冤罪と誘拐②
拘束された私たちは、腕を引かれて暫く歩いた後に、馬車の荷台か何かに乗せられる。車輪が石か何かを踏む度に大きく揺れるそれの乗り心地は、最悪の一言に尽きる。
ラオたちもすぐ傍にいるはずだが、見張りも同乗している上に、猿轡も噛まされている状態で、意思の疎通を図るのは困難だった。車内は重苦しい雰囲気に満ちており、視界と口を塞がれているのもストレスに拍車をかける。
何処に連れていかれるのかもわからないにも関わらず、私は道中ひたすらに早く着けと念じ続けることになった。
どれ程の時間が立ったのか、疲弊しきって意識が朦朧としてきた頃に馬車は止まる。もはや降りられるならどうでもいい。
腕を引かれてふらつきながら、埃っぽい荷台から下りれば、思いの外澄んだ空気が肺を満たした。植物の匂いが鼻を掠め、最悪だった体調が少しだけ回復する。
靴の裏から伝わる感触は、柔らかい草と土。もしかしてここ、森の中?
そう考えながら暫く歩けば、足下の感触が固いものに切り替わり、黒い布越しに明るさを感じる。靴底が床を叩く度に、小気味良くコンコンと軽い音を返した。木製の床だ。いつの間にか建物の中に入ったらしい。
随分と広い建物内を歩き続けて暫く。止まるように言われ、ドアノックする音に続き、近くのドアが軋みながら開けられる。
「ディルガームさん、お疲れ様です。ボスがお待ちです。どうぞ」
「あぁ」
ディルガームと呼ばれ短く答えた声は、あの蛇を思わせる鋭い眼光の男のものだった。
やはりディルガームという男は実働隊のリーダー格で、私たちを連れてくるよう指示したボスは別にいるらしい。……話の通じる相手だと良いんだけど。
向こうの出方を見るしかない以上、今の私に出来ることはない。ともかく落ち着こうと深呼吸をしていると、再び腕を引かれた。そして数歩歩くと、扉が閉まる音がする。何処かの部屋に入ったらしい。
「──ご苦労。そいつか?」
「はい」
「ふぅん、成る程ね。目と口はいいぞ。手は残せ」
「はい」
若い男の声が指示を出す。頭の後ろで手が動き、私の視界と口は漸く解放された。
視界の端で蝋燭の火が揺れ、その眩しさに目が眩む。涎で濡れた口の周りも不愉快極まりない。
「なん……げほっ、ごほ……っ!」
「おっと、失敬。ディルガーム。丁重に」
「はい」
布にすっかり口の中の水分を奪われていた私は、そのまま喋ろうとして失敗する。咳き込めば、少しずつ光に慣れてきた目が、私の前に立つディルガームを捉えた。
革製の水筒の飲み口を差し出されていた。一瞬迷ったが、わざわざ連れてきて目隠しと猿轡を外しておいて、すぐに害することはないだろう。
素直に口を開けば、口の中に生ぬるい水が注がれる。ごくりと嚥下すれば、ご丁寧に溢れた水ごと布で口元を拭われた。
「あり、がとう……」
「……」
礼を言えば、ディルガームは無言で私を見たあとに、そのまま身を引く。
と、その後ろから、派手な色彩が目に飛び込んできた。
「なんだ、俺のモノを盗んでいるというから、一体感どんな阿婆擦れかと思ったら。随分と育ちの良いお嬢さんだ」
派手な色をした布を重ね着し、緩く着崩した、華やかな顔立ちの若い男が、ソファから立ち上がりこちらに近付いてきていた。
どちらかと言えば西洋寄りの文化である、この国では珍しい服装。例えるなら、中東の民族衣装に近いかもしれない。
よく見れば部屋全体の調度品も男の雰囲気に似た、派手なものばかり。けれど決して下品ではなく、センス良く纏まっていると感じる。
こんな状況でなければ、お洒落だな~と見惚れたかもしれない。そう、こんな状況でなければ。
「……」
やっぱり、居ない。
道中は一緒に居たはずだから、てっきりラオたちもこの場に連れてこられたと思ったのに。
部屋にいるのは私とディルガームと、この部屋の主……私たちを攫った連中のボスらしき男だけ。
攫われたとはいえ、最低限ではあるものの、丁重に扱われているとは思う。
