第62話 真・幅跳び伝説
「ところでどれが、カール選手かな」
僕はいちばん近いところにいた観客に訊いてみた。
「知らないの?」
アンビリーバブル、オーマイゴッドと客は手を広げた。
「国王の次に有名なのが、カール君なのに。ほら、あの第4コースの選手さ。ヘイ、カール!」
客がそう言って手を振った。もちろんカールはそれに応えず、真剣な表情でクラウチング・スタートの体勢をとった。
なかなか気品のある顔をしている。スポーツ選手でありながら、学者か実業家のような雰囲気がある。
「そして隣の第5コースのベン君が、カール君の最大のライバルさ。ベン君も頑張れ!」
ベンの筋肉は、恐ろしいほど盛り上がっていた。肩の三角筋の膨らみが、顔よりも大きいほどである。
一方。
第8コースの我らがボルト(チビ鬼を背負った青鬼)は、筋肉こそベン以上のものがあったが、まったくやる気を見せず、スタートラインでヤンキー坐りをしていた。
「あー、100メートル走なんてマジだりぃ」
「こらあ、鬼、いや、サンダーボルト!!」
僕はゲーム台からフィールドに向かって怒鳴った。
「お前もクラウチング・スタートをするんだ! みんなと同じ格好をしろ!」
「マジでえ? チビちゃんが落っこっちゃうよ」
「チビはしがみついてろ! 今からボルト君は、世界新記録を出すからな!」
僕のセリフは、近くの観客から嘲笑を引き出した。
(笑いたければ笑うがいい。ステンレス定規の威力を、とくと見せてやる!)
「オン・ユア・マーク」
青鬼がしぶしぶといった様子で、クラウチング・スタートのポーズをした。
僕もまた、RUNボタンに定規をあてがってスタートの合図を待った。
「ジャック、この種目では、JUMPボタンは使わない。僕の連打だけが勝負を決める。ニュー・ワールド・レコード達成の歴史的瞬間を、その目に焼き付けてくれ」
「セット……ゴー!!」
ビンビンビンビンビンビンビンビンビンビン!!!
僕は全力で定規を弾きまくった。毎秒20回の連打を目指して。
がーー
「あーっ!」
全員がスタートを切ったのに、ボルトだけが、クラウチングポーズのまま止まっていたのだ。
「しまった! ハイ◯ーオリンピックでよくあるバグが出ちまったあ!」
もはやこれまで。この種目は諦めるしかなかった。
レースは、ロケットスタートをしたベンがリードしていた。そのあとをカールが追う。
なかなか差は縮まらない。このままベンの勝利か、と思われたとき、カールが加速してきた。
逃げるベン。追うカール。残りは15メートル。会場のボルテージは最高潮に達した。
と、そのとき。
「なんだあ!?」
クラウチングポーズのまま、地を滑るようにして、ボルトがグングン他の選手を抜いてきたのだ。
「わあ、バグってる、バグってる。もはや制御不能だあ!」
残り10メートルでカールとベンをとらえたボルトは、そのまま疾風のごとく抜き去ってゴールした。
「ニュー・ワールド・レコード! 8秒03!」
観客の誰もが呆気にとられていた。それはそうだろう。まさか雑巾がけのスタイルで走る選手が現れ、しかもそれが優勝をかっさらうとは夢にも思わなかったはずだ。
だが、
「ボルトー! ボルトー!」
我に返ったあとは、観客たちは勝者を称えた。ニューヒーローの誕生である。やはりスポーツは結果がすべて。客の注目は、カールからボルトへと一瞬にして移った。
「見ろよ青鬼のやつ。客に手を振ったりして、満更でもなさそうだぞ」
そう言うジャックも、どこか誇らしげであった。ジャックだけではない。ラブちゃんもピヨちゃんも、歓声を浴びる鬼の姿を嬉しそうに見つめていた。
(今回は、偶然バグがいい方向に転んだ。しかしまだ種目は9つもある。気を緩めずにいかないと)
青鬼を見ると、すっかり調子に乗り、最前列の客とハイタッチをしたり、金棒を矢に見立てて弓を引くポーズをしたりしていた。
「おい、ボルト。狙うは総合優勝だ。ファンサービスもほどほどにしとけよ」
「なあに、楽勝よ。寝てても俺が勝つ!」
観客の手拍子に合わせて鬼ダンスを披露する始末。それを尻目にカールやベンは、次の種目のために黙々とストレッチをしていた。
「どうやら次は走り幅跳びだな。ジャック、今度はジャンプのタイミングが物を言う。踏み切りラインに来たらボタンを押して、角度が45度のところでボタンを離してくれ」
「上手くできるかなあ?」
「大丈夫。僕が今だって言うから、その瞬間に押したり離したりしたらいい。簡単だろ?」
やがて走り幅跳びが始まり、選手たちが次々に跳んだ。みなジャンプは上手である。しかし助走のスピードは、ボルトの敵ではなかった。
「これならいけるぞ。お、ベン君が跳んだ。8メートル10センチか。助走は良かったけど、筋肉がありすぎて身体が重いな。そしていよいよカール君……うわあ、素晴らしい。跳躍フォームの美しいこと。記録も9メートル30センチで断トツトップだ。さすが本命。しかし勝つのはボルト君だ!」
青鬼がスタートラインにボサッと立った。僕は定規を弾くことに集中した。
ビンビンビンビンビンビンビンビンビンビン!!!
ついさっき出した世界記録を上回るスピードで助走するボルト。その右足がラインを踏んだ瞬間、
「今だ!」
「い、今ね?」
ジャックがボタンを押す。すると大理石のゲーム台に、角度が表示された。
38度……42度……
「今だ!」
「今?」
「そう! 聞き直すな! 離せ!」
「……ごめん。45度過ぎちゃったけど?」
「いいから早く離せ!」
ジャックがもたもたしたせいで、我らがボルトは、驚異の87度でダーンと跳躍した。
「あー、バカバカ。ほとんど垂直跳びじゃないか!」
ボルトは空高く舞うと、尻を下にして、ジャンプしたのとほぼ同じ位置に落下した。
「記録、50センチ!」
観客はしらけきった。
優勝したカールは歓声を浴び、尻を押さえて転げ回るボルトは、もはや誰からも相手にされなかった。




