第247話 伝説の湖の城
朝陽が湖に反射していた。
アン湖。
ナハナハでは、かなり有名な湖だそうである。
というのも、そこには怪談めいた伝説があるからだ。
「あの湖はね、その真ん中に建っている城の城主の心が清ければ澄み、悪ければ濁る。何百年も前から、そう言い伝えられているのさ」
タマタマのママが、そう教えてくれた。
今僕の目に映る湖は、不思議な色をしていた。
日光の反射のせいか、紫色に見えるのだ。
澄んではいない。
水面から下はまるっきり見えず、およそ生き物が住んでいそうな気配はない。
ひどく濁っている、と断定していいだろう。
そしてこの湖に浮かぶ小島に、優美な姿でそびえ立っている城の現在の城主が、レオの父のジェイムズ・タイラー伯爵だった。
昨夜、ママからアン湖への行き方を聞き、一晩中歩きとおしてきた。
パーティー仲間には告げていない。ママにも、内緒にしてくれるように頼んだ。
このゴタゴタに、仲間を巻き込む訳にはいかない。
彼らは、思う存分遊んだのち、またアヒルボートで帰ってくれればよい。僕のことなど忘れてしまって。
どうせ、ハズレスキル【眼福】の使い手など、途中でいなくなっても困らないと思っているだろう。特にあのガサツなグレアム隊長は。
湖畔を巡って、正面の門が見える位置に立つ。
頑丈な鎧戸などはない。
跳ね橋も降りていて、歩いて門をくぐれるようになっていた。
かつては、敵の侵入を防ぐために、橋を上げることもあっただろう。しかし、少なくともこの100年は内乱もなく、そんな必要はなかったはずだと、これもまたママが教えてくれた。
「先代のときのアン湖は、それは鏡のようにキレイだったって話だよ。今のアン湖は汚い。あんたたちみたいな観光客には、ぜひキレイなアン湖を見てもらいたいよ」
そう言うママの目は光っていて、
(冒険者の技で、心の汚いジェイムズ・タイラー伯爵を倒しちまいなよ!)
そんな期待を込めているようにも見えた。
しかし僕にはそういう技はないし、あっても使うつもりはない。
(囚われのアイリンを自由にしてあげること)
目的はそれのみだった。
さて、どうやって城に入るか。
おそらく、午前8時か9時くらいになれば、アン湖を見に観光客がある程度は来るだろう。
僕もそういう観光客の1人のフリをし、橋を渡って門をくぐってみたらどうだろう。
「何しに来た?」
と門番に咎められたら、城のファンであるとか、タイラー伯爵の遠い親戚だとか、適当なことを言ってみる。
もし追い出されそうになったら、隙を見て城内に走り込む。
あとは、鬼ごっこの要領だ。
これでもこっちは冒険者の端くれだ。思いもしなかった強力なモンスターとエンカウントし、崖のような坂道をすべり降りて逃げ切ったこともあるのだ。
そう簡単に、人間に捕まりはしない。もし逃げ足という競技があったら、世界陸上でもオリンピックでも優勝できる自信があった。
僕は待った。すると予想どおり、観光客がチラホラとやってきた。
「ホントだ。アン湖、汚いね」
「昔はキレイだったそうよ」
「この城の主人も嫌だろうな。アン湖が汚いのを、まるで自分のせいみたいに言われて」
「でも本当に、悪い人らしいわよ。悪どい金貸しをしてるんだって」
「なるほど。悪口を言われるには理由があるんだ」
汚いアン湖を見て伯爵の悪口を言うのが、ここに来る観光客の楽しみになっているらしい。それはそれで、旅の楽しみ方の1つではある。
僕はそろそろ良かろうと思い、口笛を吹きながら跳ね橋を渡った。
「立ち入り禁止だよ」
門番はいた。しかしあまりに暇なのだろう。座椅子に腰を降ろして読書をしながら、こっちをろくに見もせずに言った。
「観光できるのは湖まで。ここから先は、伯爵家の方々が住んでいなさるからね」
「あー、そうだったんですか」
この初老の門番1人なら、楽勝で振り切って城内に飛び込めそうだったが、いちおう話をしてみた。
「失礼しました。しかし噂どおり、アン湖は汚いですね」
門番は顔をしかめた。この話題は、あまり好きではなかったようだ。
「その本は小説ですか? こう見えて僕、小説が三度のメシより好きでして」
門番は表紙を見せてくれた。そこには、『侯爵令嬢は溺愛されたい』のタイトルがあった。
「おっ、恋愛物ですね? 趣味がかぶるなー。いやー、実は僕、お城が出てくる恋愛小説を書きたくて、資料を集めているところだったんですよ。伯爵様は、お城の取材を許可して下さいますかね?」
門番はゆっくりと首を振った。
「お忙しい方だからね。街の資料館へ行ってみな」
僕は腰を曲げ、グッと声を落とした。
「今のは冗談です。本当は僕、ジェイムズ・タイラー伯爵の隠し子なんです」
門番が顔を上げて、ジロジロと僕を見た。
そして一言、
「面影があるな」
ってアンタ、絶対老眼だろ!
「信じてくれたんですか? でも父は、未だに認知してくれなくて」
「それでも会いに来たってことは、金に困ってるんだろ?」
門番の思い込みに、僕は全力で乗っかった。
「そうなんです! 金貸して下さい!!」
「伯爵は、困っている人には無条件で貸してあげている。それなりに利子はつくが、背に腹は変えられんだろう? さあ、入りな」
こうして僕は、城に入ることに成功した。




