冤罪と誘拐①
ウィンドールとの最後の取り引きを明日に控えた夜のこと。
暫く逗留していた街を離れ、初めて旅をするというラオたちの英気を養うため、普段より良い食事処へ行き、ご馳走や酒をしこたま飲み食いさせた帰り道だった。
陽気に調子外れの鼻歌を響かせるラオに、ヴァイスがぶつぶつ言いながら肩を貸している。身長も高ければガタイも良いラオは、ヴァイスの一回り以上大きいので、支えるヴァイスはかなり大変そうだ。目的の雲隠れのための街まで、長い距離を歩くことになるので、旅の前に腰を痛めなければいいんだけど。……別に、ヴァイス本人を善意で心配してるという訳ではない。
単純に、ウィンドールの前からトンズラするので、あの欲深くしつこそうな男からさっさと逃げるために、旅の予定が狂うのは困るだけだ。
そう、私たちは純粋にお互いを心配し合うような関係なんかじゃない。私が冥徒であり、お前たちはいつでも私の機嫌次第でどうにか出来ると思い込ませている故の恐怖、そして金を介した利害の一致。そうした危うい均衡の中でのビジネスライクな間柄でしかないのだ。
こうして良い食事や酒を提供したのも、慣れない旅で溜まるであろう疲労と不満を軽減させ、士気を高めるため。あくまで私たちは雇い主と手下。……仲間なんかじゃ、ない。
かつて仲間と呼び、心から信じていた人たちの顔を思い浮かべると、つきりと胸が痛む。
少し湿っぽいことを考えながら歩いていると、少し後ろを歩いていたザガンが徐に口を開いた。
「なぁ、姉御は」
「お嬢様」
「あっ、お嬢は、酒も飲まずに食べるのもあれっぽっちで良かったんですかい?」
「貴方たちに比べたら、そりゃ女はみんな少食になるわよ。私は普通にお腹いっぱい。あとお酒は未成年だから飲めないし」
「えっ!? 未成年って……姉御っておれより年下なんスか!?」
そういえば、この国では成人って十五歳なんだった。ってことは背は私よりも小さいけど、ザガンってもう十五歳以上なんだ。
……ていうかまた姉御に戻ってるし。もういいや。
「あー、故郷では、の話。私の故郷では二十歳になるまで飲酒してはいけないっていう決まりがあるの。私の歳は十八だから……」
口にして、はたと気付く。そうだ、私もう十八歳なんだ。
ろくに高校生活を体験してないままこの世界に喚ばれてしまった私は、そのまま三年程の時を過ごした。多分、本来だったらもう卒業した頃だろう。……高校生の間にやりたいこと、色々あったんだけどな。入部した軽音部で、同級生と組んだバンドでライブする、とか。バイトして自分のお金で旅行する、とか。恋人を作る、とか。
ありふれた、けれど心弾む可愛い砂糖菓子みたいな夢。本当は、そんな甘い夢に向かって全力で走ることを、許された立場だった。
こうして人を信用せず駒のように扱ったり、ほぼ犯罪のような手段で大金を稼いだり、誰かから逃げなければならないような生活をしなくたって良い、夢見がちなただの普通の女の子『だった』。そう、『だった』のだ。
全ては、もう叶わない夢だけれど。
「おれは多分十五、六くらいのはずだから、やっぱ姉御ッスね。……でもそっか、姉御って今まで会ったことある誰とも雰囲気が違うなって思ってたけど、やっぱ違う国から来てて、そこではまだ子供なんスね。……そっかぁ……」
噛み締めるように呟いたザガンは、何処か落ち込んでいるように見えた。その様子を見て、どうしてだろう。私は無性に苛立ちを感じてしまう。
「……同情ならやめてくれる?」
「あっ、えっと、そうじゃなくて……その……」
何か言いたげに暫く口ごもっていたザガンは、やがて何かを決意したかのように顔を上げる。
「姉御、おれ……」
「……っ止まれ!」
ザガンの言葉を遮るように、前を歩いていたヴァイス低く鋭い声が飛んでくる。
「なんだよヴァイスぅ。今日くらい固いこと言うなって……」
「馬鹿、いつまで酔ってるんだ! 周りを見ろ!」
言われた通りに、ラオはとろんとした目で周囲に視線を巡らせる。
そして、次の瞬間、腑抜けた赤ら顔から、サッと血の気が引くのが見えた。無論、私にも同じ光景が目に入る。
建物に陰に、塀の上に、複数の人影があった。何故気付かなかったのだろうか。これから進むはずだった道の先にも、振り返れば歩いてきた背後も、逃げ道を塞ぐように幾人もの人が立っている。
年齢も性別もバラバラだが、一挙手一投足すら見逃さないとばかりの油断ない目付きで、私たちをねめつけていた。
誰、こいつら。まさか、ウィンドールからの差し金?