なのに、何故か妙に嫌な予感がする。
「あぁ、アンタの手下か? 安心しろよ、別の場所に閉じ込めてはいるが無事だ。本人たちも大人しくしているらしいからな。……しかし、あんなゴロツキどもを良くそこまで従順になるよう調教したな? ……そんな形でも、案外男を骨抜きにする手管でもあるのか?」
「……ふっ」
頭から靴先まで這うような意味深な視線に、思わず鼻で笑ってしまう。
「……何がおかしい?」
「あぁ、ごめんなさい。わたくし、捕まった時からここに来るまで、そちらの部下の皆さんには、一度も手を上げられることもなければ、下品な言葉の一つさえ投げ掛けられなかったの。そこの無口な方も紳士的にわたくしを扱って下さったのに……その主人が一番不躾な人だなんて、残念ですわ」
さぁ、どう出る。わざと煽るようなことを言って乗ってくるような輩なら、それまでのこと。
殴られるつもりで歯をくいしばって反応を見守れば、男は拍子抜けする程快活に吹き出した。
「……ふっ、はははっ! ああ、そうだな。確かに今のは俺が悪かったな。非礼を詫びよう、お嬢さん」
「……」
そう言ってにやりと笑う男に、ほっとすると同時に内心舌を巻く。
……この男、話は通じるけどやりにくいタイプだ。でも私のような小娘に煽られても余裕で返してくるのなら、きっと、交渉の余地はある。それがわかっただけでも、ひとつ収穫だ。
「それで、こんな真似をしてまで一体わたくしに何のご用かしら?」
「それ、やめたらどうだ。アンタ貴族のご令嬢なんかじゃないだろう」
「……」
速攻でバレた。
腐ってもエルヴィス仕込み、貴族相手に商売もしているウィンドールにもバレなかったのに……いや、攫われた時に余裕がなくて、ディルガーム相手にそれらしい振る舞いをしなかった気がする。そこからか?
「何でって顔だがよ、普通貴族ってのは誰かに何かをして貰うのは息をするより当然のことで、一々それに礼なんて言わねぇんだわ」
「……あ」
「知識だけ豊富の頭でっかちで、実践経験は少ないってとこか? 人の良さが出ちまったなぁ。育ての親に恵まれたようで羨ましいよ、お嬢さん」
こいつ、育ちが良いってそういう……!!
最初からバレていておちょくられていたことに今更気付き、羞恥で頬が燃える。
訳もわからず攫われて好意的な感情があるはずもないが、敢えて言おう。この男、嫌いだ!
ギッと睨み付けつけるが、然して気にした様子もなく男は鼻で笑い、そしてふっと表情を消す。
「……さて、何のご用か、だって? そいつはテメェが一番わかってるんじゃねぇか?」
決して大きな声ではないのに、ビリビリと背筋が震えるような怒気を感じて、跳ねかけた肩を気力で押さえ付ける。
あの時、ウィンドールが「あんたらの商売を邪魔したつもりは~」と喚いていたのだ。ユーリアの実関係なのは間違いない。
けれど私たちは私たちで、一からユーリアの実を作り、売っていただけだ。他にこの辺りでユーリアの実を取り扱っている組織のことなど知らないし、それを邪魔した覚えも……あぁ、クソ。しまった。
そこで私は、漸く自分の重大な過ちに気付かされる。
そもそもユーリアの実は、この辺りでは特に希少だが、全く流通していない訳ではなかったのだ。他に取り扱っていた者が居るのなら、彼らなりの市場とルールがあったはず。
多少、出所不明の商品が不定期に出てくるのはあり得ることだが、独自のシステムを持って、彼らのルールに則らない価格設定で定期的に出回れば話は別だ。
私たちは彼らの市場を荒らしたのだ。それは怒るに決まっている。
最悪だ、何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。時間は幾らでもあったはずなのに、目先のことしか見ず、盛大にしくじった。欲を出さずに、あちこちを転々としながら不定期でばら蒔けば足も付きにくかったのに。そりゃ俺のものを盗んだって言われても……うん?
