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第1話 りっぱないちょう

 思えば、俺の人生は胃腸に足をひっぱられてばかりだったわ。


 幼稚園時代の初恋相手は、たしかリンちゃんって名前だったな。茶色がかったくりくりの髪はいつも可愛くアレンジされていて、赤いリボンがついていた。可愛かったな。

 当時の俺は面食いだった。ほら、人は自分に無いものを求めたりするものだし。


 特別に仲が良かったわけでもなく、ちらちらと一方的に見ていただけだ。可愛らしい恋心だった。


 あの日、避難訓練で皆と一緒に園庭で座っていた俺の腹に急にぐるるるとやってきた強い便意。


 でも引っ込み思案だった俺は先生にお腹が痛いって言えなくて、訓練が終わってから慌ててトイレに走ったけど間に合わず、辛くも廊下で漏らしたところを、園舎に戻ってきた皆とリンちゃんに指をさされて笑われて、淡い初恋は終わった。


 小学校では、給食に苦しめられた。

 当時はまだ個人別のアレルギーや特性に対する施策も今ほど進んではおらず、乳糖不耐性なんて言葉も俺は知らなかった。

「なんか知らないけど、牛乳を飲むとお腹の調子が悪い」やつだった。

「牛乳を飲めない子」は他にもクラスに数人いたけれど、「気合いで飲ませようとする教師」もまた、いた。

 担任にそのタイプの教師が当たった年は、毎日の昼休みが辛かった。


 中学校は、バス通学になった。

 私立の一貫校に進学して、遠くの学校に……なんてわけでもなく、単純に田舎すぎて子供が少なく、校区がだだっ広かっただけだ。

 そんな田舎なので、コンビニだって車で行く距離だ。

 バス停に向かう間にトイレに行きたくなったら、遅刻覚悟で一度家に戻るか、知り合いの家に寄って借りなければいけなかった。

 おかげでコミュ力は向上したと思う。

 通学ルートのじいちゃんばあちゃんになんだかんだ可愛がってもらえたのは、今となってはいい思い出だ。


 長くなった。


 まぁそんなこんなで、受験本番の緊張に勝てずトイレから出られなくて志望校に落ちたり、就業中にトイレに行きづらい場合がある────たとえば手術の多い外科の先生とか────拘束時間の長い職種は就職の選択肢から省かざるをえなかったりと、まぁそれについては別の足りないスキル(主に学力)があったりしたんだけど、なんだかんだで俺にとって胃腸の脆弱性は負の特性だったのだ。


 あとはなんだ、結婚か。それはまぁ、置いておこう。そこには触れない。あえて。


 そしてなんやかんやあっての、死に際だ。


 まだ三十代半ばだってのに、人間ドックで異常が見つかったのが半年前。


 余命半年と言われて、すぐに会社を辞めた。


 家族もいない。


 恋人もいない。


 残された時間を、病院で過ごすなんてまっぴらだ。


 だから、お金と体力が続く限り、旅をしようと思った。


 それなのに、この期に及んで、俺の胃腸は俺の足を引っ張った。


 今まで時間がなくて行けなかった海外旅行。


 メジャーな地域のパックツアーだったら、まぁ水が合わずに苦労することも無いだろうと思って参加したのが甘かった。


 水道水なんて一口も飲んでいないのに、行程の半分くらいは体調不良に見舞われた。

 まぁ、患った病気のせいもあったかもしれないけれど。


 初のヨーロッパは思ったよりも楽しめず、それ以降はちまちまと国内旅行をして過ごした。


 まぁそれはそれとして、今まで知らなかった自国の魅力を知れたから、よかったかなと思う。


 ああ、それで、えっと、なんだっけ。


 死に際。


 そう、死に際だ。


 余命宣告されてからちょうど半年が過ぎていた。

 思ったよりも痩せることなく、自分で歩くこともできた。

 しかし痛み止めは手放せなかった。

 入院のリミットも近づいていた。

 いつ、最後の晩餐になるかわからなかったから、たまにはパァッと好きなものを食べた。


 今日もね。


 もう久しく食べていなかった、こってりとんこつラーメン(激辛トッピング)を食べに行ったのだ。


 覚悟はしていた。


 病を患う前から、俺の胃腸とこってり脂は相性が悪かったし。


 でも味は好きなんだ。あるだろ? そういうの、誰にだってさ。


 しかも人生最後の激辛とんこつかもしれない。


 そう思ったら、スープの最後の一滴まで飲み干していたよね。


 ま、数時間後には自宅のトイレにこもっていたよね。


 でもさ、誰が想像できる?


 病院でもなく、自宅のトイレで最期を迎えるとかさ。


 しかも病死じゃなく、突っ込んできたトラックのせいで、とかさ。


 一瞬だったから、何が起こったのかもわからなかった。


 トラックの件は後から聞いたんだ。誰から聞いたのかは、後で説明するよ。


 話を戻そう。

 ────そりゃあね、終活のために、住んでいた分譲マンションを売って荷物も減らして、ボロアパートにうつったよ?


 安いだけあって、住環境はよくなかった。アパートの前の通りは、車幅の割に交通量の多い、いわゆる渋滞回避の抜け道だった。しかもカーブ。塀もなく、壁はうすっぺらべら。


 まぁだからこそ、孤独死してもまわりへの迷惑レベルが低くて済むかなって打算もあったよね。


 思ったのとは違う孤独死だったけど。


 まぁそれもさ、たぶんトイレにこもってなければ死んではなかったのかなと思ったんだよ。


 だから「何か来世に注文はありますか?」って、今際の際に幻聴が聞こえた時、つい答えちまったんだよ。


「つよいいちょうをください」って。


 だって、つよいいちょうさえあればよ?


 俺の人生、チートだったかもしれないだろ?


 なのに、どうしてこうなった。


 




 俺は、ご立派な大理石のカウンターに置かれた、赤い座布団に鎮座する水晶玉の表面に浮かんだ文字を眺めた。


 知らない文字の羅列のはずなのに、この頭はしっかりと意味を理解している。


 スキル名「りっぱないちょう」


「え、何これ(笑)」


 俺の肩越しに覗き見したギャルが、日本語で言う。


 失笑されても、腹も立たない。


 俺自身、そう思ってるし。


 だから、つい言っちゃったよね。


「え? どういうこと?」


 独り言だったのだが、カウンターの向こうに座ったスーツ姿の美女が、困ったように笑った。








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