質屋とお忍び令嬢②
無事に質屋での取り引きを終え、とっぷり日が暮れた頃。安酒場の二階にある、宿の一室。掃除が行き届いているとは言えない埃っぽいそこに、私たちは集まっていた。
「まさか、本当にやっちまうなんて……」
未だに夢心地みたいなふわふわした口調で、夢やふわふわとは程遠い、厳つい顔立ちのラオが呟く。
「金稼ぐって言ったのに、エイガのとこで有り金全部はたいて服買われた時は正直終わったと思ったっスけど。まさかその何倍……いや何百倍? とにかくとんでもない金を質屋の親父から巻き上げるなんて!! 本当に痺れたっス!! おれ正直叫びそうだったんスよ! ヴァイ兄に尻抓られて必死で我慢したっスけど!」
ザガンにキラキラした目で鼻息荒く詰め寄られ、嫌な記憶を思い出して身を仰け反らせた。しかし一切の邪気がなく、純粋な尊敬すら感じて居心地の悪さを覚える。
「格好さえ整えれば、付け焼き刃でも案外どうにかなるもんだな。貴族のお嬢様とその護衛を装うなんて俺にゃあ絶対無理だと思ったぜ」
「ラオは付け焼き刃にすらなってなかっただろ。貴族の護衛が普通あんな風にメンチを切るか。アホ。そのあとの商談が衝撃的すぎて有耶無耶になったから良いものの」
買ったばかり(と言っても中古だが)の服の裾を引っ張りながら言うラオの背を、ヴァイスが呆れたように小突く。私が足を踏みつけなきゃ、ラオはきっとあのまま睨みを利かせ、店主相手に凄んでいたに違いない。
「にしても……へへ、まさかエイガにひとつ二、三百リグで売ってたゲーリの実が、ひとつ三十リーガのユーリエの実に化けるなんて……すげえや!一体どんな手ぇ使ったんですかい?」「貴方たちじゃ酒飲んで気を良くしたらペラペラ喋りそうだから、直接手伝ってるヴァイスにしか教えられない。内緒」
ヴァイスの肩を叩きながらラオとザガンに言えば、「それもそうか」と二人はあっさり頷いた。口が軽いと貶したのにそれでいいのだろうか。
「……まぁ私もまさか見た目だけの偽物じゃなくて本物になるとは思わなかったけど」
「おい」
『商品』の用意をしている時のことを思い出して遠い目をすると、咎めるようにヴァイスに小突かれる。賑やかな二人の耳には到底届きそうもない声量での呟きにも、ヴァイスは一々目くじらを立てる。細かい。だが、その注意深さは信用に値する。
この三人を使うと決めたのはたまたまだが、案外悪くない選択だったのかも。
私は野心の強い質屋の店主から受け取った、重い布袋の口を開けた。
「はい、これ今回の報酬ね」
「おお、おおお……!! すげぇ、本物のリーガ大貨だ……!!」
「こ、これ、ホントに貰っても良いんスか姉御!?」
子供の手のひら大程の硬貨を二枚ずつ手渡せば、ラオとザガンは色めき立つ。
「言ったでしょ。ちゃんと働けば相応に評価はするって。それは貴方たちの正当報酬」
「アンタって最高だぜトーカ!! イカれたおっかねぇ化け物なんてもう二度と思わねぇ!」「よっ! 稀代の詐欺師! 強欲の権化!」
「……は?」
自分でもびっくりするくらい低い声が喉から出た。
途端に、ラオとザガンはぴたりと囃し立てるのを止め「よーし、下の酒場行って一杯引っかけてくる!」「おれも今日はしこたま飲むんだぜ!」などと早口で告げてあっという間に部屋から出て行った。逃げ足だけは呆れるほど速い。
「はい、ヴァイスは五リーガね。今後もこの取り引きは貴方が要だから。これからも頑張って働いてね」
「……どーも」
五枚の大貨を受け取ったヴァイスの顔に覇気はない。酷く疲れ切っていて、青白い。
それはそうだ。なんせ、この布袋いっぱいの大貨と引き換えに、店主に売りつけた金の実を作り出したのは──私とヴァイスなのだから。
ユーリアの実とゲーリの実は、成長過程で祈力が宿ったか冥力が宿ったかというだけの、全く同一の実。だからゲーリの実の表面に、薄く膜を張るように祈力を流すことで、ユーリアの実擬きを作ることが出来る。
それを適当に売り捌いて、バレる前にその金を持って遠くへ移動。それを何度か繰り返してある程度金を貯め、地盤を固めてから今後のことを考えるつもりでいた。詐欺だろうと何だろうと、あの時の私たちは無一文なし。手段なんて選べなかった。
……が、ヴァイスにユーリアの実擬きの作り方について、手解きをしようとしていた時、予想外のことが起きた。
なんと、私の手の中にあった赤いゲーリの実が、真っ白な実に変わっていたのだ。何が起こったのか全くわからず一時は気が動転してしまったが、どうもゲーリの実に宿っていた冥力を、私が無意識の内に吸っていたらしかった。返礼の旅の中、周りには祈士しかおらず、人の冥徒にも出会ったことのない私には知るよしもなかったことだが、冥徒は恩恵を奪いそのまま使うことで冥術を使うので、こういったことが出来てもおかしくないのかもしれない。