でも、ウィンドールには、私たちが雲隠れしようとしてることは、バレていないはずだ。いずれユーリアの実の調達先を暴き、私たちを介さずにユーリアの実を仕入れる気は満々のようだったが、焦って仕掛けてくるような段階ではなかったはず……いや、今はそんなことどうでもいい! とにかくこの状況をなんとか打開しないと!
そう考えながらも、ジリジリと包囲を狭めて来る連中に、私たちも自然とその中央へ固まって身を寄せるしかなかった。
気付けば、周囲には十数人の人間がいる。ヴァイスの祈術は、まだ素人に毛が生えた程度。ラオとザガンは数人ならどうにかなったかもしれないが、これは流石に数が多すぎる。
私のあの例の炎が出せればチャンスはあるのかもしれないが、あの時以降一度も使えた試しがない。どうする、どうする?
そう悩んでいる間にも包囲網は狭まっていく。
その時、不意に人垣が割れ、何かがドシャッと音を立てて放り込まれる。
何か、というか、人だ。ふくよかな腹をボンレスハムのように縛り上げられたその人物には、嫌と言うほど見覚えがあった。
「おい、間違いないか」
「そっ、そうだコイツらだ!! ユーリアの実を盗ったのは私じゃない! 私はコイツらの、この女の指示通りにユーリアの実を売っただけだ! 出所なんて知らなかったし、あんたらの商売を邪魔したつもりだってなかった! 私は何も知らない! 私はただの売人だ!!」
常に浮かべていた、人良さそうな笑みをかなぐり捨てて叫ぶのは、ウィンドールだった。
ウィンドールの差し金じゃなく、第三者がこいつを捕まえ口を割らせたことで、私たちに辿り着いたらしい。
この野郎、全てを私に押し付ける気満々だ。こういう手のひらクルクル男だから、明日で縁を切りたかったのに、タイミングが悪すぎる。というかユーリアを盗ったってどういうこと?
何か誤解がある。それを弁解したところで収まりそうな雰囲気でもなかったが、これらを指示した第三者と、話をする機会くらいはどうにかもぎ取らなくては。そう考えて口を開いた瞬間、
「──返戻!」
突如として風が吹き、埃っぽい地面の砂がぶわりと一面に舞い上がる。
「ゲホッ! くそっ何だ!?」
「祈術!?目が……ぐっ!?」
「がはっ……!」
バキッと人を殴る鈍い音と、呻き声、そしてザガンとラオの声が砂埃の中聞こえる。
「姉御、逃げろ!」
「あんただけならどうにかなる! 早く行け!」
「な、」
思わず絶句する。
……何で?
この状況で逃げ出した私が、その後どうするのかなんて、この数ヶ月接してきたラオたちにわからないはずがない。
私たちはあくまで恐怖と金で繋がっているだけの関係性。一度この場から逃げおおせた私が、ただのビジネスライクな手下たちのために、リスクを犯してまで助けに戻るなんて、するわけない。
捨てられることなんて、わかるはずのに、どうして私を逃がそうとしてるの?
