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スラム育ちの三位一体令嬢は忠誠を捧げたい  作者: 烏兎徒然
一章 下剋上
4/6

次なる一手

「おっ! ベン!! ギド!! エレノワールが帰ってきたぞ!」


歩いて帰宅してきたエレノワールを見つけたダニロが大声を上げて、ボロ小屋の中に走り去っていく。



エレノワールが帰還したことで、ベンを筆頭に窃盗グループは、臨時収入よりもなにより、エレノワールが魔石を持ち逃げしなかったことを喜んだ。


そしてどれだけの収入を得たのか聴きたいのをグッと堪え、エレノワールを小屋の中に招待し、万が一にも他の誰かにバレないよう、リーダーのベンが小声で尋ねる。


「で、どうだったよ?」

「……正直魔石は魔石でも、あれらは全てクズ魔石と呼ばれる類のものだというのは、分かっていますか?」

「クズ魔石……?」


ベンはどうやら理解できなかったようで首をひねる。

それを見かねて、参謀役の副リーダーのギドが変わりに答える。


「ベン、あれは魔石の中でも小さく純度が低いものだ。つまりクズ魔石というのは、そういう純度が低い物の事だよ。とはいっても富裕層向けの装飾品としての価値も充分あるし、魔法の触媒としても使えるからね。需要は多い。全部買い取ってもらえたとして、精々正規の相場は銀貨三枚もあれば儲けものってところかな?」

「なるほどなー」

「銀貨三枚!」


ベンは納得したように首肯する。

ダニロは銀貨三枚という言葉に喜色を隠せず、エレノワールに近づく。


「で、いくらだったんだ! 買い叩かれなかっただろうな!」


ダニロだけではなく、気にしない素振りをしているベンやギドもソワソワしているし、もちろん最年少四歳のレナを除いた、女の子達も期待の面持ちでこちらを見ている。


「魔石だけの値段でしたら、金貨一枚に小金貨五枚ですね」


エレノワールはそういって、ローブの内ポケットからお金を取り出す。


「は?」


ベンとギド、そしてダニロは呆然とその輝かしい金色を凝視する。


「まあ今回限りの絡め手ですね。私の魔力は少し特殊なので、魔石に純度の高い魔力を注いで、かなり付加価値を付けました。魔石のなくなった今では今後同じ手は使えないので、他の小金稼ぎにはまた別の案を考えなければなりません。魔石以外の装飾品は金貨一枚で売れましたので、正確には合計で金貨二枚に小金貨五枚ですね」


