第257話 宝の秘密
アイリンは、頭を下にして落ちていく。
空中でそれを追う。が、追いつけない。
目の下にアン湖。
水しぶきを上げてアイリンが落下。
続けて僕も。
紫色に濁った水。
目を開けても何も見えない。
アイリンはどこだ?
しゃにむに水を掻く。
とーー
水がしだいに、透明になってきた。
どうしてだろう?
不思議に思っていると、水底のほうに、巨大な顔が見えてきた。
ゆらゆらと揺らめく顔。
それはーードラゴンの顔だった。
(え? こんなときに水竜にエンカウント? 僕ってどうしてこうついてないんだろう)
不運を嘆いた。ところが、
「王女様」
水を伝って、低い声が聞こえてきた。
「王女様、もう大丈夫です。私がお護りします」
よく見ると、水竜の小さな手には、気絶したアイリンが優しく抱かれていた。
なんと!
アン湖に棲んでいた竜は、アイリンの守護竜だった!!
水竜の目が、僕を見た。
「私はこの湖の主。そして、私が分泌する香料には、この世界をすべて買えるほどの価値がある。これがタマタマ王国に伝わる秘宝と呼ばれている」
なるほど。そしてそれが、この城に隠された宝として噂になり、ラウール4世やヒミコさんが宝捜しに乗り出したのか。
ラウール4世、お宝を手に入れるには、この巨大な水竜を倒さないといけないみたいですよ。諦めて下さい!
「私は城の現当主が嫌いだ」
水竜の声が伝わる。
「私の気分が悪いと、水は濁る。今、王女様の傷を癒したので、気分がとてもよい。だから水は澄んだ」
知りたいことを、次々と教えてくれる。僕の心を読めるのかもしれない。
このときの僕は、まだ知らなかった。
この世に精霊が存在することを。
のちにセイラたちと冒険し、森や火山の精霊と会った今では、この水竜の正体は湖の精霊だったのだなとわかる。
しかしそのときは、モンスターの一種と思っていたので、
「ごめんなさい」
心の中で謝った。
「僕たち冒険者は、たくさんドラゴン退治をしてきました。あなたの友だちも、傷つけたり倒したりしたかもしれません。謝ります」
僕の心を読んで、水竜が答えた。
「悪い竜は倒してもよい。ところであなたは、王女様を助けてくれた。望むだけ宝をやろう」
「そんな!」
僕は畏れ多い気持ちになった。
「宝なんていりません。アイリンの傷を癒してくれただけで充分です」
水竜が、じいっと僕を見た。
「宝がいらない?」
「はい、いりません」
「なぜだ?」
「宝なんてあっても、悪いやつに狙われるばかりで、落ち着かないからです」
「欲はないのか?」
「欲は……あります」
「それを言え」
「ちょっと、恥ずかしいです」
「言え。私に聞かれて恥ずかしがることはない」
まあ、それもそうだ。
「はい、では言いますが、この世界が【眼福】になることが、僕の願いです」
「眼福だと?」
「はい。僕は、この世に醜い争い事が多くて、生きているのが辛く感じるのです。でも、本来世界は素晴らしい場所なはずです。だから、その本来の姿になってほしい。そうすれば、誰もが幸せに生きられる。だから、欲しい宝は【眼福】だけなのです」
「そうか」
水竜の首が、ゆっくりと頷いた。
「ではちょっとした眼福をプレゼントしよう。この世界をほんの少しだけ、キレイにする」
「ありがとうございます」
意味はよくわからなかったが、とりあえず礼を言った。
「それから」
水竜は、厳かに言った。
「王女様を預ける。大切にしてくれ」
「いやいやいやいや」
僕は水中で、ブクブク泡を吐きながら首を振った。
「それこそ、僕には重すぎる宝です。あなたの力で、素敵な王子様と結婚させてあげられませんか?」
「結婚だけが幸せじゃないさ」
水竜が、なかなか現代的なことを言った。
「任せたぞ。そろそろ水上に戻れ」
水竜が、アイリンから手を離した。
アイリンが、ゆらゆらと漂ってくる。
それをキャッチしたとき、水竜が身を翻した。
すると、激しい渦が発生し、僕とアイリンはそれに呑み込まれた。
今度こそ死ぬ!
と思ったが、渦の中心に来てみると、そこは思いの外穏やかだった。
やがてアイリンを抱いた僕は、静かに水上に浮かんだ。
そのとき、見た。
ジェイムズ・タイラーの城が、アン湖に沈んでいくところを。
「マジか?」
信じがたい光景だった。が、現実だ。
(そうか。この世界をほんの少しだけキレイにすると言ったのは、このことなんだな。醜い心を持つ伯爵の城を、この世から消し去ったのだ)
僕はアイリンを左脇に抱えて泳いだ。そして湖岸に着くと、彼女を木陰まで運んだ。
「アイリン」
声をかけると、彼女はゆっくり目を開けた。
「……ニーニー?」
真っ直ぐな目が、不思議そうに僕を見た。
「ここ、どこですか?」
「アン湖の畔だよ」
アイリンは不思議そうな顔のまま、上半身を起こして、湖を見た。
「……あれ、アン湖ですか?」
「そうだよ」
「でも、城、どこありますか?」
「消えちゃった。汚いからかな」
「消えた? お城が?」
「そうだよ」
「だってそんな……それに、それに」
「どうした?」
「アン湖、とってもキレイ」
「うん」
僕は頷いた。
生まれ変わったアン湖は、きっとそれが本来の姿だったのだろう。どんな宝石よりも美しく、キラキラと照り輝いていた。




