第20話 似たもの
視界の端から暗くなる。せっかく第二の人生が始まったというのに、まさかこんなところで意味もわからないまま死んでいくのか。
と思った、その時。
くんくん。
俺の意思とは関係なく、鼻が勝手に彼女の髪の匂いを嗅いだ。
(あっ、いい匂い。)
って、そうじゃない。なああ、何を勝手に人の鼻をひくつかせてくれてるんだ、ニールさんよ!
(俺が変態って思われるだろうが!)
(あぁ? 死ぬよりマシだろうが)
(ぐっ)
確かに、ニールの言う通りだ。おかげで、手放しかけた意識も戻った。それはそうだ。
不意打ちに驚いたセリーナさん(暫定)も、
「ひゃっ」
と声をあげて、俺の足元に尻餅をついていた。
つまり、右手は俺の胸からずるりと抜け、左手からは俺の首元が解放されたのだ。
そして、彼女の目は汚いものを見るように俺を見ている。やっぱりさぁ、なんかまずい展開じゃないの、これ?
「違う、いまのは俺じゃないっ!」
反射的に弁明してから、そういえば俺の体はいったいどうなってるんだと、手探りで胸の穴を探す。
どういう仕組みかはわからないけれど、いつもと変わらない筋肉の感触しかそこにはなく、ほっと息を吐く。
寝巻きにも穴はあいていない。
さっきのあれは幻視的なものなのだろうか。
「これは────、一石二鳥だな」
と、悪そうな俺の声が夜の客室に響く。
セリーナさん(暫定)の眉間に山ができた。
うん。ほんとやめて。誤解を招くからぁ!
「仕方ない」
彼女は苦虫を噛み潰したような顔で、声を絞り出す。話し方までギャルから武士みたいな高低差で変わっている。
「失敗したからには、お前の好きなように────」
ああもう! ほら、また侵入者が意味わからんこと言い出したじゃん。
「話が早いな」
早くねぇよ、ニール。待てよ。
「私はどうなっても良い。だがこの体はあいつのものだから────」
ああもうっ!
「だから俺を置いて盛り上がんなって! こんがらがってるだろ!」
セリーナさんの、叫ぶ俺を見る目がすっと細くなる。
「あ? さっきから何を────。……ああそうか、お前もか」
ひとり納得したように呟いたと思ったら、ぱっぱと衣服を払いながら立ち上がる。
「悪いが、本体と話させてくれるか?」
彼女の言う本体っていうのは、俺の中身のことか。そういう意味だよな。
「俺だよ。口悪いほうじゃなくて、平和主義のほう」
肩をすくめて俺が言うと、彼女はやっと少し口の横を歪めて笑った。
「平和主義か。これは、ありがたいな。最初から誠意を持って頼めばよかった」
「で、頼みって?」
常識の範囲でお願いね?
少し考えたあと、彼女はゆっくりと膝を折り、俺の前にかしずいた。
「頼む。この宿に住んでくれ」
え? 住むって……。それは定住しろってこと?
「うーん。それは無理かも」
もし仮の住まいとして割安で住めるなら、魅力的なお話ではあるけれどさー。
「ああ?」
こわっ!
目線の圧で圧死しそう。
セリーナさん(仮)さぁ、情緒の高低差どうなってるの。ねぇ。
断られると思ってなかったのかもしれないけどさ、短気すぎない?
彼女の圧に気押され本能的に後退りながら、俺は慌てて弁明する。
「断ったわけじゃないよ! 住むってさ、それはただの手段だろ? なぜ俺に住んで欲しいのか、その目的から教えてくれよ。俺はまだこの世界を知らなすぎるから、この先も他の街にだって旅をしたいしさ。だからといって、君をばっさり見捨てる気もないよ。出来ることはしたいと思う。何が最適解か、一緒に考えよう」
あえて「君」と呼ぶ。対峙しているのが何者なのか、わからないので。
彼女は、ふぅ────。と深く息を吐いて、真っ直ぐ俺の目を見た。
「わかった。早とちりして申し訳ない。助かるよ。ありがとう。そうだな、まず私の話を聞いてくれるか」
「うん」
よかった、話が通じた。
毛穴という毛穴にちくちくと刺さっていた圧が和らぐ。
「長くなるが」
「いいよ。まだ夜は長い。よかったら座りなよ。って、まぁ、これ、君の宿の備品だけど」
俺は彼女に部屋に一つしかない椅子を勧めて、自分はベッドに腰掛けなおした。
彼女は素直に椅子を受け取り腰掛けて、話し出した。
少し伏せた目の奥で、微かな光が揺らいだ。
「私は────」
◇ ◇ ◇




