第8話 モフモフの女王
白猫のセイラを肩に乗せて、大食堂へ行った。
夕食はバイキング形式で、ざっと30人ほどの客が食事をしていた。
僕がトレーをとって、野菜や肉のバランスを考えて選んでいると、セイラがケーキやプリンを勝手にポンポン載せてきた。
「デザートはあとにしよう。また並べばいいから」
「どうしてデザートはあとなの?」
「先に腹いっぱいになって、栄養のあるものが食べられなくなるでしょ?」
「プリンだって栄養あるよ。卵だもん」
「全然違うよ。お菓子ばっかり食べてたら、病気になるぞ」
「例えばこんなふうに?」
セイラが突然2倍になったので、その重みでよろけた。
「どう? 糖尿病の猫よ」
「コラッ! イタズラするな! 危うくトレーをひっくり返すところだったろ!」
並んで料理をとっていた客たちが、僕をジロッとにらんだ。それはそうだ。非常識にも肩に猫を乗せてやってきて、その猫に話しかけたり怒鳴ったりしているのだから。
が、そのうちの1人の女性客が、
「あなた、猫がお好き?」
と訊いてきた。僕が、ええ、まあと答えると、
「私、モフモフちゃんに目がないの。よろしければ、モフらせて下さる?」
上品そうな人だったので、ええ、いいですよと許可した。
「失礼します」
女性は長い髪を後ろで束ねると、気合いを入れた表情になり、セイラの腹に顔をうずめてブルブル首を振った。
「むー、このモフモフは、Sランクだわ!」
女性は感嘆の声をあげると、ぷっくりとした唇で、セイラの肉球をチューチューと吸った。
「汚いですよ。外を歩いた足ですから」
「あら。モフモフちゃんに、汚いという概念はないのよ」
女性が上気した顔を振り向けて言うと、
「汚いのは、あんたのヨダレだよ」
セイラが僕の服で足を拭きながら言った。
え? と女性が目を丸くして猫を見たので、僕はセイラの正体がバレてはマズいと思い、
「あんたのヨダレが汚いって言ってんだよ!」
と、女性の肩をドーンと押した。
「んまー!!」
女性は目をつり上げて怒った。その顔にはもはや上品さのかけらもなく、後ろで束ねた髪はほどけて逆立ち、文字通り怒髪天を衝いた。
「どうした、メドゥーサ?」
パーティー仲間と思われる男性が寄ってきた。よく見ると、メドゥーサと呼ばれた女性の髪は、無数の蛇に変化していた。
「この男が無礼にも、私を突き飛ばしたのよ!」
男はそれを聞くとふむと頷き、
「では外へ出て、バトルしましょう」
と言った。僕は慌てて、
「すみません、許して下さい、謝ります」
メドゥーサにペコペコ頭を下げた。しかしメドゥーサとその頭の蛇は、まだこっちを睨んでいた。
「どうする、メドゥーサ。許してやるか?」
「いいえ、許さないわ。私が死ぬか、こいつが死ぬかよ。さあ、勝負!」
メドゥーサの目が赤く光った。マズい。なんだか知らないけど、ヤバそうな必殺技を発動しようとしている!
と、そこへ。
「お客さん、困りますね。他のお客さまに迷惑ですよ」
樽のように太った男性がやってきて、蛇を数本握ってねじり上げた。
「いたた。何をするの。手を離しなさい!」
「お代は結構ですので、この宿屋から出て行って下さい。私は宿屋の主人です。そしてここでは私がルールです」
「何よ! こんな宿屋、二度と来ないわ!!」
メドゥーサが、3人の男を連れて食堂から出て行った。何匹かの蛇が、去り際に先の分かれた舌をベーッと出した。
僕は宿屋の主人にお礼を言った。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえ、こちらこそ、あんな蛇女を泊まらせてしまって。さあどうぞ、ゆっくりと食事をお楽しみ下さい」
と言いながら、主人がケーキをつまんだ。
「うん、旨い。ケーキを食べると、どうにも止まらなくなる質でして。さあ、私に食べ尽くされないうちに、お客さまもどうぞどうぞ」
ものすごいスピードでデザートを腹に詰め込んでいく。それを見て僕は呆気にとられていたが、やがて白猫がいなくなっているのに気づき、
「もしかして……セイラ?」
「うむ、バレましたかな」
生クリームのついた指を舐めて、宿屋の主人がウィンクした。
「アリスターも食べなよ。バイキングなんだから、もったいないじゃん」
「セイラの食べっぷりを見てたら、お腹いっぱいになったよ」
「どう、私の【変容】は?」
「さすがSSSランク、って言いたいけど、ちょっとふざけすぎかな」
「ユーモアって言って」
まあ確かに、面白いのはいいことだ。一緒にいるだけで楽しくなる。
でもそれだけではない。
【変容】は、実に役に立つスキルだ。
バトルになりそうになったとき、その相手より強そうなのに【変容】したら、今のように闘わずに【回避】できる。
バトルが嫌いで、しかも戦闘能力のない僕にとって、【変容】を極めたセイラは最高のパートナーだった。
「セイラって、バトルをしたことはあるの?」
「学校の大会に出たくらいで、実戦はないわ。冒険の旅に出るのは初めてだから」
「大会の結果は?」
「一度も負けたことないよ。全部優勝。相手より強いのに【変容】するから、みんな【降参】しちゃうの」
「やっぱり! じゃあこの旅も、その作戦でいこう」
「どうかなー。実戦じゃ、そんな簡単に【降参】してくれるとは思えないけど」
と言って腕を組んだセイラの肩を、後ろから叩いた者がいた。
「ちょっと」
その人物は、立派なヒゲを蓄えた口元に拳を当てて、エヘンと咳払いした。
「困りますね、勝手に【変容】してお客さまを騙しては。私はこの宿屋の主人です」