第11話 背中に傷のある男
部屋に戻ると、それぞれが浴場に行った。言うまでもないが、僕が男湯へ、セイラが女湯へ。
(もし僕に【変容】のスキルがあったら、こういう場合、女性キャラに【変容】せずにいられるだろうか……)
まあ、そんなことを思う時点で、そのスキルに対する適性がない。だからこれは、要らぬ心配であった。
冒険者専用の宿屋の男湯に入ると、いつも引け目を感じる。というのも、他の客の背中には、たいてい歴戦の傷痕があるからだ。
刀傷、火傷、爪痕、牙の食い込んだ穴……
黙々と背中を流す男たちの後ろ姿に、僕はいつも身を小さくして、急いで風呂場から出てしまう。
(バトルを【回避】し続けた僕には、傷痕はおろか、発達した筋肉もない。こんなふにゃふにゃの肉体の冒険者は、きっと七つの海を探し回ったっているまい)
じゃあ自分も、あのような逞しい背中になりたいと憧れているかというと、それは違う。
あんな傷だらけの、無骨で毛むくじゃらの背中には、金を貰ってもなりたくない。というのが、偽らざる本音だった。
(しかしこの世界は、ああいう無骨な男たちの天下だ。倒した敵の数が勲章で、強さこそが正義。僕にはその世界を【幸福】に変える力があるというが、全然想像がつなかい。こういう野蛮な人たちも含めて、みなが【幸福】になる世の中など、本当にあり得るのだろうか……?)
白い湯気を透かして、【眼福】を発動させた。
その視線の先には、ひときわ深い傷の刻まれた背中がある。
(あれはきっと、ドラゴンの爪だ。肉が抉れて皮膚が引きつれている。よく死ななかったもんだ。あんな傷を負うとは、よっぽど命を大切にしない、乱暴な気性の人なんだな)
やがて【眼福】により、その冒険者の隠された良い面が拡大されて視えてきた。
「なんと!」
そこが風呂場であることを忘れて、思わず声をあげてしまった。
その人が旅をしているのは、冒険のためではなかった。
捨てられたペットの保護をしながら、国から国へと渡り歩いている人だったのだ!
(セイラに続いて、また動物好きの人に出逢えた。このような心優しい人があんな醜い傷を負ったのには、きっと訳があるのだろう。ぜひ教えてもらいたい)
僕は、急激に親近感の湧いてきた背中に近づいて、後ろから声をかけた。
「こんばんは」
その背中は、ピクリともしなかった。
「こんばんは」
もう一度、はっきりと大きな声で言うと、男が半分だけ顔をこっちに向けた。
「初めまして。アリスターといいます」
男はウンともスンとも言わなかった。無言で僕を見るその目は、まるで北の最果ての海のように冷たかった。
「……あの、あなたは」
緊張に声が震えそうになりながら、僕は言った。
「捨てられたペットを保護しながら、旅をしているのですね?」
男の目の冷たさに、険しい苛立たしさが混じった。
「だから何だ。誰から聞いた?」
声だけでなく、膝まで震えそうになった。
「すみません。僕にはそういうことが視えるスキルがあって、勝手に見てしまいました」
「勝手にか」
「本当にすみません」
頭を下げた。その体勢では、男の顔は見えなかったが、冷たい視線が注がれているのはありありとわかった。
「もういい。行け」
虫ケラでも追い払うかのように、手を振られた。しかし僕は、この人が、並外れて優しい心を持っているのを知っている。だからどうしても、この人から離れたくなかった。
「僕は、あなたのような方がいると、つい眼福、眼福と言ってしまいます。それは、あなたを生んだこの世界が、輝いて見えるからです」
「お前はコレか?」
男が頭を指差してクルクルと回した。が、その目からは、気のせいかもしれないが、冷たい感じが消えていた。
「クルクルパーですか。確かに僕は変だと、ずっと言われてきました。でも自分では、まともだと思っています。まともだからこそ、この世の中で、変なやつ扱いをされています」
「なるほど。なら俺と同じだな」
この返事を聞いて、飛び上がりそうになった。
「嬉しいです! あなたもやっぱり、この世の中では『変』なのですね?」
「俺ほどまともな人間はいない。そして、そのまともさを抂げたことは一度もない」
「わかります。だから『変』なんですね?」
男の目が、再び険しくなった。
「変なのはお前だろう。さっきお前は、この世の中が輝いて見えると言ったな。いったいこの世のどこに、輝きがあるというんだ?」
「まさにそれです! それが視えるようになるのが、僕のスキルなのです」
「怪しいな。お前にそう見えているだけだろう。この世の中には、闇しか存在しない」
僕以上に世の中を嫌っている人間に、初めて会った気がした。
「僕も世の中は嫌いです。でもそれは、世の中の全部を知らないせいだと思っています。だから旅をして、世の中の良いところを知れば、今より好きになれると思っているんです。僕のこの考えは、間違っていますか?」
「間違ってるな。世の中にいいところがあるなんてのは、幻想だ」
男はふと、遠い目をした。
「世界の至るところで、今現在も、動物が虐待されている。だから俺は人間が嫌いだ。人間がつくったこの世の中も嫌いだ。保護動物を世話してくれる人間もいるが、そもそも動物が保護される原因をつくったのは人間だ。この世から人間がいなくなって、動物だけになったら、初めて俺はこの世を好きになれるかもしれない」
このセリフを聞いて、僕はこういう人にこそ、【幸福】になってもらいたいと思った。
「俺は明日、北の山に入る。捨てられたペットがいるんだ。そいつらのうち1匹でも、野生で生きられるようにしてやりたい。どうかお前も、そいつらのために祈ってやってくれ」
立ち上がって去っていく背中を見ながら、あの傷は、きっと動物を保護しようとしたときに、洞窟から出てきたドラゴンにでもやられたのだろうと想像した。
そして、もし明日山で会えたら、この偏屈だけど動物を愛する優しい人に、ぜひセイラを紹介したいと思った。