁい」「話は聞いてやるよ」
と、まんざらでもなさそうだ。
しばらくの放置プレイをくらったあと、美女がお茶を出してくれた。
うまい。
「えっと、俺は────」
「すみません、元の世界には戻せなくて」
そう、申し訳無さそうに言われた。
つまり、まぁ、ハズレだってことだよな。
「いや、いいんです。余命が伸びたようなものなので」
「余命……ですか?」
「いや、こっちの話です」
「それで、今後の事なのですが────」
美女は丁寧に説明してくれた。
この国としては、俺たちのような人間に対して、最低限の生活は保証するということ。
旅をしたり、他の国へ行きたいなら、この国で仮の国籍をつくり、それに基づき旅券を発行するということ。
腕に覚えがあるなら、ハンターやガードマンとして各協会に登録できるということ。
自分で事業や店を立ち上げる場合、最低でも3年は現地の会社や店に在籍して、こちらのルールを覚えないといけないこと。
「具体的な福祉サービスは?」
「はい。最低限の食料や住む場所の斡旋、当座の資金など、ご利用できるものをご案内させていただきます。無期限というわけではなく、こちらの世界に慣れるまでという制約付きではありますが────」
もちろん、構わない。
いきなり着の身着のまま異世界に放り出されるわけではないと聞いて、ほっとした。
がばっと、頭を下げて感謝の意を示す。
「ありがとう。助かります」
「いえ。仕事ですから。この街は比較的多様な文化が揃っていますので、暮らしやすいかと思います」
「なるほど。斡旋いただいた部屋を拠点として借りたまま、旅することも可能?」
「はい。在籍確認のため、半年に一度は顔を出していただかないといけませんが」
「うん、わかった。とりあえず準備が整い次第、旅に出ようと思います。せっかくの余生なんで。この世界で俺に何ができるのか、生きる術を探してみたいし」
「そうですか」
「あっ、地図をいただいてもいいかな? この街の中のものと、周辺の街、できれば近隣の国まで含めた広範囲のもの」
「もちろんです」
「それと────最初の目的地として、おすすめの街はありますか? あったら教えてほしい」
「でしたら、ロッタの街がおすすめです。食文化が豊かで、美味しいお店も多いので」
「へぇ。それは楽しみだ」
「せっかくですから、この世界のことも好きになっていただきたいですから」
そんな事を言って、俺の目をまっすぐに見てふわりと笑う。
もう好きです。あわや、口に出しそうになってしまった。