誰もがエレノワールの言葉は耳に入るものの、しかし脳が処理を受け付けないでいた。

一般的兵士の月給は銀貨で二五枚ほど支給される。

銀貨が五枚程で小金貨一枚。

その小金貨が十枚で、だいたい金貨一枚程度になる。

階級付き隊長兵士の月給が金貨一枚ほどであり、それを考えると大金である。

小さな村なんかでは、一家で慎ましく暮らせば小金貨が一枚もあれば一月は生きていける。


スラム街育ちの孤児が持っていいような大金ではない。

とはいえこれは一時的なもの。

あくまで臨時収入。

それに胡座をかいて、無計画に使うことなどあってはならない。

それはベンもダニロもギドも誰もが考えていた事であった。

しかしエレノワールはあっさりとした表情で、さっそくお金を使う事を提案する。


「このお金を元手にまずは全員分の服を買いましょう。古着屋で適当に見繕って、それから私の清浄(クリーン)の魔法を使います」

「ちょ、ちょっと待った! ……服なんていらなくないか?」


ダニロのその言葉に、リーダーのベンも、参謀役を務めるギドでさえも同意する。

エレノワールはその様子に嘆息し、ベンを見つめる。


「貴方達に目標はあるんですか?」

「目標……?」

「ええ、これからどうなりたいのだとか。何をやりたいのだとか。そういったことです」

「……い、いや。今迄生きていくことで精一杯だったし……いきなりそんな事を言われても」

「他の皆様もそうなのですか?」


ぐるりと皆を見渡すと、さっきまでの喜色満面の笑みから気まずそうに誰もが下を向く。


「なるほど。私はあります」


エレノワールが断言してみせると、皆が少し不服そうな顔をする。

そんな中ベンがエレノワールをにらみつける。


「…………目標があれば偉いってのかよ」

「そうは言いません。偉いとか以前の問題です。前にも言いましたが、私は貴方達を人間だと思ったからこそ、貴方達の元に訪れたのです」


静かに睨み返す。

その威圧感に、うっとベンは言葉を詰まらせる。

しかしやはり皆、なにか言いたげな様子は分かっている。

だからこそエレノワールはあえて耳障りのいい言葉を告げる。


「私の目標は貴方達と一緒に表社会で生きていく事です」


静かに。しかし堂々と宣言する。

すると下を向いていた者たちもそっと顔をあげる。


「まずはスラムの子供と思われない格好。それで日銭を稼ぐこと。一応計画はあります。とりあえず半年以内には皆が毎日パン食べる事くらいは出来るようになるでしょう」


◇◇◇


「なあ。あいつのこと――エレノワールのことどう思うよ」


ベンは腕を組んで胡座をかいて座り、他の面々も円を作るようにして座っている。

エレノワールは四歳のレナを連れ、早々に就寝したため、こっそりとエレノワールとレナを除いた全員で会議することに。


「僕は副リーダーで頭をつかう立場だけど、正直エレノワールにはまったく敵わない。元貴族令嬢なら、そもそも教養の土台も違うしね。なにより僕たちが出来ない魔法を扱える事が出来るし、死蔵してた魔石達のような、僕たちでは売れない品を大金に変えてくれた恩もあるしね」


そう言ってギドは肩を竦める。


「ああ、俺も金貨なんて初めてみたぜ。魔法を使えるエレノワールはなにより有用だ。それにアレだけの大金を持ち逃げする事も出来たろうに、律儀に戻ってきてくれたんだ」


力強い目つきでダニロは感動したように言った。


そんな中で女性では最年長十歳のニーナは、いつもの快活な雰囲気を隠し、静かに言葉を紡ぐように。

ぽつりぽつりと。


「それだけじゃなくってさ…………私は、さ。ずっと人のなりそこないなんだと思ってた。けど、エレノワールはさ、私達を人間だって言ってくれたじゃん。私は、なんていうか、それがなんだかすごく嬉しくってさ……」


あまり要領の得ない言葉であったが、その言葉に皆は真摯に耳を傾ける。

それは誰もがみな、心の中で思っていた事でもあったからだ。


買い出し班のサリーとエリサ。

二人はエレノワールより二つ下の七歳。

彼女達二人もニーナと概ね同じような事を語った。


そして少しの沈黙。

静かに口を開くのはリーダーのベン。


「俺は――正直エレノワールに付いていきたいと思ってしまった。アイツは多分俺らなんかよりずっと頭が良くて、度胸がある。それに……なんつーかさ。上手く言えねーけど、アイツについていけば本当に俺らでも底辺から抜け出せるんじゃねえかなって、なんかそんな気にさせられるんだよ……」

「ベン……」


ギドは静かにベンを見据えるが、ベンは以前腕を組み胡座をかいたまま床を見ている。


「今日出会ったばっかのやつを俺たちのリーダーにすることに、反対するやつはいるかもしんねえ。でも俺はそうしたいと思った。ついこの間までなんの希望もなかった。あったのはその日の飯にありつけるかどうかだけで、当然将来の目標なんてもんも考えたことすらなかった。けど……アイツは違った。俺はアイツに賭けてみたいと思う」


床から視線を上げ、一人一人の顔を見ると、皆がニヤリと挑戦的に微笑んでいた。

――ああ、こいつらも同じ気持ちか。



そうして翌日、エレノワールはベンから俺達の総意だ、と告げられリーダーを委任される事となる。

出会ってわずか一日半。

窃盗グループはエレノワールの手中に収まった。



実はエレノワールは、相手の些細な動作を真似て安心感を与えたり、何かを話す際は陽の光を後ろにしたりと、相手の無意識の心理を利用し、信頼とカリスマ性を獲得するよう動いていた。