彼らの考えてることが、まるでわからない。でも、冷静な私が考えるな、今がチャンスだと言う。
ほとぼりが冷めるまで身を潜めて、別の街でもっとまともな護衛を雇い、頭の回る旅商人や祈士と手を組めば良い。ただ、それだけの話だ。そうすれば、また商売が出来る。
別にラオたちでなくても構わないし、寧ろ学のない最下層のゴロツキよりも、そちらの方がよっぽど効率は良いはずだ。そのはずなのに。
──なんで、私の足は動かない?
「ガッ……! いっ……てぇ!」
「ザガン! テメェよくも……ぐぁッ!!」
砂埃は徐々に晴れ、ザガンの小さな体が吹っ飛ぶ。
そちらに気を取られたヴァイスが、背後から棒で殴り付けられ地面に沈む。
ラオはひとりで暴れているが、多勢に無勢。身動きがとれなくなるのは時間の問題だろう。
……あぁ、もう。
私は震える息をゆっくり吐き出し、埃っぽい空気を吸い込む。そして、
「──やめなさい!!」
鋭く一喝すれば、シンと辺りが静まり返る。
あぁ、やってしまった。私は、本当にどうして。
激しく後悔の念が押し寄せるが、全てはあとの祭りだ。先程ウィンドールへ確認を取っていた、浅黒い肌の、蛇を思わせるような鋭い面差しの男に言う。
「……。私に用があるんでしょう。話し合いなら言葉でしましょう。そういうやり方は好きじゃないの」
「先にそういうやり方をしたのはお前たちの方では?」
「確かに先に手を出したのは私の手下よ。でも、そうなるようにわざと圧を掛けたのは、貴方たちの方でしょう。お互い様ってことでこの場を収めた方が、お互いのためだと思うのだけれど。そうしてくれれば私は大人しく貴方たちに着いていくし、配下たちも大人しくさせる。幾らここが街の中心から外れてるとは言え、民家はある。……あんまり派手な騒ぎを起こしたい人たちには見えないけれど?」
彼らの堅気に見えない見目を示唆して牽制すれば、男は少しの間、無言で私を見つめた後に「いいだろう」と呟く。
「姉御、なんで……」
「いいから! 貴方たち、大人しく言うことを聞いてなさい。わかった?」
「……くそっ……! おい、ラオ! 座れ、いいから。座れ!」
呆然と言うザガンたちに指示を飛ばせば、ヴァイスは悪態をつきながらも、興奮したまま周囲を威嚇するラオを宥める。
やがて、静かにその場に膝をつく彼らを無感動に眺めると、男は鼻を鳴らした。
「……服は剥がないでやる。持ち物は全て出せ。全裸になりたくなければ妙なことは考えるなよ」
そう言って男は近くの女に目配せをすると、ラオたちの方へ向かう。
元々持ち物なんて多くないが、体のあちこちに分けて持ち歩いているリーガ大貨を次々に出していくと、厳しい目で私を監視していた女の目が徐々に驚きに見開かれ、最終的にはドン引きされていた。
仕方ないでしょ。この辺治安が悪いんだから。
恐る恐るといった様子で私から回収したリーガ大貸を袋にまとめ、重そうに懐にしまった女を、つい恨みがましく見てしまう。
三十リーガ、ユーリアの実ひとつ分の売り上げがこれでパァだ。残りの持ち歩いていないお金は、この辺りでは一番安全だと思われる場所に預けているので多分、恐らく、大丈夫だろうけど。……多分。
しかし、お金の心配以前に、私自身が五体満足で戻ってこれるかどうかすら、怪しいところなのがなんとも世知辛い。
服の上から靴の中まで、隈無くチェックされた後に、手を縛り上げられた。
……手慣れてるな、こいつら。手首と紐の間に隙間が出来るよう細工する間もなかった。そして、場所を把握されないようにするためか、黒い布が目を覆っていく。
ああ、本当になんでこんなことに……!
これから一体どうなるのか、どうすれば良いのか。元の姿に戻った直後以上に、途方に暮れた気持ちになりながら、私の視界は完全に闇に閉ざされた。