「……あの、つかぬことをお伺いするんですけど」
「あ?」
「私たちがここに連れて来られたのって、この辺りのユーリアの実の市場を荒らしたから、よね……?」
「はぁ……、悪いなお嬢さん。俺は女子どもには優しいつもりだがよ、最低限敬意は払っても、それに甘えて誤魔化すつもりなら、掛けてやる情けはねぇんだわ。……これ以上しらばっくれるなら、優しくしてやれねぇぞ?」
ぐっと近付く男の、表情のない顔。奥に激しい怒りを湛えたその目を直視してしまい、ゾッと背筋が粟立つ。
「まっ……待って! 違う! 盗んだって、本当にそのままの意味ってこと!? それなら私たちは全く関係ないわ!」
「関係ない、ねぇ……。何でこの辺りでユーリアの実の市場レートが高いか知ってるか? 冥窟が近いからだよ。我らがユーフィリア様のご加護が少ねぇ、痩せた土地だからだ。そんな辺鄙な場所で、一体俺たちの畑以外から、どうやってユーリアの実を調達出来るってんだ? なぁ?」
「そんなのわかって……って、ちょっと待って、畑って……まさかユーリアの実の人工栽培に成功してるの!? しかもこんな土地で!?」
「……んん?」
国ですら不可能と匙を投げている、ユーリアの実の人工栽培という遺業をさらっと仄めかされ、思わず話の腰を折って声をあげてしまう。
その様を見て思うところがあったのだろう。顔をしかめ首を捻った男は、私の目線まで腰を落とした。そのまま、まじまじ見詰められて、私ははっと冷静さを取り戻す。
まずい。まずい、まずい……!
さっきから焦って怪しい言動しかしてない気がする。どういうわけか人工栽培に成功しているらしい、彼らのユーリアの実。
それが盗まれている、ということなら本当に何も関係がないのだから、堂々としていればいいのに。頭ではわかってる。脅されても怯えを見せたら負け、常に冷静さを保ち、論理的に自分達の無罪を主張すれば良いのに。
何で、こんなに調子が狂う。
「……失礼、お嬢さん」
先ほどからおかしな自分自身に狼狽えていると、徐に顎に手を添え……というか、大きな手でがっつり掴まれ上を向かされる。そして、
「『嘘偽りなく答えろ。俺たちのユーリアを盗んだのはテメェらか?』」
「ぁ……」
星のような不思議な色彩の目が、私を捉える。その瞬間、何故か「入られた」と思った。見透かされる。隠しても、隅々まで暴かれてしまう。
……あぁ、わかった。どうして調子が狂うのか。だって、この人。
──ちょっとだけ、エルヴィスに似てる。
「……私たちじゃない」
頭に、霞がかかったみたい。やけにぼうっとして、エルヴィスと同じ色の瞳から目が離せなくて。気付けば、勝手に口が動いていた。
「……。『どうやってユーリアの実を手に入れた』」
金縛りにあっているかのようだった。意思とは無関係に、体が上手く動かない。でも口だけは彼の求める真実を伝えるべくひとりでに開こうとする。
ああ、だけど。駄目だ。
それは、それだけは……!!
「自分で、つ……っ!?」
聞かれるままにぼんやりとそう喋ろうとする自分の声が、他の人の声のように己の耳に聞こえて。
唐突に、夢から覚めるように一気に意識がハッキリした。
ドクドクと激しく心臓が早鐘を打ち、耳鳴りがする。手足の先が冷えきって、ピリピリと痺れていた。思わず、その場にずるずるとへたりこむ。
「自分で……何だって?」
「……。……自分で、考えたら?」
「……はっ、マジかよ。自力で破りやがった……いや、つーかそれより……はぁ……本当にハズレなのかよ……あり得ねぇ」
ガシガシとくすんだ金髪を掻き回す男を見上げ、確信する。
さっき、自分の意思とは無関係に口が勝手に開き、真実を喋らされた。そんな無茶苦茶なことを可能にする方法は、この世にはただひとつ。
「……貴方、冥徒ね」
神に仇なす恥知らず。地上を豊かにする神の恩恵に感謝などなく、ただ己がために消費しきる卑しきけだもの。
──私と同じ存在。
初めて出会った人間の冥徒は、私の断定に近い問い掛けに、不敵に笑って肯定してみせた。