警戒心が高いと言えど、一度懐に入れば底辺にいた教養のない幼い子どもの集団。

エレノワールが彼らを掌握するのは、あまりにも容易いことであった。


◇◇◇



エレノワールが窃盗グループのリーダーになって二週間が過ぎようとしていた。

そして今日、第一目標が達成されるかが決まる。


実は窃盗グループの中でも一番上手く物盗りができるのは、女子であるニーナであった。

まずエレノワールは彼女に髪の色素を抜く魔法を使った。

ニーナは赤い髪に藍色の瞳であったが、今では白い髪に藍色の瞳。

かつてのエーレを思い出す色合いにエレノワールはクスリと笑うと、ニーナに不思議そうな顔をされた。


ニーナに合わせて古着屋で買ったワンピースとローブに洗浄(クリーン)の魔法を。

そしてニーナ自身にも洗浄(クリーン)の魔法を使う事で、シラミを除去しスラム孤児特有の悪臭も消す。

ニーナは元々顔立ちは整っているほうで、エレノワールの魔法で微細な傷跡を消したりと、魔改造を施す事で、見た目だけならば商家のお嬢様といったところだろうか。


以前までの姿とは見違えたようになったことで、彼女には買い出し班としての役割を任せる事が出来るようになった。

元々窃盗の常習犯。

髪色などといった特徴などは覚えられていても、すぐに走り去るため、街の住民にじっくりと顔を見られる事はなかったので、まずバレる事はないだろう。


そしてそんなニーナには二週間、同じ時間に同じルートを辿って、パンを買う事を義務づけた。

その際にエレノワールから厳命されている事が二つあった。


まずは帰り道では必ず武器屋の少し手前あたりでパンを食べながら帰り、ほんの少し冷やかし程度に店内へ入り、パンを食べ終わるまで武器を眺め、そして帰宅する。

もう一つは一日毎に服装を変える事。

一つは古着屋で買ったワンピース。

もう一つはそのワンピースの上に目深にかぶったローブを纏って。

多少怪しかろうと、見目の良い少女がローブで顔を隠すという行為は対策の一つとして充分にありえる。


それを二週間、続ける。

それだけの時間があれば多少の怪しさも日常に紛れてくれる。


◇◇◇


そして二週間目の決行の日。


今日も同じく深くローブを被った子供が現れるが、手に持ったパンを見た店主はいつもの少女だと一瞬で気をそらし工房の方へ。

店主も初めこそは訝しげに思っていたものの、子供の時分は剣に憧れるもの。

それが少女であるのは珍しいとは思ったが、ただそれだけ。

いつものパンを食べるその時間だけとなれば、特に何かを言うことも憚られた。

今日もそうなのだと、店主は特段気にせず。

しかしその日パンを食べ終えた少女は、机の上に整然と並べられた短剣を、机の端から大きな布で包むように無造作に手を滑らせ、ある程度纏まった本数を確保すると布を袋のように軽く閉じ、咄嗟に外へと駆け出す。


