第116話 精霊とのリンク
冷たい手に引きずり込まれた地の底。
そこは真の闇だった。
何も見えず、何も聞こえない。
空気は冷たく、薄い。
だんだん頭がぼうっとしてきた。
(このままだと、あと数分で死ぬな)
鈍った頭でそう思ったときだった。
遠くから、どこか懐かしく感じる声が聞こえてきた。
「よくここまで来たな、眼福使い」
吸血鬼様の声。
「おかげで人狼の弱点がよーくわかった。あとはもう、赤子の手を捻るようなものだ」
吸血鬼様の嬉しそうな声を聞くと、俺の胸は誇らしさでいっぱいになった。
「お褒めいただいて恐縮です、吸血鬼様」
「ハハハ、お前もだいぶ、ケダモノの人狼に魅力を感じたようだな」
心を見透かされて、顔から火が出るようだった。
「別に構わん。俺は心が広いからな」
吸血鬼様の声は、だんだん近くなってきた。
「さて。今からお前に、重大な任務を与える。それに成功すれば必ず人狼は死ぬ」
俺は息を詰めて、作戦が告げられるのを待った。
「これから俺は、あのバリアの中に、もう一度サキュバス3姉妹を送り込む」
今や吸血鬼様の声は、耳元で囁くようだ。
「人狼は女に甘い。だからサキュバスに、セイラとルイベの2人の女を人質にとらせる。邪魔なジャックとオーガとオークは、俺が催眠術で眠らせておく」
俺の心臓が、チクリと痛んだ。
「セイラとルイベを殺すと脅せば、人狼は言いなりになるだろう。まずはサキュバスに、鉄輪で岩に固定させる。そこでお前の出番だ。よく聞け」
「はい」
「やつは自分の筋肉に自信を持っているようだ。その胸の筋肉に、ドリルで穴を開けろ」
俺は、自分の顔が蒼褪めるのを感じた。
「ド、ドリルですか?」
「そうだ。すでに鉄パイプで傷はついている。そこにドリルをねじ込んで、心臓に穴を穿て」
「…………」
「どうした? やれないか?」
「心臓に穴が開きそうになったら、いくら何でも抵抗するでしょう」
「大丈夫だ。俺が催眠術をかけておく」
「では、どうしてそれも、あなた様がおやりにならないのですか?」
「お前にやらせる理由を聞きたいのか?」
「はい」
「それはお前が、あいつに惚れたからだ」
「…………」
「やれ。俺の弟子であることを証明しろ」
「……はい」
「やらなきゃお前の仲間どもは皆殺しにする。人狼の心臓に穴を開けろ。お前がそうするところを見たいのだ。俺は自分でやるよりも、他人同士が傷つけ合うのを見たいのだ。ただし、とどめは俺が刺す。穴の開いた心臓に、銀の弾を撃ち込んでやる」
吸血鬼様の笑い声が、遠のいていった。
「準備ができたらまた来る。楽しみに待ってろよ」
静寂が訪れた。
ずっしりと重い鉛を呑み込んだ気分。
自分が、人狼の胸にドリルを当てるところを想像した。
手のひらに汗が滲む。
(……そんなこと、俺にできるか?)
むろん、やらなければ殺される。
自分が生き延びるためには、何度も命を救ってくれた人狼を、この手で傷つけなければならないのだ。
大きなため息が出た。
するとーー
「何だか悩んでるようだね」
という声が聞こえて、飛び上がりそうなほど驚いた。
と言っても、この閉じ込められた地底では、指1本動かせなかったが。
「だ、誰ですか?」
闇に向かって、恐る恐る訊いた。
「俺を忘れちまったのかい?」
という声がしたかと思うと、胸元を、何かが這い上がる感触がした。
俺は悲鳴をあげそうになった。
「シッ、騒ぐなよ。吸血鬼がくるぞ。ああ、それにしても、人間は臭いなあー」
頭が混乱した。
この胸元にいる生き物は何だ?
吸血鬼様の敵か? しかしこの魔物だらけの地底に、そんなものが存在するとは思えないが。
「まだ思い出せないようだな、人間。地獄谷で、俺の家に泊めてくれって来ただろ?」
地獄谷の家というとーー
「……ひょっとして、小人か?」
「正解。と言っても、小人は仮の姿だがね。あのときのあんたは、【眼福】で俺の正体を見抜けなかったようだな」
「い、いったいあなたはーー」
「視ろよ、眼福で。成長した今のあんたなら視えるはずだ」
俺はまったく視界の効かない地底で、【眼福】を発動させた。
すると、まばゆいほどの光が視えた。
「すごい……これほどの【善】は、初めて見た」
「正体はわかったかい?」
「ええ。あなたは、森の精ですね?」
「いいぞ! さすが眼福使い。親友の鬼でさえ、俺の正体は見抜けなかった。そう言えば青鬼は、覚醒してオーガになったな」
「ど、どうしてーー」
「どうして鬼に正体を教えなかったかって? そりゃ俺たち精霊は、イタズラ好きだからさ。地獄谷のキツネも、レトロゲームの妖精もそう。イタズラをして遊ぶのが仕事みたいなもんでね」
「いえ、どうしてというのは、どうしてここに来たんですかってことでーー」
「それは決まってる」
胸元を這っていた「何か」が、ごそごそと耳のすぐそばまで来て言った。
「吸血鬼に、イタズラしてやりに来たのさ」




