第12話 夜を越えて
男湯を出て浴衣で廊下を歩いていると、下駄そっくりの女子が横から出てきて、危うくぶつかりそうになった。
「おっと。ああ、セイラ。その顔で風呂に入ったんだ」
するとセイラは浴衣の裾を押さえながら、キッと僕を睨んだ。
「失礼ね。その顔でって何よ」
急に怒りっぽくなったのは、女湯で、何か不愉快なことでもあったのだろうか?
「いや、その四角い顔は、緊張しなくていいから僕は好きだよ。あんまり美人だと、これから一緒の部屋に泊まるのに、眠れなくなっちゃって困るからね」
と、いきなりセイラは、僕の顔を正面から殴りつけた。
「痛っ! 鼻が潰れたらどうするんだ!」
「何よ。誰があんたとなんか泊まるもんですか。自惚れるのもいい加減にしなさいよ!」
プリプリしながら、女湯のほうへ大股で歩いて行った。僕は訳がわからずに、女心をいろいろ推理していると、
「ああ、いいお湯だった。アリスターも今上がったところ?」
足元で、白猫が僕を見上げて言った。
その瞬間、人違いをしていたことに気づいた。
「しまった。さっきのはセイラじゃなくて、リアルに顔が下駄の女子だったんだ」
僕は、何の罪もない女性を傷つけてしまったことに対して、真剣に心を痛めた。
が、済んだことはしょうがない。もしまた会えたら、きちんとこの件を謝罪しよう。
気持ちを切り替えると、風呂上がりでホカホカの猫を肩に乗せて、部屋に帰った。
「いやー、やっぱり部屋は落ち着くなー」
「変なの。自分の家みたいに言って」
「そう。僕は変なのさ。そして変であるっていうことは、まともであることの証拠なんだ」
「何それ?」
「実は男湯で、すごく真っ当な、変な人に会ったんだ」
白猫のセイラに、背中に深い傷のある男性のことを聞かせると、
「捨てられたペットを保護? 私、そういう話を聞いただけで、涙が出ちゃう」
グズグズ鼻を鳴らし、前足で目をこすった。
「ねえ、その人、私たちのパーティーに入ってくれないかな?」
「無理無理。あの人絶対、一匹狼だよ。それにそもそも、冒険の旅をしてる訳じゃないしね」
「もし山で会ったら、誘うだけ誘ってみるよ」
「…………」
僕の気持ちは複雑だった。
あの人はいい人だ。彼の生き方や考え方は素晴らしいし、ぜひ幸せになってもらいたいと思う。
だけど、パーティーに入ってもらうとなると、話は別だ。
今僕は、セイラと旅をできることに、喜びを感じている。彼女ではないけれど、まあほとんど、そんな想いでいるのだ。
そこにもう1人、男が加わったらどうか?
しかもそれが、僕よりずっと逞しく、動物を保護して歩いているような「いい人」だったら?
動物好きのセイラは、きっとそっちの方を尊敬し、好きになってしまうだろう。
そう思うと、たまらなく胸が苦しくなった。
(あの人には、ぜひ幸せになってもらいたい。だけど、僕の幸せの邪魔はしてもらいたくない。だから、さっきはセイラを紹介したいと思ったけど、今は2人を会わせたくない気持ちだ。ああ、こうやって自分のことだけ考えてるやつに、果たして世界を【幸福】にすることなんかできるのだろうか……?)
「何を考え込んでるの?」
顔を上げると、サラさんと目が合った。
「わっ!」
のけ反って、危うく椅子から落ちそうになった。
「やめてよ! その顔に【変容】するのは反則だ!」
「そう? 喜ぶかと思ったけど」
「ダメダメ。緊張しちゃう」
「何よ。中身は私なんだからね」
怒った声で言いながら、今度は宿屋の主人に【変容】した。
「どう? これなら、緊張しないで同じ部屋で眠れる?」
立派な口ひげを蓄えた顔に見つめられると、あんまりぞっとしなかった。
「やめよう。それはそれで、落ち着かないから」
「じゃあ何になる? リクエストしてよ」
「人間じゃないほうがいいな」
「これは?」
大きなパンダが、たれた目で僕を見た。
「わ、かわいい! それ最高!!」
「私に乗っていいよ」
セイラパンダが、ゴロンと仰向けに転がった。パンダに乗れるなんて夢みたい! 僕は失礼しますと言って、丸いお腹の上にうつ伏せになった。
そのふさふさの毛のなんと柔らかいこと! そしてその匂いのなんと甘いこと!
「パンダって気持ちいい?」
「うん! セイラは乗ったことないの?」
「まだ本物には会ったことがないんだ。山で会えるといいなー」
「旅をしてたら、いつか会えるよ、きっと」
「もし会えたら、こうやって遊びたい」
セイラパンダは、なかなか怪力だった。前足で僕をバーベルみたいに持ち上げると、後ろ足の上にひょいと乗せ、樽を転がすように僕をくるくる回した。
「わー、目が回る。止めて止めて!」
セイラは最後に僕をポーンと跳ね上げて、落ちたところをギュッと抱き締めた。
「アリスター」
「何?」
「今夜は、こうやって寝ない?」
「……抱き合って寝るの?」
「うん」
「いいのかなあ。セイラ、中身は15歳の女子だもんな」
「そんなふうに考えないで。どこからどう見てもパンダでしょ?」
「それはそうだけど……」
「私、実は寂しがり屋なの。何にでもなれるから、ときどき自分が何なのかわからなくなって。夜中に一人で寝てると、すっごく不安で苦しくなっちゃうときがあるの」
「えっ? SSSランクでも、そんなことがあるの?」
「ランクが高いからって、強いわけじゃないよ。孤独には100戦100敗。1度も勝ったことがないんだ」
15歳で孤独って、どういうことだろう。親がいないんだろうか?
複雑な家庭なのかと想像したが、そういうことは詮索しないでおこうと思い、
「じゃあ、僕で良ければ」
部屋の灯りを消し、ベッドのシーツを床に敷いて、パンダと一緒に寝た。ふわふわのお腹を撫でてやると、満足そうな声を洩らし、やがて寝息を立てて眠った。
僕もまた、満足した気持ちになって、いつしか眠りに落ちた。