大きな音に驚いた店主は、少女が立て掛けの剣を落としたのだと思い、慌てて工房の奥から顔を出す。

しかしそれは勘違いであった。

棚に並べて置いてあった、短剣の類がまだらに無くなっていた。

床に落ちた短剣もいくつか。

しかし、それを合わせても、元の数には到底足りない。

一瞬呆け、思考が盗まれた事にようやく気づき、店主は慌てて店を出て少女を追いかける。


逃走ルートは予め決まっていた。

しかし大人と子供では体力にも差がある。

そのためのローブ。

逃走ルートの隠れ場所にニーナは潜み、その代わり路地の奥の方には同じローブを着た別の子供が。

一人で逃げ切られないのならば、全員がニーナのふりをすればいい。

ローブを目深に被った窃盗グループ達は、あちらこちらに表れては撹乱する。


窃盗で日々を生きていた孤児達にとって、この街の複雑怪奇な路地は庭も同然。

窃盗の罪は衛兵に捕まればムチウチの刑に処される。

子供であればそれが原因で死ぬことなど、殆ど当たり前のこと。

つまり捕まれば死、という日常を過ごして来た彼ら。

手の中にあるそれが、普段より扱いの難しい荷物だろうと、なにも問題はなかった。

ましてやエレノワールは街中のあらゆるルートを記憶し、既に巡回する衛兵の癖までも見抜いている。

逃走ルートは完璧であった。



そして息を荒らげたメンバーが続々とアジトへと帰ってきて、無事に皆が合流することができた。


「あっはっはっは! 疲れたー!! でも成功だね!」


息も絶え絶えの汗だくのニーナが、それでも楽しそうに笑った。

もちろん他のメンツもそれぞれ全力疾走していたため、肩で息をしているが、その表情はみな笑顔であった。


戦果は短剣十二本に、切れ味重視の小剣が二本。


店主と入れ違いで、皆と同じお揃いのローブを被ったエレノワールは、そのまま何食わぬ顔で手頃な小剣を二本持ち出し、路地に入り込んでいた。

エレノワールが皆に逃走ルートの指示をしていたので、店主がどこにいるかなど計算すれば鉢合わせる事もない。



エレノワールが欲していたのは、何よりも先にまず武器であった。

しかし金貨と小金貨は大事にとっておきたい生命線。

未だ古着と食料以外には使っていない。


「ニーナ、お疲れのところ申し訳ないですが、こっちに来てください。髪の色を戻しますよ。申し訳ないですが、完全に前と同じ色の髪色にはならないでしょうが」

「うん、大丈夫、大丈夫。むしろ変わってた方が逆に窃盗犯の私と一致しない分いいよ」


木箱の上にドサリと座り、背中をエレノワールに預けるニーナの言葉に衝撃を受けて一瞬固まってしまう。


エレノワールにとって自身という存在というのは、絶対であり唯一。

だからこそ少しの瑕疵もあってはいけない。

その思考が根底にあるからこそ、ニーナも同じように考えていると当たり前のように思っていたが、本来の人というものは、そこまで自身に絶対的な執着をしない。

ましてや孤児であればなおさらである。

そしてなによりニーナの考えは合理的で、普段合理で動いている自分にも、非合理的な知らない感情があると気付かされた。

だからこそエレノワールは、ニーナの言葉に新鮮に驚いた。


「――たしかに…………そうですね。何か希望の色はありますか?」

「ん、とくにないかな。でもせっかくエレノワールに綺麗にしてもらったから綺麗な色がいいかも」


木箱に座ったニーナは足をブラブラとさせて上機嫌。


「わかりました。では瞳の色に少し合わせてみましょうか」


元は赤い髪だったニーナは、今回の件で一度真っ白に。

エレノワールが手をかざして、瞳の色に合わせた薄い水色の髪をイメージして魔法を行使する。

手のひらサイズの魔法陣が宙空に現れ、一瞬小さな光を発すると、みるみるうちにニーナの髪の色が変わる。


「これでどうでしょうか?」

「おー! いい感じ! エレノワールはすっごいねえ! ありがとうね!!」


前髪をつまんで自分の髪色を確認したニーナは、まだまだ上機嫌に足をぶらつかせている。

よほど今日の活躍が嬉しかったのだろう。


「いいえ、こちらこそ。大変な仕事をしていただきましたので」

「それにしても魔法ってすごいねー。こんな簡単に髪の色を変えられるなんて」

「メラニン色素の配分を少し変えて脱色さえしてしまえば、酸化反応を結合してあげるだけですよ」

「メ……メラニ?? サンカ……?」


当然ながら髪の色をコロコロと変えたりするような魔法は、一般的ではない。

それは髪の脱色や染色が当たり前の時代を知っている、エレノワールだからこそできた魔法だと言える。


そんな二人が話している少し離れたところでは、ダニロとベンが、おーっ、としきりに小剣を持ち上げてはベンが楽しそうに素振りしている。

まったく様にはなっていないが、武器があるとないとでは、やはりここらスラム地区ではだいぶ違う。

なにせ初めて会った際のベンは、震えながら木の棒を持ってエレノワールに対峙していたのだ。


「その小剣の片方は私のですので、もう一本は年長でリーダーだったベン――か、気の強いダニロか、どちらかが使ってください。刃の薄い方が私のです」


年長であり、リーダーとして窃盗グループを今までまとめてきた、ベンに渡そうと思っていたエレノワールであったが、初めて会った際のベンの腰の引けっぷりを思い出し、あまり期待できなさそうなので、正直ダニロに持って欲しいところであった。


