第258話 聖女との婚約
ふと気づくと、僕たちの後ろに、ラウール4世とヒミコさんが立っていた。
「お姫様が沈んだら、湖が変わっちまったな」
僕は立ち上がって、2人に頭を下げた。
「ありがとうございます。ラウール4世さんとヒミコさんのおかげで、アイリンを無事に取り戻せました」
「違うな。助けたのは俺たちじゃない」
ラウール4世が、湖に石を投げ込んで言った。
「ピストルで胸を撃たれたのに、その痕が消えている。この湖にゃあ、とんでもない秘密が隠されてるな」
僕は黙っていた。水竜のことは、誰にも話さないほうがいいと思った。
「まあ、いい」
ラウール4世は涼しげに笑った。
「城は沈んじまったし、お宝も水の底って訳だ。ひょっとしたら、この湖そのものが、伝説のお宝なのかもしれないな。だったらデカすぎて、オイラにゃ盗めねえや」
「ラウール、私は行くわよ」
ヒミコさんは、黒い大型バイクにまたがった。
「またどこかで会いましょう、ラウール」
「おい、ちょっと待った」
ラウール4世が、ヒミコさんのバイクの後部に取り付けられたボックスを押さえた。
「ヒミコ、こん中にゃあ、城から盗んだ宝石のコレクションがあるんじゃないのか? そうだろう?」
「お給料の代わりよ。お宝のために、住み込みのメイドにまでなったんだから」
「俺だってジジイの掃除夫に変装したさ。少しくらい分けてくれてもいいんじゃない?」
「ダーメ。それは伯爵に請求してちょうだい。じゃあねー♡」
ヒミコさんのバイクが轟音を立ててスタートし、
「待て〜!!」
それを追って、ラウール4世も停めてあった黄色い車に飛び乗った。
「お姫様、達者でな〜!」
窓から顔を出して手を振るラウール4世に、アイリンも笑顔で手を振り返した。
「またいつか、あの2人に会えるといいな」
僕がそう呟くと、
「ニーニー、見て」
アイリンが、湖の西側を指差した。
そちらからは、肩を落とした人々が歩いてきた。
先頭は、ジェイムズ・タイラー伯爵夫妻。
続いて、レオ・タイラーとリサ・タイラー。
リサは僕を認めると、胸の高さに両手を上げて振った。
案外、リサお嬢様はめげてない。彼女の明るさが、城も財産も失ったこれからのタイラー伯爵家を支えるかもしれない。そう思って、僕も手を振り返した。
そのあとから、召使いたちとゴロツキどもが歩いてきた。
彼らは僕たちのほうに寄ってきた。
「俺たち、働き口を失っちまった」
【巨人化】できる冒険者くずれが、そう言った。
「これを機に、俺は用心棒を辞めようと思ってる。王家に仕えるならまだしも、貴族の汚れ仕事をやるのはもううんざりだ」
「それはいい。せっかくすごい能力があるんだから、冒険の旅に出たら?」
と勧めると、
「そうだな。まだ人生はやり直せる」
そう言って笑い、仲間たちと共に歩み去った。
「じゃあそろそろ、僕らも行こう」
木陰で立ち上がって伸びをした。
「ニーニー、どこ行きますか?」
恐れていた問いだった。しかし、答えなければならない。
「アイリン」
きらめく湖水を見つめながら言った。
「僕は、冒険の旅の途中なんだ。仲間たちをずっと待たせてる。だから、彼らのもとに戻るよ」
するとアイリンは、
「私も行きます」
僕のうなじの毛は逆立った。
「いや……それはできない」
「どうしてですか? 私、足手まといですか?」
アイリンはさっと動いて、僕の正面に立った。
「私、強くなります。技も覚えます。モンスター倒します」
その真っ直ぐな瞳から、僕は視線を逸らした。
「悪いけど、弱いのが1人いると、パーティーにとっては命取りなんだ。冒険は女の子の遊びじゃない」
僕はひどいことを言っている。アイリンは、言葉を失っていた。
「アイリンは、ナハナハに残って、元王家を慕う人々と暮らすのがいい。アイリンの守護竜も、きっとそれを望んでいるよ」
「……守護竜?」
アイリンが首を傾げた。さっきは気を失っていて、アン湖の水竜のことは何も知らずにいるようだった。
「まあ、それはいいや。とにかく、僕には行く場所がある。ここでさよならしよう」
「わかりました」
アイリンは、真っ直ぐに答えた。
「私、一生独身でいます。ニーニー以外の人、好きにならないからね」
「頼む」
僕は地面に膝をつき、土下座をした。
「どうか僕のことは忘れて、アイリンは絶対幸せになって!」
「私、幸せです」
その確信のこもった声に、思わずアイリンの顔を見上げた。
アイリンの顔は、輝いていた。
「私、心も身体も清いまま生きたいのです。ニーニーと婚約して、誰とも結婚しないから、一生ずっと清いです」
「いやいや、婚約なんてーー」
「私の心だけの婚約です。ニーニーは、別の人と結婚していいよ」
「……どういう意味?」
「心が婚約したの。それが幸せ。ずっとずっと続く幸せよ」
「尼さんにでもなるの?」
「それ、よくわからない。ただこれが、自分で決めた生き方というだけ。ニーニーも、自分で決めたとおりに生きて」
不思議な子だ。本当に、不思議な子だ。
そして、その貴さは、やっぱり僕なんかが触れていいものではない。改めてそう思った。
「じゃあ僕は行くね。アイリンと出逢えたこと、一生忘れないよ」
「またいつか、ニーニーに会える。そう信じてる」
僕はアイリンに背を向けた。
未練がましく振り返ることはしなかった。いや、本当のことを言えば、めちゃくちゃ我慢して振り返らなかった。
それからどこをどう歩いたのか、よく覚えていない。
次の日僕は、〈クラブ:タマタマ〉に行き、ママからグレアム隊長たちの居場所を聞いて、合流することができた。
仲間にさんざん訊かれたが、アイリンのことは話さなかった。
そしてその日の夜、ナハナハのビーチからアヒルボートで出発した。
数日後、シン国に戻ると、僕らは逮捕された。
アヒルボート盗難の罪である。
それで2か月間ギルドカードを没収され、僕らはドブさらいの仕事などをして糊口を凌いだ。
グレアム隊長から追放を言い渡されたのは、そのすぐあとだ。
それから紆余曲折があり、僕は今、ナハナハに向かっている。
(またいつか、ニーニーに会える。そう信じてる)
それが実現するのだろうか?




