第23話 マイナーは悪か?
新たに家来になった青鬼に、僕は訊いた。
「この山を越えて北の国に行きたいんだけど、いいルートはあるかい?」
すると鬼は目玉をギョロリとむき、
「いいルートってのは、人間がバタバタ死ぬルートってことか?」
「いや、違う。安全に進めるコースのことだ」
「安全というのは、人間を安心して喰えるってことか?」
「いや、違う」
僕は鬼に注意した。
「鬼さんは、鬼目線がまだ抜けていない。僕たちの家来になったんだから、人間目線で考えてくれないと」
「難しいな。すっかり人間の心をなくした俺に、人間目線で物事を見ろだなんて」
「そんなに難しい? 昔は人間の料理人だったんでしょ?」
「まあやってみよう。どういう道を進みたい?」
「人間が、死んだり傷ついたりしないルートだよ」
「だったら、地獄谷がいい。この森を抜けてどこまでも下っていく」
「山を越えたいのに、下るの?」
「人間を死なさずに生け捕りにするんだろ? だったら、地獄谷に誘い込むのがいちばんだ」
「ほら、また間違えた。どうしても、人間を捕って食うことばかり考えるね」
僕は鬼に教えてもらうことを諦めて、これまで通り、ラブちゃんの嗅覚を頼りに進むことにした。
やがて森を抜け、眺望の素晴らしい、開けた場所に出た。
「やあ、景色がいいね。鬼さん、この下に見えるのが地獄谷かい?」
僕の質問に、鬼が唇をねじ曲げ、
「そうだが、いったいこの景色のどこがいいんだ?」
「どこが? いやあ、普通にいいと思うけど」
「ということは、お前は本当に良い景色をまだ見たことがないんだな」
「へえ。じゃあ鬼さんは、絶景ポイントを知ってるんだね。それはどういう景色?」
「ずらっと並んだ木に、捕らえた人間を鈴なりに逆さ吊りにしている景色だな。あれは最高だ」
「…………」
鬼はその景色を思い浮かべているのか、憧れのスターを見つめる女子のようにうっとりとし、
「その死体が腐ってウジがびっしり湧いたりすると、俺は思わず言ってしまうのさ。眼福、眼福と」
「失敬な。それは【眼福】に対する冒瀆だ!」
僕は思わずカッとなって、鬼の青い胸板をドンと突いた。
「痛え!」
と叫んだのは僕である。それは岩石のように硬かった。
腫れた手をフーフーしていると、少女姿のセイラが、
「怒っても仕方ないよ。鬼なんだから」
「だけど、わざと人間を挑発してない?」
「正直なだけでしょ。何を見て眼福と感じるかは、生き物によって違うんだよ」
「だとしたら、僕は鬼とは一生わかり合えないな」
と、鬼とは距離を置いて歩き出したとき、
「おい、人間、喉が渇いたろ。これでも飲むか?」
振り向いた僕に、ひょうたんを突き出してきた。
「ああ、どうも。鬼さんにも、親切なところがあるね」
「特製のジュースだ。味も香りもバツグン。みんなで回し飲みしな」
「それはそれは」
受け取ったひょうたんを口に近づけたとたん、信じられない悪臭に気を失いかけた。
「オ、オ、オェーッ!! 何だこの匂いは。世界一臭い果物のジュースか?」
「いや、果物じゃない。人間の内臓を搾ったジュースだ」
僕はひょうたんを放り出し、本当に吐いた。
「ふざけるな! 最悪だ! そんなものを嗅いだ事実は、なかったことにしたい!」
「何だ。人間って勝手だな。なあ、鳥」
空中でひょうたんをキャッチし、中身をグビグビと飲み干した青鬼が、オオハシモドキのピヨちゃんに向かって言った。
「人間は、焼き鳥を見てウットリし、その匂いを喜んで嗅ぎ、レバーだ砂肝だと内臓まで食べ尽くすくせに、人間が同じことをされると嫌な顔をする。そんな人間に可愛いがられて、お前はどんな気持ちだ?」
「焼き鳥? ナニそれ? ピヨちゃん、怖い!」
ブルブルと震えるピヨちゃんを見て、鳥目線からすれば、人間はまさしく鬼なのかなと思った。
「そう言えば、こんな寓話があるぞ」
ジャックが青鬼と僕を交互に見て言った。
「一つ目人種の国に迷い込んだ人間が、目が2つあるのを気味悪がられて、見せ物にされたって話だ。この場合、一つ目人種と我々の、どっちの感性が正しいということはない。だから鬼の性質に嫌悪感を抱くのは、一つ目を不気味に思うのと同じで、我々だけの感性に過ぎないのさ」
「そうかなあ。人間を搾って飲んでるんだよ?」
「そんなもの、動物なら何とも思いやしない。この世界には、100万種類の生き物がいるといわれている。その中で、鬼が人間を喰って気にするのは、人間ただ1種類だ。だろ?」
「まあ、それはそうだけど……」
「たった1つの種だけの感性が正しいと考えるとしたら、こんなに傲慢なことはない。鬼は鬼として受け入れる。それこそが、この世界に住ませてもらっている生き物の1種として、正しい態度じゃないかな」
「なるほど」
ジャックに言われて、確かに僕は、人間目線でしか物事を見てこなかったなと思った。
鬼も人間も、この世界に住む生物の種として、平等なのだ。
それなのに、人間の感性で怖いだ悪いだと決めつけて、やはり他の動物を喰う人間自身のことは、高等な存在だと信じて疑わない。
牛や豚からすれば、丸々太らせてから喰う人間のほうが、よっぽど鬼だろう。
僕は反省し、鬼に握手を求めた。
「鬼さん。さっきは胸を殴ってゴメン。鬼には鬼の感性がある。これからは、それを頭ごなしに否定しないと約束するよ」
「それは良かった。俺も人間目線を勉強するとしよう」
そう言って、ハアーッと吐き出した息を嗅いだ瞬間、僕は目を回して失神した。




