第18話 月あかり
「おかえりなさい! ピクニックはどうでしたか?」
青猫亭の扉を開くと、眩しい笑顔でセリーナさんが迎えてくれる。
今日あったことを聞いてくれる人がいるって、素晴らしいな。
「満喫しました」
俺も、にこりと笑って答える。とはいえ、ここは宿。他の客もいる。当たり障りのないやりとりが一番だ。
「このあたりはのんびりするのに良いですね。サンドイッチも美味しかったです。ごちそうさま」
「よかったです! 晩ごはんはどうされますか?」
「いただきます。荷物だけ、部屋に置いたら」
晩飯のメニューはシシ肉のステーキだった。
甘い脂の匂いと、香草のような香りが、食欲を横面から殴りにくる。
はやる気持ちをおさえながら、丁寧にナイフで切り分け、口に運ぶ。
やはり、うまい。うん、うまい。
噛んだ瞬間にうまみの洪水だ。口じゅうに幸せを満たしてくれる。
うまい。が、────あれ?
舌にほんのり感じる、このピリッとした刺激は。
(なぁ、なんかこのスパイスみたいな風味ってさ)
何気なく尋ねたら、待ってましたとばかりに、返事がかえってきた。
(おお、やっと気づいたか。これも毒のある植物だな。種類はわからん。ごく微量だから、本当に味付けのためなのだろうよ。小動物ならともかく、ヒトに影響があるほどではない。まぁ、お前が命を狙われているわけでもあるまいし)
サラッと言うよね〜。ニールさんさぁ。
(そうだけどさぁっ!)
いかんいかん、セリーナさんに気づかれないよう、料理に満足している顔をしないと。
実際、味はパーフェクトだ。
パーフェクトなんだ……。
(もしかして、昨日のスパイスも?)
毒だったのかな?
(────うむ、今日はしっかりと獲得しているな。昨日は惜しくも獲得しなかったが。やはり量の問題か────)
ニールは研究者のように、分析に没頭している。ぶつぶつと小さく聞こえる声は、俺の問いに答えているようでもあり、ただの独り言にも聞こえる。
そうか、俺はまたひとつ、毒を取り込んでしまったのか……。
なんとも形容しづらい気持ちを持て余す俺とは対照的に、ニールは本当に楽しそうだ。
(よしよし。さすがムラノは我が見込んだ男! 百毒の王への道も一歩からだ)
(いやいや、毒だってわかってたんなら、早く、食べる前に言ってくれよ)
こっちにも、心構えってもんがさ。
(言ったら食べないだろう、お前)
(聞いても食べたよ。作ってくれた人に失礼だろう)
(どのみち食べるならなおさら必要ないだろう)
(それとこれとはさぁ────もういいや)
毒物と分かり合えると思った俺が間違っていたのかもしれない。
(で?)
(で? とは?)
(ほら、獲得したのに、お前の声しか聞こえないぞ)
俺の体的には、何も起こらないけど。
本当に新しい毒物を吸収したのかな?
ニールは呆れたように、バカにしたように、笑った。
(ヒトには影響がないと言ったろう。この程度の下位毒を少量とったところで、思考など宿りはせん。ましてや意識を共有する相手など、何人もいらんだろ。うっとおしい)
(自分を棚に上げてよく言うよ)
確かにこれ以上、脳内でわちゃわちゃ揉められても困る。知識の豊富な空気の読める紳士とかなら話は別だが。
◇
ガチャ。
ドアの開く音で目が覚めたけれど、意識はまだ夢の中と半分半分で、俺は天井に揺れる影をぼぉっと見ていた。
眠ってからどのくらいの時間がたったのだろう。
まだ夜中だと思うけれど。
「え、────えぇ?!」
はっきりと目が覚めたのは、実体のある重みが腹の上に乗っかってきたからだ。
窓からさす月明かりに、侵入者のほどかれた長い髪がきらきらと光る。
「セリーナさん?!」
セリーナさんは黙ってニヤリと笑う。
パジャマだろうか、シャツに短パンというラフな格好で、俺の腹の上にまたがったまま。
その表情はまるで別人のようで、背筋が凍る。
一見、羨ましい状況のようで、いざ我が身に起こると全く嬉しくない。
力では勝てそうだけれど、これから何されるかわかんないんだし。
「なっ、いや、ちが、おえ?!」
(うるさいな。どうした。ん? 小娘では────ないな?)
遅れて起きてきたニールが訝しげな声を上げる。
俺より冷静な声が頼もしい。
1人じゃないって、いいもんだな。それを実感する状況に追い込まれたくは無かったけど。
(セリーナさんはセリーナさんだって)
(そうではない。店主とは違うと言っている)
え? ほんと?
いや、見れば見るほど、彼女だろ。
(髪型は違うけどさ、顔いっしょじゃん)
ふっと、ニールがため息をついた。気のせいか、やれやれという効果音まで聞こえる。
(まだまだだな、お前も。中身が違うんだよ)
なかみ……?
俺たちが黙って忙しなく脳内会議をしていると、彼女が俺の顎をガッとつかんだ。
俺の初めての顎クイがこんな形になるなんて。
「やーっだ! お兄さん、近くで見たら意外と好みだなぁ」
はい、セリーナさんが言いそうにないセリフきました!
知らんがな。
何この状況。怖すぎて全然楽しくない。だれかたすけて。
「これが私の体だったら、本当に襲ってたのに」
そう言って、ぺろりと舌を出す。
うん。やっぱり、セリーナさんじゃない。絶対。
セリーナさんに、そんな事、言ってほしくない。