第14話 店主の腕前
こんこん。
ノックの音に、俺は身を起こした。
「どうぞ。あいてます」
ギィ、と扉が開き、店主が顔を覗かせる。
「あのぉ」
と、困ったような顔。
どうかしたのだろうか。
「話し声が聞こえたから。おふたり宿泊の場合は、料金が変わって……あれ?」
きょろきょろと室内を見渡す店主。
まぁ、狭い部屋だから、俺しかいないことは明白だろう。
「俺以外には、誰もいないですが」
ここは申し訳ないが、しれっと素知らぬ顔で通そう。
実際、物理的には一人なのだし。
「あ、あれ? たしかに話し声が────」
「あー、俺の独り言かも。癖で。声がでかくて、すみません」
「あ、そうなんですね。こちらこそ、すみません」
ホッとしたように、店主は笑った。うーん。やっぱり年齢不詳だ。
若く見えるとはいえ、いきなり年齢を聞くのも失礼だよなぁ。
「あっ、お料理のご準備ができましたので。どうぞ、下にいらしてください」
「ありがとう。すぐいきます」
(美味そうだな)
(ほんとにな)
頭に響く相棒の声に、心の中で相槌を打つ。
テーブルに並べられた料理はどれも出来たてで、美味そうだ。
食欲をそそる匂いが、鼻から幸せを運んでくる。
「メインはうちの名物、イノシシのシチューです!」
と、小さな店主が胸を張る。
「美味そう。いただきます」
手を合わせて挨拶したら、さっそくスプーンを握ってひとすくい。
スープ皿の真ん中に鎮座する大きな肉の塊は、スプーンを軽くいれただけで柔らかくほどけてくずれた。
それをルウと絡ませながら、口に運ぶ。
────うん、美味い。
最高に美味い。
なんだろう、これ本当にイノシシなんだよな?
臭みも全くないし、なんなら和牛のモモ肉みたいな旨みがあるんだけど。
門番の彼が言っていたように、複雑なスパイスのかおりもする。でもそれらは他の素材とうまく調和していて、脂の甘みも赤身の旨みも、何も邪魔していないのだ。
花束をそっといろどる霞草のように、さりげなく、しかし確実に良い仕事をしている。
(シナモン? ちょっと違うか。なんだろう。美味いな、しかし)
スプーンを運ぶ手が止まらない。おかわりできるのかな、これ。
(な、なんだこれは────! 人間はこんなに美味いものを食べているのか────!)
ニールも衝撃だったみたい。
でもね、と俺は諭した。
(これは格別だよ)
こんな美味いものをみんながみんな、毎日食べられるわけじゃない。
これは月一回のご褒美レベルの味だ。たぶん。
え、それともこの街の人はこれが普通なの? 違うよね?
あっという間にシチューが半分くらい無くなったところで、フォカッチャのようなパンに手を伸ばす。
焼きたてのそれはふわふわで、ちぎったところから湯気があがる。
これはもしや、やっぱりそうだよね?
シチューにドボンといっていいよね?
俺は一口大にちぎったフォカッチャを、手で持ったままシチューにつけて、パクりといただく。
(はい間違いない)
ほのかな塩気とシチューの旨み。合わないわけがない。
フォカッチャにはいっていたローズマリーみたいな草もまた良い感じ。
いやー、美味い。
エビみたいなやつが入ったサラダも美味いし、付け合わせのオムレツみたいな卵料理もめっちゃ好み。
しかし、ひとつだけ気になるんだが。
俺が食べようとするところを、店主が少し離れたところから、じっと見てくるんだよ。
他に客もいないから、仕方ないのかもしれないが────。
ねぇ、でもさ、そんなにガン見することある?
用があったら呼ぶから、本とか読んでいて良いよ??
「めっちゃ美味いです」
と、とりあえず声をかけてみる。
「! それはよかったです! はじめましてのお客さんなので、お口に合うかなって。緊張しましたぁ」
そう言って、急に肩の力が抜けたように、近くの椅子にちょこんと座った。
あ、緊張ゆえの真顔でガン見だったのね。
俺のふるまいが怪しまれているとか、そういうのじゃなくてよかった。
(おいムラノ、鞄の中のあの肉もこの小娘に調理させい)
(店主だよ、小娘って言うな)
でもニールの案は良いものだな。
俺はさも自分がいま思いついたように、
「そうだ! 別料金は払いますので、明日のお昼用にお弁当をお願いできませんか?」
と、店主に頼んだ。
「お弁当? 良いですけど────どんなのがご希望ですか? 材料の仕入れもあるので」
「あ、材料は、よければこちらを使ってもらいたくて」
俺は例の肉をリュックから出した。
店主は机の上にドンと置かれたそれをみて、目を丸くした。
「それ、ストレージリュックだったんですね。でもってこれはまた立派なイノシシ肉ですねぇ」
宝石の鑑定人のように、まじまじと肉を眺める店主。
「赤身なのに肉質も柔らかそうだし────シシカツサンドとかどうですか?」
と、提案してくれた。
いいじゃん。最高。
「めっちゃ好きです」
食い気味に頷く俺。
(シシカツサンドとは何だ、おい、ムラノよ)
(明日になったらわかるよ。でもな、これだけ言わせて。絶対美味いよ)