第16話 おもいでばなし
(で、ニールの用事ってなんだったんだ?)
からっぽになった弁当箱を片付けながら、俺は頭の中に問いかける。
此度のピクニック。
そもそもの発起人は、ニールだったりする。
少しずつこの世界に慣れていこうという俺の意図と、「草原に行ってみないか、少し用事があるから」と言ったニールの利害が一致した結果だ。
少し考えるような沈黙のあと、ニールは答える。
(探している薬草があってな)
ぴーん。
何その奥歯にニラが挟まったような言い方。
何か隠してるな。
(まぁ、それ、本当に薬草? 毒草の間違いじゃない?)
怪しいにおいがプンプンするぞ。
ニールは開き直ったように言った。
(ふん! 毒と薬は紙一重だ)
(やっぱりかよ)
しれっと、俺に毒草を食べさせるつもりだったか。
(謀ったな)
(何を、人聞きの悪い。我を取り込んだのだ、お前のポテンシャルは素晴らしい! ムラノなら百毒の王になれるのだ────!)
あーうるさい。
耳を塞いでも意味がないのが腹立つな。
なんだよ、百毒の王って。なりたくなさすぎる。
へたしたら勇者による討伐対象だろ、その称号は。
(だから、俺は平和に暮らせたらそれでよくてだな)
ため息混じりに俺がそう答えると、
(使い方によっては料理の隠し味にもなるぞ)
ニールは一転して懐柔モードに入る。
隠し味かぁ……。スパイス的な?
(スパイスねぇ)
実は俺、憧れだったんだよね。
いろんなスパイス調合して、本気のカレーとか作っちゃうの。
ほら、辛いやつ食べるとすぐお腹壊してたから。
いまなら気にせずゴリゴリのスパイスカレーや激辛料理も楽しめるのか……。
「き、聞くだけ聞いてみても良いけどぉ?」
ツンとした言い方をしようとしたら、慣れていなさすぎて、声が裏返ってしまった。
我ながらちょろいな。
(そうか、我の思いが通じたのだな?!)
ニールはすぐつけあがるし。
(聞くだけだっつってんだろ)
(ま、まぁ良い。涙なしには聞けない話よ)
(え? 何が? 毒の説明だろ?)
(あれはもうずいぶんと昔のことだ────)
(もう始まってる?)
「ねぇ、君の名前はなんていうの?」
目を覚ますという表現が正しいのかはわからない。
ニールには目がない。
しかしその瞬間、真っ暗闇から光が生まれたように、世界の色が雪崩れ込んできた。
声の主はわからなかった。
視界にあるのは茶色や緑の植物と、水色の空と、灰色の石だけ。
『ああ? 我に名などない』
とりあえずそう答えた。
呼ぶ相手もいない。必要がない。
「ふぅん? じゃあ君って呼ぶね! 私は」
『まずは姿を見せないか。失礼だろう』
弾む声をさえぎり、ニールがピシャリと言う。
「ええ? 君こそ失礼だなぁ。私はずっと目の前にいるじゃないか。それとも君からしたらこっちは後ろなのかしら。液体にも後ろとかあるの?」
『あ?』
いちいち失礼なやつ。
でも喋るってことは何らかの力があるのだろう。ニールみたいに。
ニールは力の気配をたどった。
すると、少し離れた場所にいる野花から、微かに他と違う気配を見出した。
『そこの草か』
「どこまでも失礼だなぁ。花って言ってよ。私の名前はニカだよ」
『草が喋るとは思わん』
「液体が喋るとも誰も思わない」
ニールが黙っていると、草はかまわず話し続けた。
「でも君は良いよね。神様とか呼んでもらってさ、たまに運んでくれる人もいるじゃない」
『勝手に運んで、勝手に死んで、勝手に恐れられるのは本意ではない』
「まぁ、そうだね」
気持ちのこもっていない「そうだね」と言いながら、草はまた話し続ける。
「────私たちってさ、人や動物に運ばれないと、どこへも行けないじゃない。でも私を食べると死んじゃうからさ。もう今じゃ誰も触ってもくれない」
その気持ちはわかる。孤独感も。だから、ついニールは言った。
『我に手はない。だが話すことはできる』
「友達だね」
『友達か』
嬉しいような、悲しいような。
『しかし、お前たちはすぐに枯れる』
少なくとも、ニールのように何年も何十年もひとりぼっちなわけじゃない。
「どうなんだろ? 個々はそうだけどさ、私たちは根っこで繋がってるっていうか、この種でひとつって感じかな。根っこっていうとまた違うか。根っこよりももっと深いところで、記憶も気持ちも共有してる」
『じゃあ孤独ではないではないか』
「ひとつって言ったでしょ。他者じゃないもの。孤独だよ」
『そうか』
「そうだ」
ニカはふふっと笑った。きっと人間からみたら草が風に揺れただけの光景だろうけれど。ニールにはわかった。
「でも君が話してくれたから、もう孤独じゃない」
『ふ、ふん』
ニカはいろいろな話をしてくれた。
世界中の同種が見たものを話してくれた。
ニールはこの場所しか知らないから、ニカの話を聞くのが楽しみだった。ニカのおかげで、一歩も動かずに世界を旅した気分になれた。