どう誘導したらいいものかと、考えるエレノワールだったが、しかし予想に反してベンはダニロに小剣を譲った。


「じゃ、これはダニロだな」

「え? いいのか?」

「俺にはこの短剣があるからな!」


言ってベンは、無造作に盗んだために、ちょうど入れられていた帯剣ベルトから下げた、小ぶりのダガーを軽く叩く。


「でもよ……」

「いいんだよ。この中じゃ一番体格の良いダニロが持っていってくれ。情けないが俺じゃ上手く扱える自信もないしな」

「……わかった! ベンがそれでいいなら、じゃあオレが持つぜ!」


言うなりダニロは嬉しそうな顔で小剣を受け取り、腰にぶら下げた鞘に納める。

その様子を見て、エレノワールは内心ほっとする。


――まぁ、なんとかこれで戦力は増やせたでしょうか。


そして残る男組はあと一人。


「ではギド。小剣は二本しか盗めませんでしたが、何か希望や異論等はありますか?」


エレノワールの言葉に、ギドは肩を竦めて小さく首を振る。


「特にないよ。僕はあんまり身体も大きくないし、ダニロ程運動も得意じゃないからね。できれば軽いほうが助かる。だから僕もベンと同じで短剣で充分かな」

「わかりました。あ、でもこれなんかは、いかがでしょう?」


言ってエレノワールが一度小屋に戻って取り出してきたのは、短弓と矢筒だった。


「……弓? いつの間に……こんなモノまで盗んでたの……? えっと、それでそれは僕が使うの?」

「盗んだ訳ではないですよ、これは私の手製です。この拠点には色々な物がありましたから、有り合わせで適当に作ったものですが。正直私の魔法だけでは、万一の場合に対応できないときもあるかもしれません。だからこれはあくまで予備として持っておいて、たまに練習でもしていてください。この中では比較的頭の良い貴方なら状況判断も的確でしょうし、弓との相性は意外と良いかもしれません」