ともあれ、偶然出来てしまった祈力も冥力も宿していないまっさらな実──無垢の実に、試しに祈力を注がせてみれば、それは目映い金色に染まった。少しの祈力でコーティングしたユーリアの実擬きではなく、本物のユーリアの実が出来てしまったのだ。
戻ってきたラオたちからゲーリの実を受け取り、他の実でも試してみたが、結果は同じ。ユーリアの実を人工的に作り出すことが可能であると、証明してしまった。暫く途方にくれてしまったが、どのみちユーリアの実と称して売るつもりだったのだ。偽物が本物になる分には一向に構わないだろうと、開き直ることにした。
と、いうことで。本来の計画は破棄。安定して収入を得るために、この辺りにとどまり、特定の商人を売人を仕立て、定期的にユーリアの実を卸すという方向に計画を変更したのだ。
手始めに、ラオたちからゲーリの実を買い取ってくれていたという、エイガと名乗る怪しい商人から、ラオたちの全財産で、可能な限り質の良い服を買い取った。
そこで高額な商品を取り扱ってくれそうな質屋……ウィンドール質店の情報を手に入れたのだが、そんなの「高額取引されるようなものを持っている」と自ら公言しているようなものである。この辺りの治安を考えると、襲われてもおかしくなかったが……なんというか、エイガは随分と風変わりな商人だった。警戒心の強いヴァイスが太鼓判を押していたくらいなので、多分大丈夫なのだろうけど……何であの人、あんな所で商売をしているんだろう。謎だ。
閑話休題。そうして、服と情報を手に入れた私たちは、お忍びの貴族と従者たちという設定で、ウィンドール質店を訪れた。店主が話に乗ってくるかは正直賭けだったのだが……結果はご覧の通り。滑り出しとしては、上々と言えるのではないだろうか。取り扱っているものがものだけに、決して気は抜けないが、今くらいは手放しで喜んだっていいはずだ。
しかし、この取り引きの立役者であるはずのヴァイスの表情は、未だ固いまま。覚えたばかりの方法で祈術を使いまくり、貴族も足を踏み入れるような店で、兄弟が余計なことをしないよう、ずっと気を張っていたせいだろう。
疲労と極度の緊張状態を強いたので、中々抜けないのは仕方ないと思うけれど、せめてもう少し力を抜いて欲しい。今後も商売の要である彼に倒れられては困るし。
「それじゃ、お疲れ様。私は自分の部屋に帰るからゆっくり休んで」
「なぁ」
私が居たら休めないだろうから早々に退散しようと、古びたドアノブに手をかけた時。背後からのヴァイスの声に引き止められる。
「アンタ、何なんだ。冥徒の癖に祈術に詳しいし、国家機密さえ知ってる。貴族らしい振る舞いも出来るし、商人相手に交渉も出来る。市勢にだって詳しい。……本当に、何者なんだ? 俺たちを使って金を集めてどうする? 一体、何が目的なんだ?」
振り向けば、脅えたような、気味の悪そうな、畏怖の視線が突き刺さる。
あぁ、そうか。上手く行き過ぎて、逆に怖いのか。本当に自分や兄弟の身を、私に預けても大丈夫なのか、騙されてはいないか、不安で仕方がないのだろう。
その気持ちは、わかる。私もかつてそうだった。
ここに来たばかりの頃。周囲には極めて優しくされ、皇子や仲間たちに傍で守られ、旅先で起こるトラブルと、すぐ都合の良く見つかる解決策。都合が良すぎる、騙されてるのでは、と何度も疑って、そして……信じた。慣れたと言っても良い。自分にとって都合の良いことしか起こらない状況を当たり前と思わされ──そして、裏切られた。
「……そうね、貴方には教えておくわ。私の目的はね、ある男に近づくこと。近づいて、ありとあらゆる嫌がらせをして、邪魔をして、蹴落としてやりたいの」
「は……? 嫌がらせ……? 蹴落とす……?」
露ほども想定してない答えだったのだろう。ヴァイスは虚をつかれたような顔で、私の言葉を繰り返す。
「でもその男、結構な社会的地位にいてね。近付くにも嫌がらせするにも、何かとお金がかかりそうなの。だから、お金を稼ぎたい。ヴァイスたちには、その手伝いをしてほしいの」
「なん、だよ……それ……正気か? 何かの冗談か? わざわざそんなことをするためだけに、金を集めて……アンタ……」
イカれてる。
そう呟いたきり、ヴァイスは困惑した様子で黙り込んでしまう。
それはごもっとも。昔の私だって「何て馬鹿なことを」と思うだろう。「そんなことのために苦労して金を稼ぎ、人生を棒に振るようなリスクを冒すなんて」と。
ええ、馬鹿で結構。イカれてる、その通り。 それでも、私は、
「どう思われても結構。……でも、私はやるわ。あの男に叩き込まれた知恵と知識で、あの男を蹴落とすの。愛した男に裏切られた女が一体何をするのか──その身にとくと、味あわせてやるわ」