ギドは少しの間考え込むような仕草を見せたが、やがてゆっくりとうなずいた。


「それに私も剣は扱えますが、さすがに弓は専門外ですので。よろしくお願いしますね」

「分かった。練習しておくよ」


そういってギドに笑顔で告げるエレノワールだが、実のところ弓は専門外だというのは嘘である。

正確にいえば嘘ではないが、真実ではない。


あの女は巫女になる以前、唯一懐いていた祖母からあらゆる武術を叩き込まれていた。

祖母の道場は歴史ある道場であったため、そのツテで色々な道場を渡り歩き、その中にはもちろん弓術も含まれている。

薙刀や棒術、柔術、合気道から果ては太極拳までと、幼い頃から護身用と評して鍛え上げられていたのである。

それも祖母が亡くなってからは、パッタリと途絶えてしまい、その後、実の両親の操り人形とされる人生だった。

指導は厳しいものであったが、自身を唯一愛してくれた祖母。

あの女の人生で一番幸福な時間であったのは言うまでもない。

あの女の記憶はノワールであった頃から常に悩まされていたもので、当然エレノワールはあの女を好いてはいない。

むしろノワールはとても嫌っていたが、今はそれでも同情する余地はあると思えている。

そんな感情の変化は、きっと心優しかったエーレの残滓なのだろう。


短弓を受け取ったギドは、自分たちの事を色々と考えてくれるエレノワールにとても感謝していた。


「ありがとう……エレノワールさん」

「はい。それではまず、その矢を矢筒に入れて背負ってみましょうか」

「こう?」


言われたとおりにギドは背中に矢筒を背負い直す。

その姿を見たエレノワールは、矢筒も短弓もスラムの端材だけで作り上げた粗雑なもので、見た目はあまり良くないが、充分に戦力となりうるだろうと満足げに微笑んだ。


「大丈夫そうですね。それでは次は、短剣を抜いて構えてみましょう」


言われるまま、ギドは短弓を地面に置いて、腰から抜いた短剣を構える。

すると、それを見ていたベンが驚いたように声を上げた。


「あれ!? なんだギドその弓。お前、結構様になってんじゃねぇか?」

「へぇ~、良いじゃんギド! やっぱり元副リーダーなだけあるな!」


ダニロも褒めているようで、実は皮肉めいた言葉を口にする。

そんな二人に対して、ギドはやや照れくさそうに笑った。


「そ、そうかな?」

「ええ。なかなか堂に入っていますよ」


二人の言葉を特に否定する必要もないと、肯定するようにエレノワールも口を開く。


「では最後に一度素振りをしてもらってもいいですか?」

「うん、わかった」


再び、ギドは腰から短剣を抜き放つ。

そして大きく上段に振りかぶると、そのまま力強く一気に振り下ろした。

ブン! という音と共に空を切る風切り音が辺りに流れる。

まるで長剣を扱うかのような動きで、ナイフを振るうのだ。

その動きを見て、エレノアールは密かに嘆息する。


「……少し練習する必要がありますね。短剣はまず剣とは違う武器と理解してください」


流石に呆れられていることが分かったのか、気まずそうな表情を見せるギド。


「そ、そうだね。なんかごめんね」

「まあ、実際に武器を扱うとこを見たことがなければ仕方ないかもしれませんね」


エレノワールからしたら、はじめの立ち姿の時点でも矯正したい部分が多々あった。

彼らはこの裏路地で生まれ育ったのだ。

喧嘩や死体は見たことはあるかもしれないが、正直ここらで剣を振るうような人間など見たことがないのだろう。

まずは基礎の基礎から教える必要が出てきた。


「先程のではナイフというより剣の扱いです。このナイフなら例えばこのように逆手持ちで、殴る動作にリーチが加わったような感じで振るってみてください。もしくは小柄な体躯を活かして、突進するように全体重を加えて、相手の胸を直接突いてナイフを挿し込むとか――」

「……なるほど」


エレノワールの動きを見て、すぐにギドも真似をする。

その素振りは手本を見せたこともあって、当たり前であるが先程とは雲泥の差。


ギドは地頭の良さからか、武器の効率的な扱い方をなんとなく把握しているように思えた。

敵に見えないような位置でダガーを構えて、架空の相手を突き刺したあと、撚るようにしてから武器を引き抜いている。

知識がないだけで、元々の吸収率は良いのだろうと、エレノワールはそんなギドの素振りを一目見て総評した。


「それと、ダニロも一度素振りをしてもらっていいですか?」


孤児の常識の無さ、ただしく刃物を扱うことすら出来ないとは思わなかった。

同じ孤児であるダニロも、ギドと似たようなものなのではないかと今更ながら思い至り、一度確認しておく必要があった。


「ん? おう!」


ダニロは元気よく返事を返すと、手にしていた小剣を両手で持ち直し、軽く二度ほど振ってみる。

その姿を見て、またベンが驚いたような声をあげる。


「お、おい! ちょっと待てよ! なんでそんな綺麗な素振りができるんだよ!」

「あ、ああ。それはほら、俺も一応は自分と仲間の身を守るために、木の棒で毎日素振りとかしてたからな」

「……そうか。そういえば、スリの空き時間にはなんかそんなことやってたな……」

「まあ、でも昔死んだ親父の見よう見まねでど素人だけどな」


言ってダニロは照れたように頭を掻く。

しかしその様子を見ながら、エレノワールも内心驚きを覚えていた。

確かに多少ぎこちなさはあるものの、それでも先程のギドと比べれば圧倒的な動きを見せるダニロ。

むしろ比べるのも失礼なレベルである。

その後も上段からの斬りかかりや、袈裟斬り、逆袈裟斬り、水平斬りと色々な角度からの剣を自在に繰り出してみせた。


そうして何度も剣を振るうが、肉付きの悪い細い身体であるのにも関わらず、重心は殆どブレていない。

体幹が恐ろしいほど、しっかりしているのだろう。

それはまさしく天性の剣才があるといっていいものである。


剣の扱いに関しては、貴族の嗜みとして幼少期から高名な剣士に師事を受けていたエレノワールは、ダニロの意外な才能に驚くばかりであった。



これで最低限の戦力は整った形。

瞳を輝かせながら、短剣や小剣を扱う面々を見て。

あとは地道に全員に戦闘訓練を施しながら、とりあえずの目標として半年後までには、他グループも吸収したいですね、とエレノワールは頭の中で緻密な計画を立てていく。

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